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それほど、だったあなたに  作者: 帆々
ビジョンの中でもがく

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7

 エントランスの他、エレベータ利用のロックも解いた。

 

 沖田さんがこの部屋のドア前に立つのに五分ほど。その間、わたしはやや火照った頬に手を当て、彼に何と応じようと考えていた。

 

 まとまらないうちに、来訪を知らせるチャイムが鳴る。確認だけしてドアを開けた。

 

 彼は会社帰りか、いまだスーツのままだった。その姿でわたしが開けたドアから、断りもなく身体をこちらへ入れてきた。

 

 だが、靴を脱いで中には入ろうとせず、

 

「呼んでくれ」

 

 と短く部屋の奥を顎で指し示した。

 

 呼んでくれ?

 

 誰を?

 

 意味がわからない。来るなりこっちを見ようともしない彼へ、声をかけた。

 

「千晶なら、いないよ」

 

 声に、彼が視線を向ける。わたしを認め、ぎょっとしたように目を瞬いた。

 

「雅姫か…、何でお前…」

 

「遊びに来たの。千晶なら、さっき出かけたよ」

 

「どこへ行った?」

 

「知らない、すぐ帰るようなこと言ってたけど…」

 

「ふうん」

 

 沖田さんはちょっと思案するように瞳をさまよまわせている。

 

 さっき彼は、わたしを千晶と間違え、「呼んでくれ」とそんなことを頼んだ。彼女に会いに来たのではないようだ。千晶の他に、ここに誰がいるというのか…。

 

 むっつりとした横顔でちょっと苛立ったようなため息をつく。彼はポケットのケイタイを出し、着信がないかを確認してすぐしまった。

 

 電話を待つ相手は、千晶のような気がした。

 

「すぐ帰るって言ったんだよな?」

 

 確認するように問いながら、彼は靴を脱いだ。勝手知ったる千晶の家を、当たり前のようにリビングに入っていく。

 

 彼女の留守に家に上げていいのか、迷う間もなかった。そもそも、突然の彼の登場に虚をつかれたとはいえ、わたしがここまで入れてしまっているのだ。今更、しまったと悔やんでも遅い。ごめん、と胸の中で千晶に詫びた。

 

 リビングのソファには彼女が脱いだきりになっている部屋着があった。それが目に触れないよう、慌てて手に取った。簡単に畳みながら、隣室にそっと投げ入れる。

 

 沖田さんは上着を脱ぎソファに掛けた。目を抑えるようにぐりぐりと押している。ちょっとお疲れのようだ。


 わたしは何となく立ち位置に困り、落ち着かない。気づいて、エロBL落書きを、まとめてテーブルの下に片づけた。

 

「車だからな…」

 

 彼の声に顔を上げれば、惜しいようにワインのボトルを見ている。息抜きに一杯、といきたかったようだ。ワインが彼の手土産なのを思い「おいしかったよ」と言った。それに、きょとんとした顔をする。


「沖田さんから、でしょ? それ、千晶が言ってたよ」

 

「ああ、あ…、そうだったか、あれか…」

 

会話が、そこでふっと終わる。


 意外な場所で、不意に会ったためか、互いにぎごちない気がした。こんな時間にどうしたのか。「呼んでくれ」と言ったのは誰のことなのか…。問うべきことはあるが、口にするのは彼の言葉を待ってからでいい。

 

 そう感じるのは、彼の目当てが千晶ではないことがわかったから。先ほどの嫌な気分はするりと緩んでしまっている。

 

 短くもない間の後でやはり知りたくて。「どうしたの?」と声が問いが出る前に、彼が先に聞く。

 

「いろはに言っといた」

 

「ん?」

 

 同人の話だと思った。でも、変だ。イベントややBL同人誌の件なら、兄の沖田さんよりいろはちゃんがずっと詳しい。

 

 わたしを見て、彼がちょっと笑った。テーブルのチョコを取ってぽんとこちらに投げて寄越す。

 

「俺たちのことだよ」


 え?!


 言葉に一瞬で頬が熱くなった。多分ぽかんとしていた彼への視線を逸らした。盛大に照れつつ口を開く。出てくるのは羞恥にまみれながらの文句だ。

 

「何で言うの?」

 

「言わなきゃ、始まらないだろ? 隠すことでもないしな」

 

「だって、もっと後でもいいじゃない」

 

「後って、いつだ?」

 

「もうちょっと後だよ…」

 

 せめてわたしの離婚がまとまる頃でもいいじゃないか。図らずも、義兄のダグには打ち明けることになったが、肝心の夫には離婚のりの字すら話していないのだ。周囲に報告するには、もう少し新生活への目鼻がついてからにしたい。

 

 わたしの返事に、彼があきれたような吐息をもらすのが聞こえた。

 

「何だよ、「もうちょっと」って。お前、俺とやっていく気があるのか?」

 

