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それほど、だったあなたに  作者: 帆々
ため息と吐息の違い

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22/70

5

 

 咲夜さんからの電話は八時前にあった。総司を園のバスに送った帰り道だった。


 思いがけず、彼女の声ははつらつと威勢がいい。普段と何も変わらない声がつなぐ。


『早朝申し訳ありません。今よろしければ、昨夜の件で姐さんのお返事を聞かせてもらいたくて…』


 意地かプライドか。企画への気持ちの揺らぎはないように感じられる。それどころか、増したようにも取れる。「お返事を待たずにフライングですが、本の内容は練り終えました」と意気軒昂だ。


 昨夜わたしは「無茶は止めよう」といさめるつもりでいた。本は薄くても充実したものを作るべきだと。それで寂しいのなら、先着のお客にだけでもノベルティーを付ける手もありじゃないか…。


 なのに、そんな意見を口にしないまま「どんな風?」などと聞き返している。咲夜さんが練った新企画に興味を刺激されていた。


『はい!』


 わたしの乗り気が嬉しいようだ。咲夜さんは声までぴんと張った。短時間の構想ながら、ちょっと面白そうな案を述べる。


『ミステリーのアンソロ風に、二人で一本の作品を描くのはどうでしょう? たとえば、まずわたしが『問題編』になる前編部分を描いて、姐さんがその後の『解決編』というか、ラストまでの後編を描くみたいな…。もちろん、内容はミステリーじゃなくてもOKです。それの、順序もどっちが先でも構いませんし』


 へえ。


 と思った。面白そうだと。


 でもそれなら、後編を受け持つ側は前編が仕上がるまで(もちろんラフでいいが)、描き出せない。時間の大きなロスだ。


 その辺をつくと、全てではないが前編のラフのラフ程度が出来上がりつつあるという。驚いて唸った。


「さすが早いね、仕事が」


 すでに引き返せない段階だろう。


 ここまで聞いておきながら「ごめんね、遠慮する」は、自分が大事でもさすがに言い辛い。


『昨夜、姐さんとの電話の後からずっと描いてたんです』


 なので、申し訳ないが自分に物語の前編を担当させてもらえないか、と彼女は頼む。『急ぎますから』と。


 義務感も責任感も、そして見栄もプライドもあるはず。


 けれども、彼女は描くことが好きなのだろう。


 だから逆境に遭ってもペンを持てる。


 眠らなくても余裕がなくとも、紙面に執着し向き合うことができる。その非現実感すらわくわくとした興奮に変えてしまえるほど…。


 好きなのだ。


「いいよ」


 その返事はわたしのどこからできたのだろう。不思議なほど力みがなかった。自然に声は喉を滑り舌を転がり、こぼれ出した。


 咲夜さんの情熱にかつての自分を垣間見たはず。いまだそれが自分のどこかに形は変えてもきっと残ることを、わたしは信じていたい。


『ありがとうございます! 姐さんなら、きっときっとこの咲夜を見捨てることはないと、わかってまし…たぁっ…、ぐすっ…、ねえ、姐さんっ!!』


 彼女の声は語尾が涙につぶれた。わたしの返事に気が緩んだようだ。


 まさか、ちょっと前まで断る気でいました、とも言えない。ははは、といつもの適当笑いで流しておいた。


 軽く打ち合わせ、電話を切る。高揚感と緊張が走る。忙しくなるぞ、と気合を入れるつもりで身体をばちばち叩きながら家に向かった。


『急いで上げます』と咲夜さんは言っていたが、待つ間にわたしもやることはある。これとは別にアンソロ用に描きかけの作品を持っていた。


 それを仕上げて…、


 そこで、家の前を掃く安田さんの奥さんを見かけた。平日であるのにゆったりとした様子は、仕事が休みのようだ。


 契約した保険を解約して以来それが理由か、無視されることが続いていた。無視されるのを覚悟で、通りすがりに「おはようございます」とだけ言っておいた。


「おはようございます。総ちゃん、幼稚園?」


 意外にも声が返ってきた。


「ええ」


「奥さん、最近パート辞められたの? 毎日お迎えも出てるの見かけたけど…」


 仕事に行っているはずなのに、この人、そんなのいつ見てるんだろう?


 同じく辞めたのかもしれない。それで我が家が保険を解約した件も気にならなくなったのかも…。


 どっちでもいいけど。


「何か内職でもなさってるの?」


 しつこいなと思いつつ「まあそんなもので…」と言葉を濁しておく。まだ聞きたげな彼女に先んじて、


「じゃあ」


 と急ぐ様子で家に入った。


 総司のいない間、済ませてしまいたいことはいっぱいある。


 一時間足らずで家事をざっと片付けた。コーヒーを用意し、ダイニングのいつもの位置に座った。マグカップは夫の分も出しておいた。


 原稿を数枚広げ、ちょっと離れて眺める。俯瞰してバランスを見る癖は、原稿に詰まりを感じている時によく出るもの。


 手直しに時間がかかり、集中していた。バナナの切れっ端だけの朝食のせいで、空腹感に我に返った。時計は十一時を過ぎていた。


 そろそろお昼を用意しよう。


 総司を幼稚園に送り出せば、そのお迎えまでががーっと原稿に集中する時間が持てる。パートに割いていた時間を漫画にあてられることに、楽しみも張りもある。毎日が充実していた。


