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それほど、だったあなたに  作者: 帆々
ビジョンの中でもがく

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3

 千晶とアンさんが帰り、わたしと咲夜さんはほどなくイベントの撤収作業にかかった。片付けに手を動かしながら、咲夜さんが問う。


「姐さん、あの千晶様とお会いになるのは、本当に十三年ぶりなんですか?」


「そうだね、電話やメールはその間にあったけど…。直接会うのはそうなるかな」


 それに彼女は感心しきりだ。わたしと千晶の雰囲気に長く会わない時間を全く感じなかったらしい…。


 返事のしようがなく「そうかな?」とぼんやり受けた。


「失礼ですが…」


「ん?」


『ガーベラ』解散後、そこからの延長で千晶のみが大きく名を上げた。普通そういった場合、いずれからかいつしか齟齬が生まれ、不仲や疎遠になるのが多いんじゃないか…。そういう元同人作家の話も聞く…。と、咲夜さんは言う。


「だからすごいな…って。お二人はそんなにブランクがあるのに、しょっちゅう会ってるみたいな雰囲気で、自然でウマが合ってて…。それってやっぱり…」


「友達少ないからね、お互い。ははは」


 不要なダン箱を整理し終え、余ったチラシをバックに詰め込んだ。本が売り切れると、帰りが身軽で本当に助かる。実入も大きくなるし気持ちも浮き立つ。


 咲夜さんは清算した売上金を約束通り、潔く六割わたしに渡してくれた。その後で、ためらいがちに口にする。


「こんなこと聞ける立場でもないんですが…。無礼を承知で。姐さんは千晶様をその、羨ましく思ったり…、とかはないんでしょうか? 同じ『ガーベラ』であの方だけが…、その、すみません、こんなこと…」


「羨ましいよ、素直に」


 わたしがイベントのためにかけた作品準備や諸々の時間はどれほどになるか。それでやっと得た売り上げを、千晶ならおそらく数十分で楽に稼いでしまえるだろう。その歴然とした差に羨望がないと言えば、絶対に嘘だ。


「え」


「専業で同時に始めてからしみじみ思う。稼ぐだけあって、プロってすごいね。描きたいものをいいだけ描けば済むってもんでもないし。好きだからだけじゃ通用しない部分…」


「そういうことじゃなくて」


 咲夜さんが遮った。ためらいがちにつなぐ。


「…不公平とは思われないんですか? 狡い、とか。お一人だけがその…」


 もどかしげに問うその意味はよくわかる。彼女の興味の奥には、この日あった元仲間たちとの忘れ難いトラブルが見える気がした。同人・友情・格差…。わたしと千晶の間にこういった共通項を感じるのかもしれない。


「「不公平」とか「狡い」とかは思わないな。そんな理由ないし」


「またそんなけろりと…」


 椅子に掛け、まだ盛況のイベント会場を眺めながらうちわを使う。どこかの銀行で配っていたやつだ。顔に送るぬるい風に咲夜さんの重い吐息が混じるような気がした。


「それは姐さんがお偉いから…。わたしだったらきっと思う。悔しいとか憎たらしいとか…」


「偉くなんかないよ」


 ぽつんと返し、ちょっとためらう。生ぬるいペットボトルのお茶を口に含んでから話しだした。


「大学入ってすぐに母親が亡くなってね…、子宮系の病気だった」


 突飛なわたしの話に、咲夜さんはきょとんとした顔を向ける。その目を受け、頷く代わりにやんわりと逸らした。


「家庭に母が欠けても、姉がいるから。わたしはその姉に甘えて、同人やったり好き勝手に過ごしてきたの。そうして四年のときだ、わたしにも母と同じ病気の予兆が出てきたの」


