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「あ、さっきの業者かも。僕、そういえば受け取り二枚渡されて」
彼がぺらりとした受け取りの紙を手に、玄関へ行った。その背へ「ごめんね」と声をかける。ドーナツをつまむ総司にジュースを注いだ。箱には小ぶりなドーナツがまだ詰まっている。紅茶でも入れてみんなで食べようか…。
玄関で人声がする。続いて廊下をやって来る足音がした。引き取り忘れた荷物でもあったのか。
てっきり先ほどの業者と思い顔を上げれば、ドアを開けたのは沖田さんだった。後ろに美馬君がちょっと困った様子でいた。
「どうしたの? 平日に」
彼は勤務中らしいスーツ姿だ。
「出張の帰りに寄ったんだ。様子を見に…」
そう言い、彼はわたしへ紙袋を手渡した。明太子のゆるキャラ。出張先は福岡らしい。
礼を言って受け取る。彼の目がわたしにひどく問いたげだ。引っ越し準備の状況を確認したいのだろう。あれこれ電話で聞かれたのは最近のこと。
のんきで面倒がりなわたしのことだ。ちゃんと今月末にここを出られるのか、ちょっとカリカリしていたようだから。
「ほら、見てよ。がらんとしてるでしょ。沖田さんはここに来たことないから、わからないだろうけど。すごい進みっぷりだよ。ねえ、総司」
総司に振った。総司はドーナツを頬張りつつ、紙袋をのぞき込んでいる。中に好きなキャラクターものが入っていたらしく、炊飯器のような名前を言って喜んでいる。
沖田さんは胸に親指を立て、ごく小さな声で聞いた。
「誰?」
ああ。
そうか。
美馬君か。
初見で、そもそも彼は美馬君の存在を知らないのだ。おかしなもので、あれくらいハイレベルな美男子だと、なぜかみんな知っているように錯覚してしまう。どこかのゆるキャラみたいに。
「え~と…」
わたしが言葉を選んでいるのを察してか「雅姫さん」と美馬君が声を出す。軽くわたしの肩を叩き、
「美馬春文といいます。大学生で雅姫さんとは知人の紹介で知り合いました。それ以来、よく面倒を見てもらっています」
さわやかに述べる美馬君とは対照に、沖田さんは「はあ」と間の抜けた返事で応じる。
「面倒なんか見てないよ。一回だけ洗濯物持ってきたくらいじゃない。今日だって引っ越しの手伝いにわざわざ顔出してくれて…」
「沖田さんですよね? 雅姫さんからお二人のことはうかがっています」
「はあ、そう」
またもや間の抜けた返事だ。何を驚いているのか。ちょっと助け舟を出すつもりで口を挟んだ。
「引っ越した後も、美馬君がこっちに帰ったりしたとき、会おうよって言ってたの。食べに行ったりしたら、楽しそうじゃない?」
「よければ、僕が何か作ってご馳走しますよ」
「それいい。飲みたいね~。ねえ、沖田さん、美馬君すごく料理上手だよ」
「…いいんじゃない」
わたしたちの雰囲気に引きずられるような言葉だ。
まあ、いいか。言質は取った。
時間があるらしく、腕の時計を見て彼は「じゃあ、行く」と、総司の頭をぐるっとなぜた。本当にわたしの状況を見に来ただけのようだ。外でタクシーに待ってもらっているといった。
出張帰りに忙しいだろうに。どれだけ疑われていたのか。
外まで送ると二人になった途端、「おい」で始まるぼやき交じりの問いが降る。
「知人の紹介って…。あんな戦隊モノに出てそうなのと、どこでどう知り合うんだ?」
ああ、彼ならおかしくない。そのチャンスもありそう。
美馬君の微妙な背景のことは省き、同人仲間の紹介だと言った。
「ふうん」
納得いかないようなその頷きにおっかぶせてつなぐ。
「沖田さんがファンだったグラドルの息子さんだよ」
「はあ?!」
衝撃だったらしい。手のバッグを取り落している。
入院中に亡き母の写真を持った彼が来たことも話した。その写真にわたしがひどく驚かされたことも。
「似てるんだって、お母さんに」
「だろ? だから言ったじゃないか。よく似てんだって」
そっちかよ。
「ふうん…、母親ねえ」
