19-15.ホムンクルスとエルフ(2)
「ウラギリモノ、メ」
闇を切り取ったような狼が、嗄れた声で言う。
狼の横に情報がポップアップした。
AR表示によると、この狼は「呪われし影狼」という魔物で、オレ達よりも遥かに格上のレベル30だ。
今すぐ回れ右して逃げ出したい。
とはいえ、影狼は見るからに足が速そうだから、本当に逃げ出したとしても、すぐに回り込まれてしまうだろう。
「私は裏切ってなどいないと抗議します」
ナナが前に出て狼を説得する。
「マスター、カラ、ニゲタ。ウラギリ」
「逃げてなどいないと抗議します。私達はマスターから姫を安全地帯に運ぶように指令を受けたのだと告げます」
ナナの説明を聞いた狼が首をグリンッと90度も傾けて思案する。
「キイテナイ」
狼がぼそっと呟く。
――お? これは戦闘を回避できる流れか?
「伝達ミスはよくある事だと告げます」
慰めるナナの言葉を聞いた狼がさらに首を90度傾けた。
上下逆の首は怖いから止めてほしい。
「マスター、ミス、シナイ」
狼の体からゆらりと黒い炎が漏れ出す。
ちょっとヤバイ感じ?
オレはポチとタマを引き寄せ、二人の耳にアリサとルルを連れて母屋に逃げるように指示する。
躊躇う様子を見せた二人だったが、オレが「命令だよ」と重ねて告げると、不安そうな顔でこくりと頷いた。
本当を言うと魔法攻撃ができるアリサは残って欲しかったのだが、こんな格上との絶望的なバトルに幼い女の子を巻き込みたくなかったのだ。
なのに、アリサがオレの横に並んだ。
「わたしも付き合うわ」
「勝てないぞ?」
「ショタと一緒なら、それもいいかもね」
あいかわらず、男前な幼女だ。
「ご主人様、ここは私に任せてお下がりください」
当然のようにリザがアリサと反対側に立つ。
本当なら、リザもポチ達と一緒に逃がしてやりたかったけど、オレみたいなへっぽこプログラマーよりもリザの方が何倍も頼りになる。
「頼りにしている」
「はい」
リザがやる気に満ちた顔で頷いた。
オレ達がそんな会話をしている間にも、ナナの説得は続いていた。
「マスターのミスではなく、マスターの命令を伝達する係の怠慢ではないかと補足します」
「タイマン?」
影狼の頭が更に90度回転してねじ切れそうだ。
「タイマン――オレ、オマエ、タタカウ」
影狼はあまり頭がよろしくないのか、怠慢の意味を決闘の方のタイマンと誤解した。
「そのタイマンではないと訂正します」
ナナが言っても分からなかったのか、影狼の頭が更に90度回転しようとして限界に達したのか、ぶるんと首を振って元に戻した。
「ムズカシイ、キライ。オレ、オマエ、タタカウ」
コミカルな口調に反して、影狼の体から闇炎が噴き上がり、獰猛な雰囲気を撒き散らす。
どうやら、戦いは避けられない流れのようだ。
「『低級の亡霊はマスターに直接命令されないと行動を変えられない』のだとNo.1が言っていたと情報共有します」
ナナが武器を構え、そうオレ達に告げる。
オレもストレージに収納してあった剣を取り出した。
体術スキルしか持ってないけど、さすがに遥か格上の相手に素手で挑むのは遠慮したい。
勝てる気は全くしないが、何もせずに殺されてやる気もない。
「オレ、テイキュー、チガウ」
影狼がそう叫び、もの凄い速さで飛び込んできた。
あまりの速さに反応できないのか、ナナが棒立ちのままだ。
水の中を歩くような謎の不自由さを感じながら、ナナを切り裂こうとする影狼の爪撃を剣で受け流す。
――重い。
気を抜いたら剣ごと吹き飛ばされそうだ。
爪と剣の間を火花が散っている。
無限に続くかと錯覚しそうなくらい長い一瞬が過ぎ、剣から爪撃の圧力が消えた。
剣はもうダメだ。よく一撃目を耐えられたと感心するくらい残骸になっている。
だが、影狼は既に二撃目の準備を終え、邪魔をしたオレに狙いを定めている。
――あれ?
何か隙だらけじゃないか?
オレは逃げ出したくなる気持ちを抑えて踏み込み、振り上げられた爪の下を潜るように割り込んでその腕を掴んだ。
なんで掴んでいるんだ?