「え」


 適当な相槌ではなく話に聞き入っている。それが咲夜さんの豊かな表情の変化でわかる。


「子供が産めないかも、って医者に言われた」


 話しながらどうしてこんな打ち明け話をするのか…、とおかしく思う。あれこれ派手な印象の咲夜さんには、きっと聞き上手の素質があるのだろう。


 幸い早い段階で治療に入れ、手術と投薬で治すことができた。しかし担当医からは、将来子供を望むのならすぐにでも不妊治療を始めることを勧められてしまう…。


 単に婦人科通いが予定に増えるだけではない。妙な不安と薄暗い靄が気持ちのどこかに居座って、去らなかった。


 学業ぼちぼち、同人どっぷりの甘えた生活を送ってきた身だ。そこにぴしりと鞭を打たれたような気分だったのを覚えている。


 まだ若く社会経験もない。精神的にも幼い。子供が欲しいかなんてちゃんと考えたこともなかった。なのに目の前に突きつけられることで、まだ未熟な母性がじくじくと痛むような気もした…。


 要らない、とは言い切れない。そこから「いつか欲しい」へ流れた。医師が勧めるよう「なるべく早く欲しい」に気持ちが変わる。何かがころころ下へ落ちるように滑らかで、そして早かった。


 その頃、今の夫と高校時代の友人を介して出会った。二つ年上の社会人で、近く遠方へ転勤が決まっていた。できればそろそろ結婚し、その相手を転勤先に伴いたいと考えていることも知った。


 あつらえたようにいろんなものがそろい出す中、プロを目指す意識にブレのない千晶との夢の温度差を感じ始めてもいた…。


 端折りながらそれらをつらつら語った。


「描くことを放り出したのはわたしの方だよ。卒業や千晶のデビューもあったし、お互いに目処がついたって感じできりがよかった。『ガーベラ』を止めたのはわたしの都合って部分が大きいから」


 千晶はそれを認めてくれ、彼女自身は自分の選んだ道を進み、貫いた。結果、今がある。それをわたしがのちの成功だけを見て、「狡い」だの「不公平」だの思ったり口にするのはおこがましい。その意味もわからない。


 咲夜さんはわたしの過去話に応える言葉を探しあぐねているようだ。別に、これという反応が欲しくて話したのではない。ただ的外れに「偉い」だの「すごい」だの褒められるのがこそばゆかっただけ。


 それに、彼女の望むはずの答えにもそぐわないだろう。


 短い沈黙の後でわたしは腰を上げた。「そろそろ出ようか?」と撤収の声をかける。一拍遅れて、咲夜さんがはいと返事をした。


「でも…、姐さんは偉い」


「は」


 まだ言ってる。


「ブランクがあっても、やっぱりまた描き始めてるじゃないですか」


「もう好きだけで描いている訳じゃないよ」


「…やっぱりすごい。おそばで見ていて思いますもん…」


「咲夜さんこそジャンルの最大手サークルじゃない。オリキャラも人気あるし。わたしはその咲夜さんに便乗させてもらってるだけだよ」


「格が違うっていうか、もう…。さすが、お寺さんのご出自だけ…」


 だから寺は関係ないっつーの。


「徳が…」


「ないない」


 わたしの弁がどれほど耳に入ったのやら。スペースを後にしながらも「姐さんとご一緒できるのは、夜叉神咲夜一生の幸運と…」などと大げさにぶつから、聞いててこそばゆいどころの騒ぎじゃない。全身がむず痒い。


 もういいよ、本当に。


 例の小っ恥ずかしい『クールジェンヌの君』が出ないだけ、まだマシか。うちわの柄の部分でうなじをかいた。


 咲夜さんは元メンバーたちのスペースを素通りした。その後も何も言わない。気づかなかったはずはないだろう。律していたのかもしれない。わたしも言及して蒸し返す気などさらさらない。


