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それほど、だったあなたに  作者: 帆々
愛のある関係がいい

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1

 その日、空は曇りまま何とかもってくれた。

 

 まだ時に冷たい風が吹く中、房総へ出かけてきた。沖田さんが休暇を取ってくれ、総司を連れての初めての旅行になる(わたしにとっても)。


 実家での顔合わせののち彼の家にもお邪魔し、妹のいろはちゃんに挨拶もした。総司は子供らしく無邪気にしていたが、硬さは否めない。


 いつか父が口にしたように、総司と沖田さんとの仲は、徐々にのんびり…。と構えていたが、せっかちなおっさんが堪え切れなくなったようだ。


「これから二度三度会ったって変わらないだろ。思い切って遠出でもして三人で過ごせば、俺にも慣れてくれるんじゃないか。今月の末にでもどうだ? 休むけど」


 電話口でそう言うから、つい本音が出た。


「えー、今月厳しい。入院して休んだから、先月のイベント一個逃しちゃったんだ」


「お前に金出せなんて、言わねえよ」


 あら…、そう?


 そんなこんなで話は進み、ほとんど何もしないまま当日を迎えた。わたしがしたのは旅の準備と「旅館とホテルと、どっちがいい?」に答えただけだ。ちなみに、総司の経験のない旅館をリクエストしておいた。


 まだ早い時間、家に迎えに来てくれた彼の車にジュニアシートが備えてあるのを見て、感激した。前のは処分してし待ていたため、姉から花梨(姪っ子)のお古を借りてあったんだが。


 高いクラスのハイブリッドカーの暗色メインの後部座席に青い機関車のそれは、抜群の存在感を放っていた。


「いろはが絶対これがいいって」


 総司がトー⚪︎スが好きなのを知って、あちこち回って手に入れてくれたらしい。感謝感激だ。総司はトー⚪︎ス効果で、にこにこと知らない車に乗ってくれた。


 休憩を多めに挟みながらも、昼には目的地に着いた。観光客に交じり花の中を歩く。目当てのシーワールドでは、総司がシャチに大喜びした。


 何となく、総司を間にしての行動になる。キャラクターの風船を沖田さんが買って総司に与えたとき、店員が彼へ「あ、お父さん、お釣り」と声をかけた。


 はた目にはごくありふれた家族連れに見える。それはくすぐったくて、ちょっとほっとする出来事だ。


 総司は他人が沖田さんを「お父さん」と呼んだことに、特に反応をしなかった。聞き逃したのかもしれないし、どうでもいいことなのかもしれない。


 総司には、既に彼の存在を言葉で伝えてあった。そのうち一緒に住んで家族になる人。そう言ってある。せっかちな彼も、総司には「ダグみたいに思ってくれればいいよ」と話していた。


 いろはちゃんがまた、子供好きでよく相手をしてくれたから、総司は嬉しかったに違いない。対面でも嫌がる様子や不快な感じも目につかなかった。ただ、周囲の変化に不安なのは伝わった。


 素直に怖いのだ。よく知らない彼も、その彼らと家族になるということが。よくわからず、今までと違ってしまうことに怯えがあるのだ。


 理解し受け止めたいと心にしっかりと留めながら、しょうがないことと観念する部分もある。わたしだって怖い。不安もある。子供を巻き込むことへ後悔はないのかと、揺れる気持ちもやはりある。


 でも、今のまま足踏みしたような状態でいる意味も見つからない。なら、彼の望む方へ沿ってみたい。そっちがいい気がする。伸べたこちらの手をぐいっと引いてくれる手があること。それはとても嬉しい。気持ちがうんと楽になる。


 それらわたしの感情には、彼との恋愛を基にした女の欲もくっきりとのぞく。それでいいじゃないかと、思いはふてぶてしく横たわっている。


 子供の顔色を過敏にうかがい、それにいちいち揺れながら自分の願いを殺していく…。勝手に決めた正しい母親らしさに殉じることは、美しいのだろうか。いいことなのだろうか。


 わからない。


 ただ、捨ててしまえないのだ。何かを願って望む自分をいじらしく思い、大事にしたい。以前、ふき出すように心の中からあふれ出した「また描きたい」という思いを、決して忘れてしまえなかったのと同じに。