 だから、深夜のゲームで夫が昼前まで寝室から出てこない日が続くことにも、目をつむっていられた。


 キリのいいところでペンを置き、キッチンに立った。焼きそばでもしよう、と準備を始める。


 先日、夫なりにかなり期待していた企業が不採用となった。ひどく落胆し顔色も悪く帰宅した彼に、封筒からお金を抜いたのなんだのとはとても聞けずにいた。


「またか」とは思いつつも、もちろんそんなことは口に出せない。


 本音では言いたいことはたくさんあった。前職と比べ過ぎて高望みをしているのじゃないか。希望の職種じゃなくてもチャレンジくらいしてみてはどうか。そこから別な展開があるかもしれないから…。


 言葉にできない本心の代わりに、わたしは「そう…」の他、それについては何も言わなかった。「大丈夫、のんきに構えよう」とぬるい励ましを口にしただけ。


 そんなことを言えるのは、自分に少しばかり余裕ができたからだ。安定しない専業の同人描きとはいえ、収入を得る道を探し当てていたから。まだおぼつかないが、ネットでの書店委託販売も始めた。売り上げは確かに増えていた。


 焼きそばにスープを添え、夫を起こした。テレビを流しながら二人で食べる。夫はまだ眠そうだ。午後のことをたずねるが曖昧な返事だった。


「ちょっと出てくるから、少しもらってく」


「うん、財布から出しておいて」


 彼がどこに出かけるのか詮索するつもりはなかった。聞けば「ハローワークに決まってるだろ」とくる。それを信じるしかない。


 家で好きな仕事をできるゆとりが、気持ちを大らかにしていた。実際、彼にリビングでテレビをだらだら見られるより、外出してくれた方が仕事がはかどる。


 昼食の後で原稿に戻った。それからほどなく夫が家を出た。


 原稿の合間に、総司のおやつの用意や夕飯の下準備などにペンを止めた。勝手に中座の都合のつく家という空間が心地よく、些細なことで嬉しくなる。


 決まらない夫の就職を思えば、先が不安なのは間違いない。でも、身体も気持ちも以前の自分に比べて楽な今、何だかのんきでいられる。


 何とかなるのじゃないか…。


 たとえば、十年後のわたしたちが笑顔でいられるような、そんな気がする。


 そして、そんな楽天的な未来図をすがるように願う自分も知っている。



 咲夜さんからアンソロ原稿の前編のラフのラフが届いたのは、あの電話の二日後。仕事が早くて本当に助かる。こっぴどい裏切りに遭うほど癖ありな人だが、同じ専業の同人描きとして、見習いたいところは多々ある。


 彼女はそこから怒涛のペン入れに入る。


 一方、後編を任されたわたしは真っ白な状態だ。彼女の申し出を受けた時点で、一から仕上げるのは時間的に無理だと判断していた。


 咲夜さんの鉛筆描きの下書きを読みながら考えている。どう修正を入れればあの過去のネタが使えるか…。頭でひねくり回し、組み立てる。


 よし。


 あらましが出来たところで、メッセージを打つことにした。


『久しぶり。元気?

 今個人で同人やってます(笑)。

 最後の本の未収録のネタ、使っていいかな?』


 送信。


 相手は千晶だ。


 彼女と最後に話したのはいつだったか。総司が生まれて、その連絡を同じくSNSで知らせたのが最後か…。千晶からはイラストを載せたお祝いメッセージが返ってきたっけ。


過去のネタとは『ガーベラ』の最後の本に載せるはずだったものだ。ページの都合でボツにした。少ない二人の合作もので、ネタはわたしが漫画は千晶が描いた。下書きのラフで終え、そのままになっていた。そのノートはわたしがもらって保管してあった。


 原案はわたしのものとはいえ、彼女の許可なしで使用させてもらうのは気が引けた。果たして、これが同人再開のお知らせにもなった訳だ。


 忙しい彼女のこと。返事は遅いだろう。メッセージを送った今からもう原稿は始めるつもりだ。半ば事後承諾になるが、こっちも事情が事情だ。それはそれでいいか…。


 もし気に障ったのなら謝ればいい。それで許してもらえないのなら、もう友達ではないだろう。少なくともわたしの知る千晶ではい。


 ペンを動かしながら返事を待つ。そうしながら気持ちは鳴らないケイタイに傾いている。ちょっと恥ずかしい。


 未練なく自分から身を退いたくせに…。なのに、あれこれあって、引き戻されたようにまた必死にネームに取り組んでいる。


 十三年も経ったというのに、


 あの頃と同じに紙に向かい、


 同じような気持ちで。


 彼女も、かつての沖田さんと同じだった。わたしの変わらない意志を知るや、解放するかのように違う道を行くこちらの背を見送ってくれた…。


 さんざん餞別をもらって遠方へ引っ越した後で、結局元の住所に舞い戻るような。「へへ」と照れ笑いしたくなる決まり悪さと羞恥がある。


「同人始めました」の連絡が遅れたのは、彼女はやはりわたしにとっての特別だからだ。


 思いがけず、それほど待たずに返事があった。


『いいよ~(o^^o)』


 それだけかよ。


 初見で吹き出した後、わたしはしばらくその返事を眺めていた。

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