つぶやきは言外のものを含んで耳にちょっと重く聞こえた。いきなり現れた超絶イケメン君に何やら不信感を持っているようだ。
沖田さんとわたしが逆の立場なら、地位のある人でもある。若い美女には懐くメリットがあるだろう。でも、わたしには、何にもない。
「うちの手伝いして、何の得があるの?」
「…少しは自覚しろよ。失くすもんなら、持ってるだろ」
やや声を潜めて彼が言う。「失くすもの」とは総司のために元夫と争ったあのお金のことだろう。美馬君がその存在を知る訳もない。第一、彼の方がずっと金持ちだ。
アバウトに実家が資産家らしいと告げておく。
「親何してんの? 土地持ちか?」
「知らないよ。自分からああだこうだ自慢するような子じゃないんだって」
「詐欺師は大抵が由緒ある家柄だの資産家だのって名乗るらしいぞ」
おいおい…。
だから、わたしを詐欺する意味がないって。狙うならもっといいのを狙う。
初めて彼を見かけた咲夜さんのお宅での、毅然とした様子を沖田さんは知らないから…。
「いい子だよ。少しきっと寂しいだけ」
そう言うしかできない。
母に似たわたしが懐かしいのも本当だろうし、自分のややこしそうな環境を知られている安堵も彼には嬉しいのかもしれない。大学の友だちにもそういったことは打ち明けにくいだろう…。
「まあ、いいや」
沖田さんはそこでおかしな勘繰りを打ち切った。ちょっと笑って、
「いろはが喜んで妙な妄想しそうだな。あんなのがうちに来たら」
そんなことを言う。
美馬君への毒舌がどこまで本気だったのか。何のかんのとウェルカムなことを言ってくれる。
沖田さんを見送り玄関に向かう際、通り過ぎる人の視線を感じた。こういったことはたびたびある。以前は気も留めなかったが、元夫絡みのあの事件以来、近所の人のこちらを見る様子がはっきりと増えた。それがやや痛い。
日中留守の若い世帯も多く、近所づきあいの簡素な地域だった。それでも我が家が引き起こしたあの件は、注目を集め噂にもなっているのだろう。もちろんいい意味でなく。
我慢や鈍感さは度を越せばきっと害になる。今月末に引っ越すことは急ではあるが、いい転機にもなる。
引きこもり座業のわたしはともかく、これから社会にどんどん出て行く総司に、影響を及ぼすかもしれない場所にはいられない。
ドアに手をかけて芝の禿げた狭い庭を眺め、それから隣家に目をやる。なじんだ光景なのに何かが違って見える。
それらの何が変わった訳でもなく、自分の心が少しここから遠くなったのだと思った。
引っ越しの段取りもつき、気が抜けたようになった頃だ。千晶から誘いがかかった。「おいでよ」との声にやっぱり二つ返事で頷く。互いに身軽な身だ。すぐにその日に決まった。
夕ご飯時で、手土産代わりに食事になりそうなものをあれこれ買って行った。その紙袋と総司の手を引いて、既に慣れた豪華なエントランスをくぐった。
千晶の部屋にはアシスタントの女性が一人残っていた。そろそろ上がるというので、軽く挨拶をした。
黒縁の眼鏡をかけた彼女が、わたしに「あの雅姫さんですよね?」と声をかける。「あの」はわからないが、千晶がわたしが来ることを伝えてあったのだろう。そう思い頷いた。
「お変わりにならないから、すぐわかりました。○○(旧イベント名)の頃からのファンです。ちい先生のアシをさせていただいています、東野といいます」
「ああ、そう…、どうも…それは」
「長いよ、彼女。うちのアシのボスやってくれてるの」
「ちい先生」と呼ばれた千晶は総司を呼び、ソファに座らせてテレビをつけてくれた。
黒髪の麗しい東野さんは、千晶とやっていた『ガーベラ』時代をきゃっきゃと語る。ちょっとあ然としていると、思い出したように、
「そういえば、先だっては災難でしたね。お気の毒だとはらはらしていました」
と言った。
「あんまり腹が立ったんで、相手のサークルのブース、よろめくふりして蹴っ飛ばしてやりました」
ふふん、と楽しげな鼻息をもらす。
???
