2
昼をまたいでじき、本は売り切れた。
今回は咲夜さんとの合同誌ということで思い切って刷ってある。その快挙に撤収の支度も忘れ、ぼうっと放心する。
何やかんやあったが、イベントを早々に店じまいできる好成績だ。我ながら「ハナマル」を差し上げちゃってもいい。
立ちが続き腰は重い。でも気持ちは軽い。後片付けを始めたとき、スペースの前にお客が現れた。『売り切れ』の簡単なポップは出してあったが、咲夜さんが説明している。わたしは屈んでダン箱の始末をしていた。
「申し訳ないです。ご好評につき、全て完…」
「ふうん」
「これにて閉店と…」
「そう」
彼女の説明を適当に流しながらお客は立ち去る気配がない。遠征の人なのかもしれないな、とぼんやり思った。目当ての本が完売しあきらめ切れず、立ち去りがたくそうしているのかも…。
「あのせっかくですが、差し入れは仲間内だけと、皆さんにお断りしているんです。申し訳…」
ちらりと顔を上げると、女性客の服のリバティープリントが目に入った。ケーキ風の小箱を手にしているよう。
「え、『ニ千疋屋』のなのに?」
「どこの品というのではなく、皆さん一律に…」
「だって、並んで買ったんだよ」
お客の声のトーンは館内のざわめきに紛れながらも、のんびりと間延びして届く。
「ですが、それはこちらが…」
「『ニ千疋屋』の、おいしいよ? 値も張るし」
あの押しの強い咲夜さんが翻弄され気味なのが意外だ。ひょいと首を伸ばしながら立ち上がる。
女性は、可憐な小花柄のプリント地の肩にごく薄いアイボリーのショールを流している。柔らかくウェーブした髪がくるんとそこにそろう。
それは、
千晶だった。
目が合えば、ふふんと微笑むように口元を緩ませる。
「よ」
「うん」
たったそれだけが十三年ぶりの再会の合図だ。
千晶は虚をつかれた様子の咲夜さんに、手の箱を押し付けた。視線があちこちにさまようように落ち着かない。
随分と久しぶりに彼女の姿を生で見るが、昔とどこが変わっただろう。小柄で華奢なところは相変わらずだ。ちんまりと整った愛らしい顔の上にも、当たり前の年月を見るだけ。
ただ、超売れっ子の証か、手首に高そうな時計がある。これは往時にはなかったものだ。それが飾る手指が数々の大ヒット作を生み出してきたのだと思うと、違和感などない。しっくりとくる。
「懐かしいね」
つぶやきながら千晶の視線はまだ定まらない。メジャーの第一線で頑張る彼女に、同人イベントなどは縁がなかっただろう。
と、商品がなくなり空いたテーブルにぽつんと載る合同紙の案内チラシに目が落ちた。
千晶を訝しげに見る咲夜さんに、旧友だと伝えた。真壁千晶のビックネームは出すべきか迷ったので止めておいた。
「姐さんのご友人ですか。知らず失礼をいたしました。わたし。サークル『サクラ塾』の夜叉神咲夜と申します。姐さんには多大な…」
咲夜さんの自己紹介に構わず、千晶はチラシから目を上げた。わたしに話しかけた。
「BL描くんだ、本当に」
「…うん、始めたばっかりだけどね」
「ノーマル描くより雅姫に合うんじゃない? 聞いても全然違和感なかった。あんたの描く男の子かっこいいしね、いいよ」
「そうかな…、ありがと」
千晶はふと咲夜さんに目をやり、ちょこんと横お辞儀をして見せた。
「雅姫がお世話になります。この子面倒くさがりでずぼらなところあるけど、根は真面目だから。実家お寺だし」
「寺は関係ない」
「え?! 姐さん、ご実家お寺さんなんですか? うわ、お人柄に徳があると思ったら、やっぱり。…そうですか」
いや、いや、いや。
一体どこからそんなものを…。これっぽちもありませんから。住職の父にすらあるか怪しいところだ。
「徳? 何それ。あははは」
千晶はおかしがってけらけら笑う。