 これまで自分を犠牲にして踏ん張っても、いいことなんかなかったから。


 その後入ったカフェでテーブル席に向かい合った。プリンを食べる総司へ沖田さんが話しかけた。


「うん…、おじさん」


「おじさんか…。別の呼び方ないか?」


 総司がわたしを見た。


「「おじさん」が嫌なんだって。オジサンなのにね」


「おまえはうるさい。誰も「おにいさん」なんか望んでない」


「どうする? 総司」


 総司はプリンを口に運びつつ逡巡している。


「…オキタサン」


「雅姫の真似じゃねえか…。まあいいよおじさんで」


 苦笑した彼が気の毒になったのか、総司はちょっと首を傾げてから、ほろりと言った。


「…シロー」


「シロー? 何それ」


 聞けば、沖田さんがテレビによく出るその名のついた男性アイドルグループの一人に似ているのだとか。ふうん。その誰かは総司にはわからないらしい。


 それらしい顔は幾つか浮かぶが、似てるのかなあ。特定できない。子供の感性は理解不能だ。


「ほお、なるほど。子供は素直だからな」


 いいイメージを持たれているのが嬉しいらしく、沖田さんはわたしを見てにやにやした。


 そういう訳で総司は彼を「シローのおじさん」「シロー」やっぱり「おじさん」のこの三パターンで呼ぶようになった。


 どうでもいい。


 たっぷりと施設内を見て回り、空いた時間で近くのフラワー園に移った。その短い移動の間、車内で総司は眠ってしまった。頭にはシャチをデザインしたキャップが載っている。記念にと沖田さんが買ってくれたものだ。


「要らないって言ってたけど、気に入ってるみたいじゃないか」


 バックミラーで様子を見た彼が言う。


 嫌な訳ではないだろう。せっかくくれたから、といった子供なりの気遣いでかぶって見せているような気もする。本当は幼稚園の友だちが持つようなメジャーリーグの帽子をほしがっていたから。


 離婚の前後で家庭がごたごたした間、総司はわたしの実家で過ごすことが多かった。ダグは頼りになるいい人だし、姉も気が置ず仲がいい。それでも、子供心に落ち着かない思いを味わっただろう。本音を吐けずに気も使ったに違いない。


 そんな経験から、この子には世知のようなものが芽生えてきているのをちらりと感じる。悪いことではないだろうが、周囲より早く喜ぶべきことでもないような…。


 気づけば考え過ぎる。流すようにそっと吐息した。


「嬉しいけどほしがってなかったら、買ってあげなくてもいいよ。また、よその子の影響で違うのをほしがるだろうし…」


「またほしがったら、それも買ってやればいいだろ」


「きりがない。調子に乗っちゃうよ」


「子供なんだから調子に乗せてやれよ。たかが帽子だろ。いいじゃないか」


 彼の言葉に返す言葉が浮かばない。


「ダメなときはダメだって、そのとき教えればいいじゃないか。わかるよ子供でも。俺も何となく記憶がある。うちではこれ以上無理なんだって、観念したみたいな気持ちになったな」

 

「…そんな戦後の話されたって」

 

「何が戦後だ」

 

 伸びた彼の指が、わたしの頬をちょっとだけつねった。


 彼の考えに譲ろうと思った。「調子に乗せてやれよ」という言葉が案外胸に響いて効いた。


 わたしだって総司にはまだまだ無邪気に甘えた子供らしくいてほしい。


 たかが帽子一つ。


 調子に乗せてやれよ。


 どうしてだか、ほっとした気分になった。


「ああ、アイス食べたくなってきた」


「さっき、でかいの食ってただろ」


「でかくない、普通。たかがアイスじゃない、たかが」


「はいはい」


 

 宿に着いて驚いた。


 案内された部屋は主の間に広い次の間が付き、正面の露台からしっとりとした庭園が望めた。思わず、総司と一緒にそちらへ走った。奥には専用のゆったりとした露天風呂の施設まであるから、度肝を抜かれた。


 高級な旅館だ。


 一通りぎょっとしてから露台の籐椅子に掛けている沖田さんを見た。


「高いんじゃないの、ここ。すごく…」


「結構割引が利くんだ。社の指定の保養施設になってるから」


 同じタイプの部屋ではないが、妹のいろはちゃんも彼の名義で友人と泊まったことがあるという。


「料理も旨くて、評判はいいぞ」


「ふうん」


 それにしたって安くはないはず。大体の見当を付けた金額に、目が泳いでしまう。「お前に金出せなんて、言わねえよ」と彼は言ってくれていたが…。


 どんな顔をしていたのか、彼がわたしを見て笑った。


「何よ」


「腹刺されて死にかけてもあの亭主から一億もぎ取った奴が」


 彼の言う一億とは、間違いなく総司の件での和解金のことだ。デリカシーのない表現を。欲に目のくらんだ悪女のようではないか。


「もぎ取ってない。それに…」


 そばで外に虫を見つけたときゃっきゃ言ってる総司の耳を憚って、声を潜めた。


「一億じゃない」


「え、何で?」


 彼の問いにその経緯を話した。


 わたしの退院後、元夫側が弁護士を通じて和解金受け取り分の辞退を申し出てきたのだ。


 おそらく弁護士の入れ知恵だろう、とは家族みんなの意見だった。それによって、わたしからあの人に有利な証言を引っ張るつもりのようだった。お金のことで欲を張っている間に、あの人が有罪にでもなれば、大変なことになる。


 相手のこの姿勢の軟化があっても、嘘を言うつもりはなかった。既に警察に告げた事情は、事実そのものだ。もう変更するつもりもなかった。ただ、お金の申し出については総司のものという意識がわたしに強く、受け入れる気持ちになった。