「キャリアも実績も違う、あんな若い子たちの無茶に嫌な顔もしないで、相方さんのために土下座までされて…。ああ、やっぱり格が違いましたよ」
「え? 何、若菜土下座したの、イベントで?」
「そーなんですよ、ちい先生。なかなかできることじゃないです」
ああ、あれか…。
イベントでの土下座で思い出した。半年以上も前に出た夏のイベントの件だ。コンビを組んだ咲夜さんが彼女の元仲間と揉めて、わたしが仲裁に入ったことがあったっけ。
あのまま退場なんてくらったら、ゴツイ(わたしにしては)売り上げが飛んだのだ。それに比べれば土下座くらい安い安い。
この彼女はあのイベントに遊びに行っていたようだ。そういえば、その後会場で千晶と再会したのだった…。
「往年のファンとしては、ああいう変わらない凛としたかっこいい雅姫さんのお姿に、うるっとしました。鯖寿司かじっていてもさまになるって、昔仲間内で騒いだものです」
ははは。また鯖寿司が出た。
「今後のご活躍もぜひ期待しております。応援させて下さいね」
「あ、ありがとうございます…」
東野さんが帰れば、圧倒されっぱなしだったわたしに、千晶がにやにやとした顔を向けた。
「いやー、雅姫も苦労してるね。若い子相手に土下座かあ。それでも「凛として」「かっこいい」なんてさ。難しいよ、これは。さすが「クールジェンヌ」で鳴らしただけあるね。へへ」
何が、へへだ。「クールジェンヌ」だ。
しかし、イベントで場の収拾に土下座したことなんて、今の今までスコーンと忘れてた。
「昔のファンですって、言ってくれる人たちって、褒め方のベクトルが違うからびっくりするよ」
「あはは、それ特徴だね。きっとこっちと同じような世代だろうし、自分たちの青春時代と合わさって、より美化してくれちゃうんじゃない」
「思い出はきれいだもんね。千晶もあるの?」
「たまにね。ヒガシ(東野さんの愛称らしい)も最初はすごかったよ。あんたなんか、隠れてて今頃出てきたから、あれこれ言うネタに事欠かないんだよ。ブランクの神秘性も加わって。ぷぷぷ…」
何が、ブランクの神秘性だ。ぷぷぷ…だ。
手土産の品をテーブルに広げ、つまみ出す。ちょうど差し入れにもらったと、千晶が手まり寿司を卓に加えれば、天津が中心のテーブルがぐっと華やかになった。
「おいしー。高そー」
「高いよ、きっと。編集長の持参だから」
「へえ、さすが『真壁千晶』」
「そんなの持ってこられても、急にページ増やせないって。腕が二本になる訳もないし」
聞けば、沖田さんの社の仕事らしい。長く関係した三枝さんの件からも、まったく切れた訳ではなく、折り合いながらも不定期に仕事を受けてるようだ。
大出版社だし売れる雑誌もある。感情的にならずビジネスライクに割り切るところは、さすが偉いと思った。三枝さんからは彼女のやりようをどう見るかはわからないが。
何がプラスかマイナスか。計算高さがなければ、成功もその維持もきっと難しい。易々とそれを行う彼女をちょっと目を見張るように眺めた。やっぱり彼女はまるで次元の異なる場所にいる。
羨む気持ちは確かにあるが、そうではない自分にも気が緩むような思いがある。お金はほしいが、クールな判断にたびたびさらされる面倒は御免…。そこまでの成功を望んでいないのだと思い知る。所詮はその程度の器ということか。