持ってた剣もいつの間にか投げ捨てていた。
そんな思考を余所に、オレの身体は別の生き物のように自然に動き、影狼の腕を巻き込んで投げ落とす。
ギャインッと悲鳴を上げる影狼の頭が眼下にあった。
まあ、踏むよね。
首を狙って踵を叩き付ける。
黒い影が血飛沫のように飛び散り、影狼が必死に藻掻いてオレの踵下から抜けだし、脱兎の勢いで距離を取った。
「す、すごい……」
「ご主人様……」
「サトゥー、あなたは凄い戦士だと称賛します」
硬直が解けたように、アリサ達が声を出した。
「な、何がどうなったの?」
「ご主人様がもの凄い速さで動き出して、達人のような動きで狼を投げ飛ばしていました」
アリサとリザが唖然とした声で言う。
「体術スキルのお陰?」
「たぶんね」
それしか考えられない。
スキルMAXにした成果が、レベル差を埋めてくれたようだ。
拙いながらも初撃を受け流せたのも体術スキルがサポートしてくれたお陰だと思う。
「アリサは離れたところから援護を。リザとナナはアリサの護衛を頼む」
「おっけー!」
「しょ、承知いたしました」
「イエス・サトゥー」
ちょっと勝機が見えてきた。
「オマエ、ツヨイ。オレ、タタカウ」
影狼の体が脈打ち、明後日の方を向いていた首がゴキゴキと音を立てて元の位置に戻った。
凄い再生能力だ。下手したら首を刎ねても生えてきそうな気がする。
まあ、でも。
さっきの一撃でAR表示される影狼の体力バーは減ったままだ。
頑張って削れば倒せるはず。
今心配なのは、影狼の矛先が仲間達の方に向かう事だ。
ゆえに――。
「――来い!」
オレらしくない挑発で影狼の注意をオレに向ける。
>「挑発」スキルを得た。
良いタイミングでスキルリストに新しいのが載ったので、スキルポイントを一つだけ割り振っておく。
「シネ!」
影狼が跳躍して飛びかかってきた。
「魔法の矢」
ナナが三本の半透明の魔法の矢を放った。
彼女の種族固有スキルにあった理術という奴だろう。
「アタラナイ」
影狼が空中を蹴って、魔法の矢を避ける。
「くらえぇえええ!」
アリサの声と同時に、影狼が空中で体勢を崩した。
見えなかったけど、アリサが精神魔法で攻撃したようだ。
「ざまあ、範囲魔法よ!」
格上の強敵相手で緊張していたのか、魔法の存在を忘れていた。
オレもナナやアリサに便乗して魔法を放つ。
――短気絶弾。
着地寸前の影狼の鼻先に着弾した。
影狼がギャインッと悲鳴を上げながらも着地し、グルルと唸りながらこちらを睨み付ける。
「マホウ、ズルイ」
――いいのかな? こちらだけに向けていて。
「ム――」
内心の声が聞こえたわけではないと思うが、影狼がそれに気づいた。
だが、もう遅い。
「――ハァッ!」
体当たりするように、誰かが影狼の横から黒い槍を突き込んだ。リザだ。
「グロウ!」
影狼が暴れ、リザを黒い槍ごと吹き飛ばした。
彼女の決死の頑張りを無駄にはしない。
オレは影狼の注意が逸れた瞬間に彼我の距離を埋め、影狼の横顔に肘を叩き込み、そのままの体勢で「短気絶弾」の連打をゼロ距離で叩き込んでやる。
「……マス、ター」
AR表示されていた影狼の体力バーが弾け飛び、限界を超えた影狼が黒い靄となって消える。
カサリと大きめの魔石が牧草の上に転がった。
>「影狼」を倒した。
ログにもそう出ているし、なんとか倒せたようだ。
「サトゥー! 生きているか!」
どたばたと足音がして武装した牧場主が駆け込んできた。
その彼に「生きています」と答えると同時に視界が暗転した。
これは覚えている。
レベルアップ酔いだ。
遥か格上の敵を倒したお陰で、何レベルか上がったようだ。
◇
翌朝、目が覚めると知らない場所で寝ていた。
たぶん、牧場主が運んでくれたのだろう。
他の子達も同じ部屋で寝ている。
ポチとタマはリザのベッドの上で丸くなって寝ていて、とても可愛い。
昨日の戦いでオレとリザとナナのレベルが3上がり、アリサのレベルが1つ上がっていた。
胸元に違和感がある。
薄い掛け布団をめくってみると、紫色の髪が見えた。アリサだ。
「アリサ、セクハラは止めろ」
そう言うと、オレの胸をなで回していたアリサの手が止まり、恐る恐るといった動きでアリサがこっちを見た。
「――ちゃうねん」
言い訳が出てこなかったらしいアリサの頭をパシンッと叩き、シャツを整えながらオレが気を失った後の事を聞いた。
オレ達が住んでいた部屋は影狼に破壊されてずぶ濡れだったので、牧童用の大部屋を使わせてくれたそうだ。夜中に牧童さん達を追い出したのかと不安になったが、この部屋は繁忙期用の予備らしく、その心配はないらしい。
夜が明けると同時に、領都へ報告の使者を出したとの事だ。
場合によってはオレ達も事情聴取されるらしい。
まあ、それはともかく。
「皆、無事で良かったよ」
※次回更新は来月くらいの予定です。
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