223.風呂中会議
ルビス・アステリズム・ルクスライト。
元ルクスライト王家第二王女であった彼女が、このメガフロートに腰を落ち着けてから既に数週間。
王族としての身分を捨てた以上、一個人として、何時までもここでお客様気分のままでは居られない。
その為、他の者と同様に日々の労働をするべく、ルビスは先住民であるシャロンという女性から仕事を習っていたのだ。
「――ここのバルブを捻って、状態を見ながら適宜畑に水やりをします。これで一通り説明は終わりですが、何か質問はあるでしょうかルビスさ……ん」
「いえ、大丈夫ですわ。ありがとうございますシャロンさん。それにしても、人工的に雨すら降らせるとは……凄まじい技術力ですわね」
「畑仕事って、もっと重労働な筈なんですけどね……今までの常識が通用しないですよ」
天候によって不作になったりする事が無い、何故なら室内栽培の為、日照量も降雨量も気温も全てが完璧に管理されているからだ。
草むしりが必要無い、何故なら外界から隔離された挙句、海上という周囲に何も無い環境の為、雑草が入り込む余地が無いからだ。
「ここに来た当時は衝撃でしたよ、本当」
シャロンは、グランエクバークでの一件で囚われていた人々の一人であった。
金髪に透き通るような緑色の瞳、眉目秀麗な者が多いエルフであったが故、毒牙にかかってしまった。
他にも数名エルフは囚われていたのだが、シャロンはここに残る事を選んだ一人であった。
天涯孤独の身の上である為、故郷に戻る理由が薄かったのも原因だろう。
「それにしても、まさかルビスさま……さん、がここに来るとは思ってもいませんでした」
元々ナーリンクレイ出身のシャロンは、当然ながらルビスを知っていた。
農村で育った田舎娘なので、顔自体を見た事がある訳ではないが、ナーリンクレイに生きる者で、ルクスライト王家の名を知らぬ者など存在しない。
顔合わせ当初は萎縮していたシャロンだが、既に王位継承権は放棄したので、ただの一個人だとルビスが念押しした結果、今に至る。
「勇者様の嫁となる以上、勇者様の住まうこの地に来るのは当然ですから」
「勇者様ですか……結局、一度も会った事が無いんですよね。どんな人なのでしょうか?」
「ここで暮らしているのに、一度も会った事が無いのですか?」
そんな事が有り得るのかと、ルビスは首を傾げた。
このメガフロートという場所は確かに広いが、それでも陸地と比べれば遥かに狭い。
そんな場所で数十人が暮らしているのだ。
何かの拍子で、バッタリ勇者と出くわしても良さそうなものだが。
「勇者様は忙しいそうですから。それに、勇者様の御仲間の方が常駐してるようなので、勇者様に要望を伝える事は出来てますから、何一つ不自由は無いですよ」
「これだけ整った居住施設があって、不作の恐れが無い農業で自活が出来ているなら、確かに不自由は無いでしょうね」
王族であったルビスの生活と比較すれば、やや質素ではある。
だがこの世界の大多数の人々からすれば、余りにも贅沢な生活水準。
ちょっとした街のような広さがあるのに、その空間は冷暖房によって適切な温度が保たれている。
暑さや寒さに苦しむ事も無く、日々の労働も大部分が自動化されている。
掃除は自動化された掃除ロボットが24時間巡回しており、洗濯は乾燥機付き洗濯機があるので畳むだけ。
明確に働かなければならないのは主に食事に関する事、漁と作農、炊事だけである。
それらもかなりの箇所が自動化されている。
「漁の方はまた後日に教える事になってるので、今日はもう自由時間ですね」
「そうですか。でしたら、この後は一緒に湯浴みでもどうですか?」
「えっ? 私がルビス、さんとですか?」
「勿論、無理にとは言いませんが」
「えっと、それなら、ご迷惑でなければ……」
まだ日が高い時間帯ではあるが、今日一日、しなければならない仕事を終えたルビスとシャロンは、汗を流しに大浴場へと向かった。
常に温度が保たれた豊富な湯量を湛えた風呂は、その湯が常に循環しており、清潔さが保たれている。