「ねえ、あれあれ」


 ふと思い立ちフードブースでクレープを食べようと誘った。それに彼女は「はいっ」と応じてくれる。「姐さん、何にします?」。


 いちごクリーム、咲夜さんはあずきクリームだ。


 二人でそれをぱくつく。小さい子供がいると買い食いする機会もままあるが、大人同士だと雰囲気が違う。ごく気軽で、童心に帰るようなちょっとそんな感じだ。また、楽しい。


 浴衣の女が二人、口をもぐもぐさせながらいてもちっとも浮かない。もっと派手に奇抜にコスプレした人も大勢だし、まさにお祭りの異空間だ。


 咲夜さんが今日を振り返るように言う。


「千晶様も楽しそうにしていらっしゃいましたね。しかし、わっかいな、あの方」


「そうだね、昔とあんまり変わらない」

 

 身体は細身なのに頬のあたりはふっくらとみずみずしいまま。忙しいだろうに。疲れや不調や何やかや…、顔に出やすいわたしとは違う。


 この日の千晶の愉快そうな横顔が鮮やかに浮かんだ。久しぶりのイベントだ。人に空気に、よみがえる思い出に、表情はくるくると変わりつつも楽しげに弾んでいたではないか。


「あ、いや、もちろん姐さんもお若いっすよ、おきれいですよ。間違いなく、お忘れないく!」


「あはは、フォローありがと」


「どうぞ、何もかも憧れたままでいさせて下さい」


 目の前のことをこなすの目いっぱい、手いっぱい。そして、夫ではない人から届いた『千秋から聞いたぞ。完売おめでとう』のメッセージに、ふふっと笑んでひっそり心を躍らせている…、そんな女だ。


 憧れにしてもらうには、安っぽい。底が浅過ぎるよ。


 人波を抜けるとき、タバコの匂いがした。それで少し前の違和感を思い出す。千晶がわたしに耳打ちしたときにも、同じような匂いを感じた。


 大したことではない。喫煙は大人の自由だ。


 でも、


 嫌い、じゃなかったっけ…。タバコ。


 そなんことがしっくりこず、胸に小さな泡を作るように思う。割れないそれが、彼女に会った嬉しさの中でぷかりと浮かんで漂う。



 帰宅したのは三時半を過ぎた頃だった。夏時間のことで、暮れるにはまだまだ余裕がある。


 風邪の総司が気にかかり急いてはいたが、途中アイスクリームを買ってきた。どんなときでもこれだけはよく食べるから。


 玄関を開け、荒く草履を脱いだ。しんと静まり返っている。留守番の夫も総司と一緒に寝転んでいるのだろう。


 リビングに入って室内の温度にはっとなる。冷房が効き過ぎ、外に慣れた身体に肌寒いほどだ。すぐにクーラーを弱めた。


「エアコンの温度に気をつけてって…」


 念押しの電話もかけた。つい愚痴が出る。


 総司は部屋の中ほどのソファの下にうずくまって眠っていた。その姿に、何を考えるよりも身体が動いた。ぐんにゃり弛緩した総司を抱き起こし、ぐるりと室内を目で追う。夫がいない。