「そんなせかせかしなくたって…」

 

 彼を前にこぼしたが、今の状態のままでいる訳にはいかない。相手があるのだ。その人を巻き込んだ以上、悠長なことを言っていられないのも事実だ。夫との話し合いすら持ったことがないわたしを、彼が不満に思うのも当然だった。

 

「お前に任せていたら、何年かかるか、わかったもんじゃない」

 

「何年かかたって、いいじゃない」

 

「あ?」

 

「うそだよ」

 

 むつっとわたしを見ている彼へ、明日にでも夫へ話を切り出すことを告げた。彼はそれに黙って頷いた。

 

「いろはちゃんは、何て?」

 

 正直、彼女の反応はどきどきだ。同人上での友達でしかなかったわたしが、いきなりお兄さんと恋愛関係にあるというのだから。驚きもあろうし、何より…、

 

「反対はなかった。びっくりしてたみたいだけど。お前の身辺がきちんとした上での話なら、応援すると言ってた」

 

「ほらほら」

 

 まず、わたしが既婚者であることへ言及する辺りが、理性的でちゃんとした彼女らしい。そんな彼女へは、やはりこちらの身の回りを整理してからの報告が好ましかったのに。

 

 やみくもな反対がなかったのを、ほっとするしかないが。

 

「何が、「ほらほら」だ?」

 

「…しっかりした妹さんだね。他にいろはちゃん何か言ってなかった?」

 

「「飲みながらBL萌え語りができる!」って、喜んでたな。そう、あいつ、最近BL、BL相当うるさいぞ。大体、お前の、高杉晋作がノーテンキな同人誌読んでからはまっ…」

 

「ああ、はいはい…」

 

 いろはちゃんの最近の同人の好みが、BLに偏ったのはわたしのせいで、そこからのごく自然な流れで、幕末の志士たちに興味が出てきて、何でもかんでも彼らをBLカップルに仕立てるようになり、先週も同人友達と日帰りで京都に出かけ、伏見を散策し、三条大橋を七往復し、壬生にも足を延ばして、「土方さま~、高杉さま~」とうっとり幕末に思いをはせ、妄想いっぱいの腐乙女旅行をするようになったのも、わたしのせいらしい。

 

 はあ、そうですか。

 

 お兄さん、あなたが知らなかっただけです。いろはちゃん前から腐の要素あったって。

 

「上手いBL描きは、本人がそこまでやおい好きじゃないのが多いよな」

 

 沖田さんは、暗にわたしがそうだと言っているようだ。そりゃ「大好き」というのでもないが、描いたり読むのには何の抵抗もない(ソフトなら…)ジャンルだ。

 

 沖田さんが「お前のノーテンキな同人誌」とけなした初の幕末BLモノを描くにあたり、メインキャラに据えた人物や背景についてはそれなりに調べた。ごく浅い偏った見方ではあるが、個性や雰囲気を抽出したつもりだ。そうやって自分流にキャラ作りをした。

 

 だから、そうディープなものではなくても愛着はある。特に高杉晋作は、調べている最中から際立った逸話に彩られた人生や人となりに「へえ」と魅かれているのだ。BLとは関係ないが…。

 

「そうかもね。好きが走り過ぎちゃうと、話がぐだぐだになっちゃうかも」

 

「冷静な作者が描いたものが、中毒者を増やして拡散させていくのか…。「ヤクの売人に、中毒者はいない」みたいな構図だな。なるほどな」

 

 沖田さんは、そう変な納得をしながら笑った。

 

 誰が、「ヤクの売人」だ。

 

 ひどいたとえをしていながら彼の指摘には毒がない。いつか、夫にちらりとBLのラフを見られたことがあった。「気持ち悪い」とつぶやかれたあの反応と比べるまでもなく、差別的な軽蔑を感じない。

 

 だからといって、夫の態度を責めるつもりはない。自然なものだろうし、受け付けない人にとって鬼門であるのは確かだろうし…。

 

 こんなことを、今頃ふと思い出してしまうのは、きっとわたしが、それを根に持っているからだ。

 

『BL』云々ではなく、懸命に家計のため取り組んでいたわたしの姿勢を馬鹿にされたように感じているからだろう。

 

 それにわたしはきっと傷ついたのだ。多分、自分がそのとき感じた以上に。

 

 テーブルの栓を抜いたワインに、コルクで蓋をして、冷蔵庫に戻した。何気ない声を作り、戻りながら、

 

「沖田さん、BL嫌いでしょ?」

 

「好きでもないがメシの種だからな。読む必要があれば読むし、それに抵抗はないな」

 

「ふうん」

 

 わたしはあくび交じりに答えた彼を見た。思いがけず、じっとりと見ていたようだ。うかがうような声が返る。

 

「何だよ?」

 

「別に…」

 