何時誰でも入れるようにと、ここで暮らす人々の為に設置された施設だ。
「――この大浴場に関しては、ワタクシが暮らしていた城に負けず劣らずですわね。どうやってこの湯量を保っているのでしょうか?」
湯船に浸かり、その手で湯船の湯をすくい取りながら呟くルビス。
この湯は、塩水ではない、真水である。
外界から隔絶された海上、寄港する事も無いので、外部から真水を取り入れる手段が無い。
雨水で賄っているのかともルビスは考えたが、どう考えてもそれで供給出来る水量ではない。
農業で使う水もそうだが、一体何処からこの水が来ているのかがルビスにとって謎であった。
「それに関しては、前に勇者様の御仲間の方から聞いた事がありますね。何でも、海水から水だけを取り出して利用しているそうですよ? その際に塩が一緒に取れるそうなので、塩はいくらでも使い放題なんですよ。といっても、そんなに沢山塩があっても保存食を作る位にしか使い道が無いんですけどね」
「そのような魔法が……」
魔法では無く、科学技術の範疇なのだが、科学が発展したグランエクバークの民でもない者からすれば、このメガフロートにある技術の全てが魔法のように思えるだろう。
「うう……魚臭いのじゃ……」
井戸端会議ならぬ風呂中会議中のルビス達が談笑している最中、一人の少女が浴場に足を踏み入れた。
彼女の名は、シアリーズ・バルフリート。
リレイベルの屋台骨である七家の一つである、バルフリート家の三女である。
以前のリレイベルで起きた……というより起こした騒動の一件から、このメガフロートで暮らしている一人だ。
癖毛の強い赤髪は、何故か風呂に入る前だというのに濡れていた。
「あら、初めて見る方ですわね」
「シアリーズさんというらしいですよ、ここには後から来た方ですわね」
既に先客が居た事に気付いたシアリーズだが、取り敢えず自身の身を清める為に洗髪を優先する事にした。
先程まで漁に参加していたが、その作業中に飛び跳ねた魚からの水飛沫を盛大に頭から被ってしまったのだ。
身体を洗い終えた後、湯船に浸かり、改めて入浴中の二人を見るシアリーズ。
「…………!?」
驚き、その場で立ち上がるシアリーズ。
頭の上に乗せていたタオルが湯船に落ちた。
「も、もしかして……ルビス・アステリズム・ルクスライト様――!?」
「あら、ワタクシをご存じでしたか」
「申し訳ございません! この場に居る事に気付いておらず……!」
「気にしなくて良いのですよ。ワタクシ、王位継承権は放棄したので、今はここで暮らすただの一個人ですから」
シアリーズは、商業都市の大家で生まれ育った。
その教育の一貫で、各国に存在する有力貴族や王族の顔と名前は頭に叩き込まれていた。
当然、その顔触れの中にルクスライト王家が入っていない訳が無い。
「継承権を放棄した……?」
「なのでこれからは、ルクスライト王家の者ではなく、愛しの勇者様の妻として生きていくのです。それと、腰を下ろしたらどうですか? 湯冷めしてしまいますよ?」
ルビスに指摘され、おずおずと湯船に浸かるシアリーズ。
落としたタオルは拾って絞り、再び頭に乗せた。
「何時からここに来られたのですか?」
「数週間程前ですね、意外と顔を合わせてない人が居るものですわね」
広大な敷地面積を誇るメガフロートの為、同じ作業に従事したりでもしなければ、顔を合わせる事も無かったりする。
生活スペースで顔を合わせる事もあるが、各々に個室が与えられているので、入浴や食事等のタイミングが合わないとそこでも見掛けない事もある。
それに加え、ルビスは最初の数日間は荷解きに追われていた為、まだ全員と顔見知りになった訳ではなかった。
「まあでも、顔繫ぎは後々やっていけば良いですわね。丁度今のように、ね。これからは宜しくお願いしますね、シアリーズさん?」
「は、はい! こちらこそ!」
普段の口調ではなく、外行きの口調で答えるシアリーズ。
まだ距離感が計れていないのだろう、本当の意味で仲良くなるのはまだ先のようだ。
タオルは頭に乗せるもの。




