18-35.迷宮都市の少年(9)
※ちょっと長くなりすぎたので二話に分けました。
「あれ? ラキシス?」
朝、ランニングの帰りにラキシスを見かけた。
声を掛けようと思って近付いたら、物陰にラキシスの他にも誰かがいる事に気付いた。
ラキシスと話しているのは、フードを目深に被った怪しい人達だ。濃紫色のローブなんて初めて見た。
もしかしたら困っているかも知れないと思って、俺は足音を殺してそっちに近付いた。
「我らが神の残した種子よ」
「私は私。種子なんて呼ばないで」
建物の向こうから声が聞こえた。
会話の感じからして、相手はラキシスの知り合いらしい。
でも、あんまり仲は良くない感じみたいだ。
「帰りましょう、『自由の館』へ。あなたの両親も待っています」
「どちらもあなた達の教団が用意した養い親でしょ?」
教団? 神殿とは違うのかな?
――兄さん。盗み聞きはいけません。乙女には秘密があるのです。
不意に妹の言葉が脳裏を過る。
妹が誰かと話しているのに出くわした時に言われたっけ。
「――私は姉様達とは違う!」
視線を戻すと、向こうに駆けていくラキシスの後ろ姿が見えた。
妹の事を考えている間に、話し相手と何か行き違いが起きたようだ。
ラキシスに何があったんだろう?
今までどんな場所で、どんな風に生きてきたんだろう?
なぜだか気になる。
「――おい、シャロン。シャロンってば!」
目の前に、物知りのザキがいた。
「えっと?」
「どうしたの、シャロン? 今日は朝からずっとぼうっとしているけど」
物静かなラサが上目遣いに俺を見る。
そういえばいつの間にか、新人講習で使う広場にいた。
ラキシスの事を考えていたせいか、自分が何をしていたか今ひとつ覚えていない。
髪の毛が湿っているし、お腹も減っていないから、あの後、川で水浴びをしてザキやラサと一緒に朝ご飯を食べたんだと思う。
「熱でもあるのか?」
「ごめん、ちょっとボケっとしていたみたいだ」
心配するザキやラサに詫び、自分の班の集合場所へと移動する。
「おはよう」
「おう! 来たな!」
「おはよー、朝は眠いねー」
神聖魔法が使えないザイクーオン神殿の神官見習いユト、小柄な鼠人のネゼ、大柄な犬人のテグ、そして――浮かない顔のラキシスがいた。
貴族子弟のロジムやその従僕のサグはまだ来ていないらしい。
「おはよう、ラキシス」
「――ああ」
挨拶したら生返事が戻ってきた。
今朝の事で何か思い悩んでいるみたいだ。
「ねぇ――」
「生徒諸君、集合だと号令する」
ラキシスに尋ねようとした声を、美人の教官の大きな声が遮った。
「シャロン、行こう」
ラサに促され、オレも教官の方を向く。
「今日は私を相手に集団戦の練習をすると告げます」
「えー、教官がいくら強くても、この人数じゃ勝てないぜ?」
「生徒、ネゼ。数は力ですが、レベルもパワーなのだと訂正します」
半信半疑な俺達だったけど、教官は余裕で俺達をあしらい、戦い方の間違いを訂正し、幾つもの助言をくれた。
驚いたのは――。
「次は触手を持った魔物との戦い方の練習だと告げます」
何本ものロープを魔法で操り、生き物のような動きで俺達の足や手に絡みつかせて、対応方法を教えてくれた。
他にも空中に浮かぶ「自在盾」っていう魔法の盾で硬い魔物を表現したり、布や薪を浮かべて空飛ぶ魔物を表現したりして、色々な魔物との戦い方を叩き込んでくれる。
休憩の合図で俺達は地面にぶっ倒れた。
「本職の探索者ってすごいんだな……」
息も絶え絶えになりながら、教官の方を見ながら呟く。
戦士かと思ったのに、魔法まで自由自在に使えるなんて凄すぎる。
そう思っていたのに、貴族子弟のロジムや従僕のサグに否定された。
「馬鹿者、あれを標準と考えるな。あんな探索者がそうそういるものか」
「坊ちゃんの言う通りです。あれだけの使い手はシガ王国でもそんなにいませんよ」
会場には他にも六人くらいいたけど?