「昔、イベントの朝食に鯖寿司が買えないと荒れてたよね。あれはまだ徳が開花する前だったのか…」
うるせーよ。
笑いのしまいに「姐さん、本一冊も余ってないの? 欲しい」。
千晶が咲夜さんの「姐さん」を真似るが、突っ込むのも面倒でスルーした。
「売れちゃった」
「一冊も? プレミア読者用に残ってないの?」
わたしの手元にはもう一冊も残っていない。生原稿があるし、出したごとに記念で取っておくというタイプでもない。そしてプレミア読者などいない。
残念がる千晶に、咲夜さんが「よろしければ…」と、差し出した。
「印刷所に見本二部もらってあるんです。後で姐さんにお分けしようと思って」
「ほらあるじゃん、プレミア用。隠すなって」
まんまと咲夜さんから一部せしめ、ぱらぱらと開いている。その様子が楽しげで興味深げだ。社交辞令に旧友の同人誌を欲しがっただけには思えなかった。
互いに知り尽くしているはずの友達。でも長いブランクもある。そして、何より彼女はあの真壁千晶だ。
狭いスペースで椅子も勧められない。そんなことが申し訳なく、立ったままページを繰る彼女にわずかに臆していた。イベント会場のことなら、千晶だって熟知しているのに。
この妙な気まずさは、今の彼女が今のわたしの描くものを、読者の立場で見ていることの照れと、どこかしらのひるみのせいだろう。
代金不要という咲夜さんの言葉に「ありがとう」と千晶は本をバックにしまった。
「帰ってから熟読しよう。ふふ。ねえコメ要る?」
「いいよ。いろいろ批判は自分でわかってる」
「相変わらずだね。わかってて直さないんだから」
「努力はしてるよ、それを覚えてたらね」
「久しぶり。その投げやりさ、大好きだわ。あはは」
そこで千晶がつなぐ。
「それでよく沖田さんに叱られてたじゃない?」
不意に出た彼の名にどきりとする。
「「お前やる気あるのか?」「鯖寿司のことばっか考えてんじゃねえよ」って。雅姫がやたらパンチ食らってたね」
鯖寿司…。
何でこうまでわたしの『ガーベラ』話に鯖寿司ネタはついて回るのか。そりゃ好きだけど。焼いたのも酢締めのも。
そういえば、千晶はどこでこの日のイベントを知ったのだろう。わたしがBLを描いて参加すると、どうして知ったのだろう。もちろんネットを見たのかもしれないが、何となく腑に落ちない。
彼から耳にした、という方がしっくりとくる。仕事上、二人は今も付き合いがあるのだから…。
「沖田さんから?」と何気なくそう聞こうか、とちょっとだけ迷った。その間に千晶が答えをくれた。耳にしてすぐ聞かなくてよかったと、羞恥混じりに安堵する。
「仕事場にうちらの昔のファンがいて、その人が今日のイベントのこと言ってたの」
「ふうん」
「その前に沖田さんからもちょっとだけ話あったけどね。「雅姫のBL読んだか?」って。知らねーよ。「何だ、お前、もらってないのか? 扱いが知れてんな」だと」
「あははは、ごめん」
変わらない千晶の言葉や声音に笑いながら、今更の無沙汰を詫びた。そうしながら、飛び出した彼の名にひっそりと胸が鳴る。
沖田さんが知っているのは、同人好きの妹さん経由のため、と断りを入れた。
「別に隠してた訳じゃないよ。千晶に送るのおこがましくって。…あのとき勝手に辞めておいて、こんな今更だし。敷居が高かっただけ」
「気にしなくていいのに、そんなこと。…三枝さんに「パッと咲いてパッと散る」って、ピンクレディーによくたとえられたな。知らないって」
ピンクレディーは散ったきりじゃなく、また再結成するけどね。ちなみに、三枝さんとは沖田さんの当時の上司で、今社の副社長を務めるという。
「本当今更の復活だけど、『ガーベラ』の名前にはつくづく助けてもらってる。特に看板にはしてないけど隠してもないし…。合同誌に誘ってもらえたりするのも、たっぷりその恩恵」