「言っとくけど、いろはの本を借りて読むようなことはしてないぞ。読むのが苦にならないだけで、趣味にはなってないからな」

 

 わたしが彼を『腐男子』と誤解していると感じたのか。否定に力が入っている。それがおかしい。

 

 この人にはわたしの描くものへの見下しも、侮りもないのだろう。

 

 そんな彼を見ていて、ちょっとほのぼのと思う。


 この人が好きだ、と。


 褒めてくれなくてもいい。好きでいてくれなくても構わない。ただ、軽蔑と批判を避けてくれるほどの思いやりと許容がほしい。嘲った意見を乱暴に突きつけられて、嬉しがる人など誰もいない。

 

 狭量で、わがままなのかもしれない。でも、わたしはごくそばにいる人には、そんな優しさを願う。

 

 懸命に真剣に、作品を描いているのだから。

 

「何、笑ってんだよ?」

 

 いつの間にやら、口元が緩んでいたらしい。


 心からこぼれた意味ある笑みなのに。まだ自分への当てこすりに取っているのか、ちょっとふてくされた表情をした。

 

 わたしは首を振り、


「沖田さんがBLに理解のある人でありがたいな~って、思ってるだけだよ」

 

「俺は年季が違うからな」と笑いながらも、ちょっと照れているようなのがわかる。大人の男の人の可愛げって、もしかしたらこういうことを指すのかもしれない。

 

 わたしはそこで膝に乗のチョコレートを頬張りながら、聞きたかったことを口にした。


「ねえ…」

 

 さっきから気になっていた。なぜ、こんな時間に沖田さんが千晶を訪ねてきたのか。「呼んでくれ」とは、誰を指すのか…。

 

「千晶、出かけるとき、特に何か言ってなかったか?」

 

 彼はわたしの問いには直接答えず、逆に訊いてくる。ちょっとはぐらかされた気になった。


「電話がかかってきて、その後すぐに出て行ったから…。その相手に会うんじゃないかと思う」

 

「きっと恋人だと感じた」とかそういったはっきりしないことは、千晶のプライバシーだ。言いたくなかった。


「ふうん。電話、どんな様子だった?」

 

「知らない。総司の様子を見に行ったから」


 この日は子供も連れここに泊まりに来ていることを説明した。隣の部屋に寝かせてもらっていることも。

 

 沖田さんは「え」と隣りの部屋に視線を流した。ほどなく目を戻し、「ふうん」と何についてかそんな声を出した。

 

 わたしは焦れて彼にチョコを投げた。

 

「何なの? 意味ありげにしないでよ。教えられないことなら、これ以上は聞かないけど」

 

「…いや」

 

 沖田さんはうつむきながら首を振り「雅姫なら、いいけど」とつぶやくように言う。わずかな間ののち、彼が口を開いた。

 

「長いんだ、もう千晶。三枝さんと」


 は?


 何が長いのかすぐにはわからなかった。短い沈黙の後だ。やっと答えに辿り着き、思わずわたしは声を出してしまう。


「あ!」

 

 それほどに驚いた。意外だったのだ。

 

 こちらを見る沖田さんと目が合ったところで、彼はおかしいのかくすっと笑った。

 

「聞いてないのか、あいつから」

 

「聞いてないよ」

 

 無意識に首を振りながら答えた。もうちょっとワインが進んで時間が遅くなった頃には、彼女も切り出してくれたかもしれない。わたしだって離婚を考えていることを話したに違いない。

 

 気を置けない仲だったとはいえ、会わない十三年のブランクがある。ふざけたBL話で笑い合い、互いの感情がほぐれ始めた段階に、あの電話がかかってきた…。

 

 三枝さんとは沖田さんの上司だ。彼の勤務する大手出版社の副社長と聞く。わたしも『ガーベラ』時代には面識があった。あの頃気さくなナイスミドルであったその人をおぼろに思い出す…。

 

 千晶は今、その社の雑誌で幾つか連載を持っているはずだ。

 

「長いって、いつから?」

 

「もう、十三年にはなるかな…。そんなもんか、きっと」


 え…。


 二度目の驚愕は、多分一度目を超えた。十三年前と言ったらまだ『ガーベラ』をやっていたか、辞めて間がないか…、そんな頃合いになるのだから。

 

「てっきり、お前が知ってると思ってた」


 わたしはしばらく声も出せず、うつろに首を振るばかりだ。驚きが峠を越し、事実をのみ込んだところで、


「沖田さん、知ってたの?」

 

「そりゃ、直属といっていい上司だし、千晶の方もよく知ってるからな…」


 相槌も忘れて聞きながら「そりゃ、そうだ」と胸の内で頷いた。多分、二人のために便宜を図ったこともあったのだろう。彼が気安くこの部屋を訪れる理由が、ただの親しさだけではないのだ、と腑に落ちた気がする。

 

 たとえば、今夜のように…。 

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