姉妹だからかな?
「休憩は終わりだと告げます。第二ターンはカニカニ地獄とサンドワームの舞だと予告します」
午後からの訓練は面白い訓練名とは掛け離れた激しいモノで、女の子のラキシスや体力のないザキだけでなく、幼い頃から訓練をしてきたロジムや神官見習いのユトまで倒れるほどだった。
「最後まで立っているとは感心だと告げます。これからも基礎訓練を続ける事を推奨します」
最後までなんとか立っていた俺だったけど、教官からそう褒められて気が抜けたのか、最後の最後に力尽きてしまった。
◇
「ごめん、俺のせいで」
「気にするな。他の者も足が震えて歩けなかったんだ」
講習会での訓練を終え、俺達は屋台広場に向けて移動している。
「明日は本番だ!」
「おおー、迷宮だなー」
鼠人のネゼや犬人のテグが言うように、講習会最終日の明日は教官に率いられて班ごとに迷宮を探索するのだ。
「今日は力の出る物を食べようぜ」
「うーん、そろそろ財布が厳しいから、いつものにしておくよ」
講習中は仕事ができないから、なけなしの持ち金がどんどん減っていくんだよね。
「あ! ゴン達だ」
ザキが指さす先には、大柄なゴンと不平屋のケロス、そしてその二人に付き従うシナがいた。
ゴンは大きな盾を持っており、ケロスはなぜか眼帯をしていた。三人とも、前に見た時より古布の包帯を巻いている場所が多い。
「ケロス、怪我をしたのか?」
「シャロンか――まぶたを切っただけだ。すぐに見えるようになる」
心配して声を掛けたら邪険に扱われてしまった。
「ゴンは新装備なんてすごいじゃないか」
「盾役に抜擢されたんだ」
昨日と違って、今日は少し機嫌がいいみたいだ。
「でも、危ないよ。前の盾役の人だって、すごい大怪我しちゃったじゃない。ゴンまであの子みたいになったら……」
最近、友人を失ったばかりのシナが、心配そうに言う。
今日の訓練でも分かったけど、盾役は重装備ができる代わりに、魔物の矢面に立たないといけないから怪我をしやすいんだ。
「ふん、俺が魔物なんかにやられるかよ。せっかく抜擢してもらったんだ。活躍して、幹部になってみせるぜ!」
「怪我には気をつけろよ」
「ふん、迷宮で稼いでいないヤツが説教なんてするな!」
俺の心配はゴンの尊厳を傷付けてしまったのか、肩を怒らせて去って行ってしまった。
「大丈夫かな?」
「怪我が増えているし、迷宮はやっぱり危険な場所なんだな」
「頑丈なヤツだから大丈夫だよ」
俺達は少しだけゴン達の後ろ姿を見送った後、待ってくれていた皆に詫びて夕飯を食べに行った。
◇
「これが迷宮行での必要最小限の荷物だと告げます」
翌朝、俺達は昨日と同じ講習広場に集合し、教官からパーティーへの支給品を渡されていた。
渡されたのは松明が六本と松明に火を付ける為の火口箱、煙玉と閃光玉が各人に一つずつ、予備の水袋が二つ、ボロ布が何枚かとロープ。ボロ布は止血や目印に使うらしい。それと携行食が三食分。あとは回収した素材を入れる袋を何枚か。
「こっちは水じゃないぞ? 酒か?」
「そのベリア酒は怪我をした時の消毒用だと訂正します」
なかなか贅沢な消毒液だ。
「消毒を終えた後は、怪我の程度によってベリア軟膏か魔法薬を使うのだと告げます」
「ベリアばっかりだな」
「イエス、生徒・ネゼ。探索者の半分はベリアの優しさで生き延びているのだと告白します」
そう言えば、俺達もベリアを刈る日雇い仕事をしたっけ。
ほんの数日前なのに、ずいぶん前に感じる。あの頃はゴンやケロスやシナと一緒だった。
「それでは支給品の薬を配ると宣言します」
教官がベリアの魔法薬と軟膏を各人に一つずつくれた。
こんなに貰っていいんだろうか?