「ねえパパは?」


 そうつぶやいて頬に触れた。ひどく熱い。明らかに風邪は悪化していた。夫はどうしたのか。


 日曜日だった。休日も診療している医院に連れて行くべきか、様子を見るべきか…、迷った。とりあえず熱を測ろう。薬箱から体温計を出した。


 そのときそれが目の先にあった。チラシの裏に書かれた夫の字のメモだった。


『面接が入ったので出てくる』。


 一読で覚えてしまえるほどの文。それが目をなぜた瞬時、頭に血が上るのを感じた。一体、いつから…。


 具合が悪いと知りながら、どうして子供を一人にして出かけられるのだろう。しかも、あんなに冷房を強めていく理由がわからない。あれほど注意して、と頼んであったのに。


 日曜にこんな急に面接の予定ができるなんて…。


 総司に体温計をあてがい身体を抱いた。そうしながら怒りがふつふつわいてくる。片手でいらいらと帯を緩めた。チラシの文言が嫌でもちらちら浮かんで消えない。


 ピピッ。電子音に体温計を外す。熱は三十八度五分。予想はしたが高さにため息が出た。これから夜にかけ、更に上がるのかもしれない…。


「総司、喉渇かない? 大丈夫? アイス食べる?」


「う…」


 総司は熱のだるさにぼんやりとしている。それでもアイスの誘惑には迷うように見えた。その顔を見ながら涙ぐみそうになる。


 ごめんね、ままが放っておいて…。


「食べる、ちょっと」


「うん」


 アイスを与えておいて、その隙に動きにくい浴衣を慌てて着替える。再びリビングに駆け戻ったとき、憎ったらしいあのメモがまた目に飛び込んだ。


 それを引っつかむやぐしゃぐしゃにつぶし、ごみ箱に投げた。それで夫への腹立ちが消える訳もないが、少しだけ頭が冷えた。総司を前に、考えたくもないことはわきやっておきたい。


 そんなとき電話が鳴った。



 電話は実家からのものだった。いただきものの野菜があるので今から持って行ってやろう、ということだ。もらえるものは何でももらう。


「ちょうだい、ありがとう」


 簡単に通話を終え、電話を切った。


 遅々とだがアイスは食べている。食欲はあるようだ。その総司を眺めながら、病院はもうしばらく様子を見ても…、と考えた。


 それからほどなく玄関のチャイムが鳴った。実家からにしては早過ぎる。いぶかりながらインターフォンで対応すれば、隣りの安田さんだ。ご主人なのが珍しい。企業の管理職と聞く五十歳ほどの人で、挨拶程度のつき合いしかなかった。


「これ、高科さんのところのじゃないですかね?」


 そう言い、彼が手にするのはディズニーキャラクターのタオルだった。我が家の物干しから風で飛ばされてきたのだろう、という。


 一瞥して覚えのないものだとわかる。違うようだと伝えた。それにあっさりタオルを引っ込めた。


「そうですか、お宅だと思ったんですが…。よそから舞い込んだのかもしれませんね」


「そうですね」


「子供向けのようだから、てっきり小さいお子さんのいる高科さんのお宅のものだとばかり…」


 安田さんの家にも高校生くらいの女の子がいる。「娘さんのものでは?」と聞きかけて止めた。うちはその後だろう。


 やはり子供の話が社交辞令のように続く。うちの総司の声が子供らしくにぎやかでいい、と。


「すいません、うるさく騒ぐときもあって…」


「いやいや、そんなんじゃ。小さいときはとにかく手がかかりますが、後から思えばほんの短い間ですからね。うちは女の子というのもあってか、もう父親になんぞ近づきもしませんよ。男の子はいいですね、男親にとっては特に」


 リビングの総司を気にかけながら「あら、女の子はやっぱり可愛いですよ」とありきたりな相槌を打った。


「ご主人も男の子が相手だと、遊びにつき合うのもより楽しいでしょうね。キャッチボールだのサッカーだのも、すぐできるようになる」


「はあ、そうですね」


 思いがけず会話が続き、もて余しはじめた。そろそろ総司の風邪を理由に切り上げようか…、そう思ったとき、


「ご主人は? 坊やと外ですか?」


 こちらを探るような声に聞こえた。意外さと不快さがふっと胸に兆す。夫のことは省き、総司が風邪で寝ていることを告げた。


「ああ、それはご迷惑でした。すみません」


 安田さんは我に返ったように頭を下げた。すぐに辞去してくれた。「お大事に」と。


 玄関のドアを閉めほっと息をついた。


 身なりも態度もごく普通の男性だ。タオルの早合点が気まずくて、ついあれこれ言葉が出たのだろう。けれども、夫の在宅をたずねる口調だけが生々しく、ちょっと耳に残る。


 なぜだろう。


 もしかしたら、どこかで出かける夫を見かけたのかもしれないし…。


 そんな軽い疑問も、総司を子供部屋に寝かせるなどし動くうち薄れて消えた。散らかった部屋をざっと片づけ、浴衣の始末をし終えた頃、またチャイムが鳴った。インターフォンには軽く笑う義兄の顔が映った。

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