 しかし、それを父が止めた。


 元夫側は弁護士費用もかさむだろう。仕事を変わったばかりで、貯金がないのは想像がつく。元義両親にはきっと蓄えがあろうが、老後のそれを吐き出させるのはしのびない、と父は説いた。


「総司にはもう十分ある。もし万が一不足するようなことがあっても、ないならないなりに何とかなる。まあ、そんな場合はあの沖田君が、手伝いたがるだろうが」


 父の言葉を伝えた。「沖田君が~」のくだりで彼がふき出した。


 民事の裁判は行わない意志もそれらの返事と一緒に添えてもらってある。


「ふうん。お父さんの言うとおりだな。敵の退路は敢えて断たない。さすがショーリンジ」


「でも、痛い思いしただけ損な気がする。ちょっとね」


「前ので懲りただろ。がっつくな。今度は家族ぐるみで買わなくていい恨みを買うぞ」


「うわあ、止めて」


 ぞっとする。思わずを抱いたわたしに総司がすり寄ってきた。


 元夫は犯罪者になれる度胸などなかった人だ。それが別の誰かとの組み合わせで、嫌なエネルギーに巻き込まれてしまったのが、あの事件だと思う。わたしを刺した隣家の奥さんだけが悪なのでもなく、二人が出会ってこそ生まれた妙な情熱にも見える。


 父の勧めをのんだのには言い分に納得もできたし、もう面倒なことは終わらせてしまいたかった、というのも大きい。関わり合いたくないのだ。


 話を終え、沖田さんが総司を大浴場に誘った。


「えー…」


 ちょっと嫌そうに総司はわたしを見る。二人で大丈夫かな、とは思うが、もうお泊り保育の経験もあり、実家でもわたし以外との入浴も慣れているはず。頷きながら促した。


「いつまでもママと一緒は、恥ずかしいぞ」


「えー」


「ママも一緒に行くから」


 着替えを用意し総司の手を引く。沖田さんがわたしは部屋の露天風呂にすればいいのに、と言った。


「うーん、一緒に行くよ」


 この内風呂もいいが、大浴場も行っておかないと何だか損な気がするのだ。


 総司を沖田さんに任せて女湯に入った。湯船につかったものの、総司が気にかかりのんびりとできない。そもそも、あの子が生まれてからゆったりのんきに湯につかったことなどないが。


 ちゃっちゃと上がり、浴衣に着替え外で待つ。これが長湯でなかなか出てこない。総司が大変だったのか…。ややじりじりし始めた頃、ようやく二人が現れた。


 総司は湯にあったまり、桃色の頬をしていた。浴衣ではなくサービスの小さな甚平を着ている。


「ありがとう。大丈夫だった?」


「ああ、こいつおとなしかったから」


 総司はサービスのジュースのパックをおいしそうに飲んでいる。子供を間に挟み、ぶらぶらと部屋へ戻る途中、仲居さんに声をかけられた。


「沖田さま、ご指定のお時間ですので、お食事をお持ちさせていただいてもよろしいでしょうか?」


「もう七時ですか、お願いします」


「では、お飲み物は何をご用意いたしましょうか? ビールは各種取り揃えております」


 彼はわたしを見てビールでいいか、と問う。頷いた。ビールが飲みたい。


「銘柄は、どこでもいいです」


「かしこまりました。奥さま、お子さまにはジュースをお持ちしましょうか? お好みがあれば…」


 奥さまと呼ばれ、たじろぐ。ちょっと言葉に詰まり「炭酸以外で」と頼んだ。


 仲居さんが離れ、すぐ沖田さんがわたしをからかった。「奥さま」に過剰反応だと笑うのだ。


「そんな照れることか? 子供もいるんだしそれ以外どう呼ぶんだ」


「だって…照れるよ。事実じゃないし」


 「男女のペアがいれば、こんな場所じゃ大抵『夫婦』で対応するだろ。明らかに不倫に見えても、『奥さま』って言っときゃ無難だしな」

 

「ふうん、よく知ってるね」


「よくも何も、普通」


「ふうん…」


「何だよ」


「慣れてるな、と思って」


「は?」


 急に走り出す総司に手を引かれ、前のめりになる。先の、照明の灯った中庭が見たいという。「走っちゃ駄目だよ」と総司に声をかけて手を離した。


「何度も来たんだろうな、こんな場所に。違う『奥さま』と」


「雅姫…?」


 何の引っかかりもない。お返しに、ちょっとからかってみたかっただけだ。


「そりゃ、行ったことがないとは言わないけど…。ここじゃないぞ」


 ここじゃないと更に念を押す。そこまで否定しなくても。


 若干乙女色の脳を持つ彼は、以前の彼女と同じ宿を今回も使うことがわたしを傷つけると思っているようだ。


 正直、同じでもいいんだけどな。そんなにデリケートじゃないし。「女連れではここ」っていう意味で定宿なのだったらやや引くが。

 

 黙っていると機嫌を損ねた風にも見えたらしい。もう一度「ここじゃないって」と繰り返すから、おかしさにふき出した。

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