全部で銀貨何枚分もあると思うんだけど。
「新人探索者が死なないように、マスターが大金を寄附してくれているから大丈夫だと告げます」
「ますたー?」
妹語にそんな単語があった気がする。
横でラキシスが「なんでエイゴなのよ」とかブツブツ言っていた。
昨日は憂鬱そうだったラキシスも、今日の迷宮行が楽しみなのか、少し元気になっている。
「――何?」
「なんでもないよ」
「変なヤツ」
ラキシスの方を見ていたら訝しげな顔をされてしまった。
嫌われていないか少し心配だけど、それよりも彼女が元気になってくれた事が嬉しい。
「これらに加え、地図係はペンと紙を持ってくるのだと告げます」
「持ってます!」
ザキが板に貼り付けた紙と紐で板とつなげた黒炭の棒を見せる。
「生徒・ザキ、良い工夫だと評価します」
「えへへ、ありがとうございます、教官」
教官に褒められたザキが照れる。
ザキはゴン達と行った一回目の迷宮行で地図を上手く描けなかったらしく、その失敗を糧に工夫したと言っていた。
「最終確認を実行――」
教官はオレ達の何人かが解体用のナイフを持っている事を確認してから、迷宮へと出発した。
◇
「このように稼げる場所は取り合いが激しいので、最初の二、三年は手を出さない事を推奨します」
シス教官の言うように、迷宮蛙の沼や迷宮甲虫の草原広場は幾つものパーティーが集まっていて、湧き穴から現れた魔物を見つけると四方八方から殺到して激しい取り合いをしていた。
「そもそも今の俺達ではレベルが足りません」
「イエス・生徒。どちらもレベル10台後半からレベル20は必要だと評価します」
確か村に帰ってきた元兵士のおじさんでレベル8って言っていたから、俺がそのレベルになるには何年もかかると思う。
「なー、なー、同じ広場にいるザコの魔物を狩ればいいんじゃね?」
「それも一つの選択だと告げます」
ネゼの案を教官が肯定する。
危ない時は周りに強い探索者がいっぱいいる状況って言うのは心強いと思う。
「ですが、皆が湧き待ちの間にも、最低限しか狩らないという状況をもっとよく考えるべきだと教授します」
「儲けにならないとか?」
「イエス、生徒。苦労して得られるのは魔核と需要のない素材だけなのだと告げます」
それだけなら、もっと他にマシな場所があるらしい。
試しに狩らせてもらったけど、結構強いわりに稼げる額は第一区画の迷宮蛾と同じくらいだ。
今日は重装備のロジムと大柄なテグがいたから怪我もなく勝てたけど、普段着と変わらない俺達の装備だとそれなりに怪我をしたと思う。
俺達は混み合う沼を離れ、第一区画にある小鬼迷路へとやってきた。
「うわー、すごい。谷底に迷路がある」
「迷路に生えた柱みたいな岩の中にも通路があるぞ」
「柱って言うか、塔みたいな感じ?」
俺達は崖の上から小鬼迷路を見下ろす。
「柱と柱を結ぶ吊り橋もいっぱいあるね」
吊り橋は頑丈そうなのから、人が乗っただけで切れそうなのまで様々だ。
「おおよその形を覚えておくようにと助言します」
教官の話では、この迷路の中には無数の湧き穴があり、ゴブリン――教官はデミゴブリンって言っていた――を始めとした格闘ゴブや戦士ゴブなんかの上位種が徘徊しているらしい。
ここも「稼げる場所」とは言いがたいそうだ。
「ゴブリンは魔核以外は金にならないからな」
「ゴブリン油とかゴブリン酒は?」
屋台広場で耳にしたけど、ゴブリン油は普通の獣油よりも格安で、ランタンを使う下級探索者に人気らしい。
「油はゴブリンが落とすんじゃないっすよ。迷宮の油屋がゴブリンの死骸から油を抽出するんすよ。それと、ゴブリン酒は貧乏な探索者しか飲まないっす。マズい上に腹を壊すっすから」
従僕のサグが答えてくれる。
口調がおかしいのは素が出たとかかな?
