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それほど、だったあなたに  作者: 帆々
それぞれに懸命

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38/70

3

 やや呆けたように立つ彼女をわたしは座るよう促した。

 

「最低だよね、ごめん」

 

 身体をソファに沈めながら千晶がつぶやく。大丈夫。わたしと夫の罵り合いの方がもっとえぐいから。

 

 そう応じると、千晶はちょっと笑った。

 

「お金は大事だよ。重く考えて当然。大人なんだし」

 

「…うん、ありがと」

 

 虚脱した風に前を見た後で問わず語りに話し出す。今の仕事に対して、積極的な気持ちになれなくなってきていること。それでも課されたノルマを果たす日々。まるで自分を機械のように感じ、張りがないこと、嫌なこと…。

 

 わたしは小さく相槌を打ち、慎重に聞いた。

 

 千晶の話は、誰にでも何にでも通じることように思えるからだ。誰にだって、それぞれ形は違えど、与えられた仕事があり、義務がある。最初充実していたかもしれないそれらが、日々を重ね、ふと重く、または倦んだものに感じられることは、きっとあるはず。

 

 それでも我慢し、何とか毎日を乗り越えていく。それが当たり前だから、大人だから…。

 

 適宜、気持ちや体調諸々を整えながら進んでいける場合はいい。でも、耐え切れなくなったとき、どうすればいいのだろう。

 

「無理をするな」と誰かが言い、「頑張るべき」とも誰かが言う。どこまで踏ん張れば、先の見通しがつくのか。自分に納得ができるのか。止めて逃げてしまいたいのか。やり通す力がほしいのか…。

 

 たとえば、そんな風にうろうろと迷う。

 

 彼女はあれを持っているから。わたしと違ってそうだから、こうだから…。他の誰かの何かを比較し、自分を不幸なヒロインに仕立てたって、同じ。みんな同じ。

 

「…言い過ぎた。今の仕事が絶対に嫌なんじゃないよ。徐々に減らしていきたい、そう思ってるの。少し、違った感じの仕事がしてみたくって…」

 

 どんな? と聞けば、千晶はそこで、ふふっと笑った。「自分の本を作りたいと思ってるんだ」ちょっと面白そうに言う。

 

「連載でも読みきりでも、イラスト一杯のエッセイみたいなのでも。写真も載せたいかも。今のわたしが作る「同人誌」って感じ」

 

 へえ。

 

 素直にそのアイディアに興味を魅かれ、相槌を打った。彼女なりのあれこれ「楽しい」が詰まった本なのだろう。聞いて、単純にこちらの気持ちが弾む。

 

「これ、雅姫が同人再開したんで思いついたの。ブランクあるのに仲間作って楽しそうにやってて、しかも売れてる。正直羨ましくて、いいないいなって堪らなかった…」

 

「そんな。所詮、素人のお遊びにほんの毛が生えた…」

 

 生活が懸かっているから。売れそうなジャンルを狙い、打算しつつやっているだけ。昔とは違う。でも、だからといって、今が楽しくないとは言えない。わたしは同人を通して描くことを取り戻し、それを楽しんでいる。

 

 わたしの返しなどスルーし「需要があれば…」と前置きをした。

 

「出すのは、季刊誌程度のペースで。『同人誌』ぽくゲスト寄稿なんかもしてもらって。そう、あんた描いてよね。そのときは、昔の『ガーベラ』を意識した表紙でやろうよ」

 

 きらり目をきらめかせ、彼女が語るそれらの夢は、現実逃避を込めた単純な希望ではなく、実現が近いのではないかと、ふと思わされる。『真壁千晶』の名があれば、多分、近くに手が届く未来だろう。気持ちさえあれば。

 

 キャリアにしっかり裏付けられた大きなネームバリュー。親友のそれに圧倒されながら、やはりしみじみと羨ましいのは事実だ。それは差ではなく、自分と立つ位置のはっきりした違い。

 

 彼女のいる場所は、きっと見通しのいい高みだ。風も違ったところから吹くのではないか。

 

「千晶の本だもん、読みたい人はいっぱいいるよ」

 

 それに千晶は「実は…」と、打ち明け話のようにつなぐ。先ほど三枝さんが当てこすって口にした「○×書館」と組んだ、彼女が望む個人誌の企画話が、ゆるゆる進みつつあるのだという。

 

 それも、その社が設けた作家を招いての食事会がきっかけだったというから、嫉妬が生んだ三枝さんの先走りだったと決めつけられない。同業種ゆえのさすがの嗅覚のようでもある。でもやはり、千晶が絡んだゆえの、妬心に根差した目線でもあるのだろう。

 

「だから、さーさんの話は妄想半分本当が半分」

 

 千晶レベルになると、物事のスケールもその進みが早くてあぜんとしてしまう。

 