「おお、使え使え」
そこでやんわり袖が引かれた。咲夜さんだ。すっかり外野の彼女にちょっと悪かったな、と思う。半開きの唇が何か言いたげだ。
「あの姐さん…、もしや、あの…」
「ん?」
そのとき別な声が割り込んだ。
「千晶さんじゃない?」
スペース前に目を戻せば、アンさんがいた。今日は白地にテディベア柄のふわっふわのワンピース姿だ。目にしみるほど華やかだ。
すっと千晶の前に立ち、しげしげと眺めている。
「そうだけど…。ええっと、あれ? …っと…」
すっかり忘れている。わたしはその声に「アンさんだよ」とかぶせた。千晶は如才なく、
「ああ、そうアンさん、アンさん。久しぶりだね…」
と合わせる。『ガーベラ』時代親しくしていたのでもない。覚えていなくても仕方がない。
しかし、初対面の咲夜さんへの対応といいアンさんへの応え方も、往時より人慣れした感がある。人気漫画家という特殊な職業とはいえ、長く社会人をしている。人見知りだった千晶の当然の変化に、年月をちょっと思う。
わたしにも昔とは違うそういった面がきっとある。それは自分の手で生活を送るゆえの「すれ」でもあろうし、いい表現なら「こなれ」でもあるかも知れない…。
「アンさんには再開してからよくお世話になってるの。一緒に合同誌も作ってもらったし」
「千晶さんはキュート路線に変化なしね」
そこへ、すぐそばから大声が上がった。咲夜さんだ。びくっとして顔を向けた。
咲夜さんは霊でも見たような驚きにこわばった顔をしていた。「まさか、やっぱり…」とつぶやいている。
「どうしたの?」と問う前に、唸った。
「姐さんの御相方でいらしった、ちち千晶…」
例のドスの効いた声が終わらない間に、アンさんがあっさりと封じる。
「今頃何言ってるの、あなた。それよりナチュラルメイクに目覚めたの?」
「これは別に…」
「それがいいわよ。ただでさえBLはくどいから、作り手はそれを頭に入れないとね。トータルの足し算引き算が肝要よ」
「はあ…、アン姐さん」
辺りにコンデンスミルク感を噴霧するボリューミーな装いが常のアンさんの書くBLは、設定がやたらと濃い。「帝国の血を受け継ぐ放浪反社」に「宇宙海賊ヴァンパイア」が融合している…。彼女の中ではどういう足し算引き算になっているのだろう。
そこまでを聞き、千晶が笑いをかみ殺してわたしを見た。まだ頬がにやついていて、「面白いね、雅姫のまわり」と耳打ちした。
そのとき、あれっと思った。
小さな違和感がもやっと心に広がるのと重なるように、アンさんの声だ。自分の手土産を広げて食べようと提案している。声がやや明るいのは千晶の存在が大きいだろう。
咲夜さんといつの間にかいたアンさんの秘書の影山さんの二人に、隣りの空いたスペースの椅子を拝借させている。
売り物のないテーブルにお菓子の箱(千晶の手土産)と自分のものを広げ、
「さあゲストの千晶さん、ようこそ。どうぞ座って。雅姫さんも咲夜さんもその辺りに。ホストのわたしはこちらにするわね」
さらさらと仕切る。ホスト? いつから? ようこそ?
「千晶さんは『ニ千疋屋』のジュレね。よかったかぶらなくて。お店の付近で、一歩進んで二歩下がるほど迷ったのよ。止して正解だったわ。ねえ、影山」
バトラー然と控える影山さんが恭しく頷く。その彼が提げたデパートの紙袋から紙コップを出した。ボトルも取り出し、銘々に注いでくれる。
「ノンアルコールのシャンパンよ。わたしの方の白蜜のかりんとうも召し上がれ。発泡性の飲み物とこれが奇想天外に合うの」
アンさんのペースに戸惑いながらも、会話は途切れない。イベントのこと久しぶりの千晶のこと、そして咲夜さんが聞きたがる『ガーベラ』のこと…。短い時間だったが、場は盛り上がり、最後まで皆が笑顔のままだった。