「でも、稼げないなら、どうしてここに?」
「青銅証へ昇格する為に必要な『魔核を集める』という目的に向いているからだと告げます」
ここも取り合いがあるらしいけど、主回廊の迷宮蛾や迷宮鼠ほど酷くはないらしい。
「では研修の最終段階を開始すると告げます」
俺達は教官に率いられて小鬼迷路へと進み、他の探索者達が戦う場所を迂回して迷路の奥へと進んだ。
たまに、柱と柱の間をつなぐ吊り橋の間を、同い年くらいの探索者が駆けていく。
「物陰には注意するようにと警告します」
教官が振り向きざまに、何かを柱の陰に打ち込んだ。
「――ぐぎゃ」
真っ黒なゴブリンが転がり出てきた。
「影小鬼だ!」
「気をつけろ! 毒の武器を持っているぞ!」
「先手必勝! やっちまえ!」
「わかった!」
ネゼが号令して、俺や他の子達も一斉に武器を影小鬼に叩き付ける。
「無様だな。陣形も何もない」
「坊ちゃんも飛びかかりかけたじゃないですか」
貴族子弟のロジムと従僕のサグは暴行に参加せず、周囲を警戒してくれていたようだ。
「新人講習でも教えていたはず。影小鬼による新人探索者の死亡者数はダントツに多いのだと憂慮します」
教官が俺達の顔を見回しながら言う。
表情の変化が少なくて分かりにくいけど、教官は俺達を心配してくれているようだ。
連携を確認しながら「はぐれ」のゴブリンを狩り、慣れた頃合いを見計らって三匹程度の集団を見つけては多対多の実戦経験を積んだ。
「上位種だ」
迷路の向こうに上位種がいた。
俺は見つかる前に素早く壁の下に降りる。
「単体なら格上の敵を倒す練習に使うと宣言します」
教官の指示で俺達はグラップラーのいる方へと向かう。
「でかいな……」
「まったくだ、小鬼とは呼べないね」
ゴブリンの上位種はデカい。
俺やザキは言うに及ばず、大柄な犬人テグほどもある。
「グラップラーの攻撃は重く速いと警告します」
「了解した。――来い、格闘小鬼!」
貴族子弟のロジムが剣で盾を打ち鳴らして、グラップラーの注意を引く。
本職の盾使いなら「挑発」スキルを使うんだろうけど、まだレベルの低い俺達にそんな技はない。
ロジムとテグが交代で盾役を務め、従僕サグがグラップラーの邪魔をして二人がダメージを負わないようにサポートする。
俺とラキシス、神官見習いのユトが左右から攻撃し、ラサや背の低い小柄なネゼが背後からグラップラーの足首を傷付ける。戦いが苦手なザキは短槍で遠間からチクチクと攻撃して、グラップラーの注意を逸らす役だ。
「くそっ、硬い」
「刃が通らないぞ」
「刃筋が立っていないせいだと助言します。もっと落ち着いて訓練を思い出すのだと告げます」
グラップラーの分厚い皮は、ロジムの名剣以外ではなかなか傷が付かない。
妹から貰った俺の短剣も傷を付けられるけど、一撃が軽くて浅い傷を付けるのが精一杯だ。
グラップラーの異様に大きな拳と長い腕から繰り出される一撃は重く、大柄なテグでさえ真っ正面から受けたら盾ごと吹き飛ばされてしまう。
そのテグを目で追った俺の身体を下から突き上げるような衝撃が襲った。
次の瞬間、地面に叩き付けられ、ごろごろと転がる。
「シャロン!」
息が詰まる。
骨は折れていない。
脇腹から腰にかけて鈍痛がある。
蹴りだ。たぶん、俺はグラップラーの蹴りを喰らったんだと思う。