 ちょっとぽかんと話を反芻していると、わたしが三枝さんのように、色恋を勘ぐっているとでもとったのか、ぺちんと肩を叩かれた。

 

「大丈夫だって。もうそんな、まっしぐらにがっつく元気ないって」

 

「疑ってないよ」

 

 確認のようにじろりとこっちをにらむから、頷いた。まだ見てる。もう一度頷く。まだ見てる。


 千晶は唇をちょんと突き出し、しっかりとした声で言う。

 

「乗ってみようかと思う、と言うか、やりたい」

 

 それにも、わたしはただ頷いて返した。

 

 彼女のチャレンジへの決意に、生々しいお金の臭いはない。稼ぐのなら、現状維持がベストなはず。三枝さんの社は、彼女の作品をハリウッドにまで高値で売り込んでくれた実績がある。

 

 彼女が見ているのはその部分ではない。三枝さんは千晶を守銭奴のように罵ったが、絶対に違う。新たな向う目標があるのだ。


『お金じゃいけないの? 不倫女に、他に一体何があるって言うの?』


 なのに、どうしてあんなことを口にしたのだろう。ちょっと鮮烈にその声は耳に残る。売り言葉に買い言葉、ととればそれまでだが。

 

 以前、千晶はわたしに「手に入らないのに…」と、不倫の恋を不毛としながらも、三枝さんへのやりきれない気持ちを打ち明けていた。

 

 ただ、悪女ぶった訳じゃない。切った方、清算したのは彼女だが、だから、無傷だというのは違う。

 

 開き直ったあのセリフには、彼女の恨みと切なさ、それに千晶らしい意地がにじんでいた。そんな気がする。

 

 だって、

 

 割り切った男女関係に味気なさを感じ出した女にとって、それを続けることに何の意味があるのだろう。

 

 何が、残るのだろう。

 

 そこまでぼんやりと考えを泳がせ、ふと切なくなった。

 

 傍らの千晶の手を何気なく握る。華奢な手指に職業病のペンだこがある。その手をぎゅっと包んで握った。小さなその手を痛々しく感じた。

 

 これまでの事情を知りながら、易々と彼女の側に立つ自分を甘く、無責任な女だと思った。

  

 でも、千晶は大好きな友だちだ。

 

「…ごめんね、ほんと、変な事に巻き込んじゃって。雅姫のことしか浮かばなかったから」

 

「ははは、友だち少ないからね、お互い」

 

「マジで。あ、お義兄さん、面白い人だね。さーさんがうろたえてるのが笑えた」

 

「うん、いい人。わたしも色々相談に乗ってもらってる。離婚のこととか…。頼りになるよ」

 

「そっか。そう、お義兄さん、あの人に似てるよね、あれ、誰だっけ。すごいビックネームの…」

 

「よく言われる、一時流行った…」

 

「ウィル・スミス!」

 

 そっちかよ。

 

 それからしばらく後、ダグが三枝さんを下まで送り、戻ってきた。廊下で古い知り合いに会ったと、楽しそうに言う。

 

「日本に来る前に、タイのYMCAで知り合ったんだけど、驚いたよ」

 

「へえ、すごい偶然だね」

 

「うん、見違えたよ。すっかり女性だった。前は、まるきりブラッド・ピットみたいだったからね。すごいね、あっちの技術は」

 

 ダグの話に、わたしも千晶も顔を見合わせた。

 

 それは、大胆なイメージチェンジを…。

 

「思い切ったんだなって、僕も彼に言ったんだ。でも、本人はけろりとしたもんだったよ。とても自由で、幸せそうだった」

 

「ふうん」

 

 一人で平気と言う彼女に従い、ほどなくわたしたちは部屋を出た。エントランスを出たところで振り返りそうになる。わずかに首をめぐらせる、その仕草を見越したように、ダグが、

 

「大丈夫だよ、彼女は大人だし。三枝さんは紳士だよ、最後のところでは」


 と言った。

 

 二人になったとき彼と話すこともあり、人となりを見たのだろう。ダグの見立ては割りと結構当たる。

 

「うん…、そうだね」

 

 駅までの道を歩く途中、テイクアウト専門の一口餃子の店に会う。あちこちで見るよなあ。よほど急テンポに展開しているようだ。

 

「あ、買っていこうよ。咲姫が好きだよ、あれ」

 

 ダグが嬉しそうに言うので、夕飯に家族分を注文する。当たり前のように、ぺろりとダグが支払ってくれ、こんなところにまで引っ張って来たのに、と申し訳なくなる。

 

 礼を言った後で思い出した。そういえば、この餃子は再会してすぐの沖田さんが、わたしに買ってくれたものだった。総司に気遣って「食うだろ? ボウズ」と。

 

 同じものをダグがくれた偶然が、何だか嬉しくて、変だけど、ちょっと胸がじんとなる。

 

 今度、千晶と会うときはこれを買って持っていこう。

 

 そんなことを、自分に約束した。

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