「くうっ」
神官見習いのユトが横に転がっている。
ユトも一緒に吹き飛ばされていたみたいだ。
奥の手の縮地も、認識外の攻撃を避ける事はできない。
無事だったラキシスを攻撃しようとするグラップラーに、盾役の二人が盾を叩き付けて注意を引き戻している。
「シャロン、動ける?」
ラサが駆け寄ってきて俺を安全圏に引き離す。
同じように転がるユトはザキが引っ張る。
「大丈夫だ。魔法薬を飲むほどじゃない」
「本当に?」
ラサが心配そうに俺を見る。
――ロム兄さん、回復薬を墓場まで持って行くようなマネはしちゃダメよ?
やせ我慢をする俺の脳裏に妹の言葉が木霊する。
そうだ。動きの鈍った身体では皆に迷惑が掛かる。
「いや、やっぱり飲むよ」
俺はベリアの魔法薬の栓を抜き、一気に呷る。
青臭い味に思わず吐き出しそうになったけど、気合いを入れて飲み下す。
「――痛みが引いていく」
これなら動ける。
俺はラサと一緒に戦線に戻る。
「シャロン、右手の牽制をお願い。このままじゃ、盾役が沈むわ」
「任せて」
ラキシスに言われるまま、ラサと二人でグラップラーの右側から牽制を行う。
彼女の言うように、盾役の二人はすでに疲労で動きが鈍り始めている。
「うぎゃああああ」
鼠人のネゼがごろごろと転がっていく。
踵を攻撃するタイミングをグラップラーに読まれて排除されたらしい。
ユトとザキも戦線に復帰し、ラキシスの負担を減らす。
「くそっ、あれだけ斬られてもぜんぜん弱ってないぞ」
ザキが泣きそうな声で言う。
「諦めるな!」
俺はザキを励ます。
「気持ちで負けるな! 幾ら強くても、教官よりは弱い! 教官との訓練を思い出せ!」
「そうだ! 教官との地獄の訓練に比べれば!」
「グラップラーごときに負ける謂れはない!」
ユトが同調し、ロジムが奮起する。
どうやらザキだけじゃなく、他の者も心が折れかけていたようだ。
「グラップラーは弱っているわ! 動きが鈍っているもの!」
ラキシスも声を上げた。
彼女がこんな風にかけ声を上げるなんて初めてかもしれない。
「あと少しだ!」
貴族子弟のロジムが叫ぶ。
汗だくで、今にも倒れそうだ。
「うぉおおおおおお!」
犬人のテグも雄叫びを上げた。
グラップラーが二人の盾役に猛攻をかける。
激しい攻撃だ。まだグラップラーは余力があるらしい。
「動きが荒くなった」
ラサが呟く。
「今――」
グラップラーが大振りの一撃を放つタイミングでラサが飛び込み、脇の弱いところに短剣を突き刺した。
動きの止まったラサに、グラップラーの裏拳が迫る。
――危ない。
俺はラサの足下にタックルし、グラップラーの裏拳からラサを救う。
二人して転がる。
追撃の一撃は、ラキシスとユトの二人が防いでくれた。
「止めだ!」
貴族子弟ロジムの剣がグラップラーの首に深く刺さる。
「生徒ロジム、回避を!」
教官の言葉に反応できなかったロジムを、グラップラーの拳が打ち抜いた。
「――坊ちゃん!」
ロジムへの追撃を身を挺して庇ったサグが吹っ飛ばされた。
「ぬおおおおお!」
もう一人の盾役であるテグが体当たりでグラップラーの追撃を阻止する。
「もう少しだ! 攻撃の手を緩めるな!」
盾役が一人欠けた状態で長くは保たない。
俺達は防御を捨て、一斉にグラップラーに攻撃を叩き込む。
振り回した腕に、ユトが吹き飛ばされたけど、その勢いはさっきほど強くない。
「うぉおおおおお!」
グラップラーの無防備に開いた身体へ飛び込み、体中のバネを使って下からケードミャクを切り裂いた。
青黒い血が噴き出し、俺の肩を汚す。
グラップラーが俺に反撃しようとした勢いのまま地面に倒れ伏した。
「死んだ?」
「待て、油断するな。死んだふりかもしれん」
遠間から短槍でグラップラーの身体を突いて、反応が無い事を確認してようやく俺達はグラップラーを倒せたのだと実感できた。
喉を貫かれても生きていたグラップラーでも、ケードミャクを切り裂かれては生きていられなかったらしい。
生き物には首にケードミャクっていう急所があるって、妹が言っていた通りだ。
「疲れた」
「もう、動けない」
盾役をしていたロジムとテグが地面にへたり込み、他の皆も次々に地面に身を投げ出す。
「警告。戦闘後に気を緩めすぎてはいけないと告げます」
戦いを見守ってくれていた教官が声を上げた。
「シャロン以外の生徒は、迷宮から帰還後にスタミナアップの訓練を推奨します」
うん、体力には自信がある。
「すみません、教官」
「休息は構わない。周囲への警戒を怠らない事が重要だと補足します」
立ち上がろうとしたユトを教官が止め、そう言葉を付け足した。
「本当に倒せたんだね」
一息ついたのか、ザキがグラップラーの死骸を見て言う。
「役割をきちんとする事で、格上の魔物でもなんとかなるんだね」
「ああ、俺達はやったんだ」
「その考えは危険だと警告します」
訓練の成果を称え合う俺達に、教官が待ったを掛けた。
「迷宮で格上の敵との戦いは、可能な限り避けるべきものだと告げます」
「でも、勝てたぜ?」
「それは私が他の魔物の介入を阻止していたからだと補足します」
教官が魔法の灯りを生みだして、通路の向こうを照らした。
そこには――。
「ゴブリンの死骸?」
「そうだ。でも、違う。あれは上位種だ」
何体ものゴブリン上位種の死骸が転がっていた。
さっきまで俺達が死闘を繰り広げたグラップラーだけでも数体。盾や剣を持ったファイターや杖持ちのメイジまでいる。
「もし、あれが乱入してきていたら……」
「――敗走。いや、全滅していたな」
皆が苦々しげな顔になる。
「シャロン、あれ」
「影小鬼の死骸……」
ラサが指し示した場所には、毒短剣を持った影小鬼の死骸がある。
俺は周囲への注意がおろそかになっていた事に気付いて、背筋が寒くなった。
「教官がいなかったら……」
ラキシスの呟きに、皆が自分の死を幻視した。
「理解しましたかと問います」
教官の問いに皆が頷く。
「安全マージンを確保し、生還する探索者だけが未来を切り開く事ができるのだと訓示します」
「「「はい、教官」」」
座学で教えられていた内容なのに、俺達は今ようやく本当の意味でそれを理解できたんだと思う。
「それでは帰還しま――」
「逃げろぉおおおおお!」
迷路の奥から、誰かが叫びながら走ってくる。
その背後には闇の中に蠢く無数の影――。
「スタンピードが発生したようだと警告します」
教官の声に、わずかな緊張が混ざったような気がした。
※次回更新は、2/13(日)を予定しています。
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