5-幕間2:迷宮と妖精
主人公視点ではありません。
少し昔の「迷宮都市セリビーラ」での出来事です。
※2014/8/16 誤字修正しました。
※2015/4/4 エルフの名前を一部変更しました。
「先生! ホーヤ達が、ゴブリンの巣に行っちまいやしたよ!」
優雅な午後のお茶の時間を無粋に壊したのは、この蔦の館の管理を任せている家妖精のギリルだ。
いつもの落ち着いたギリルが、小さい目を飛び出さんばかりに慌てふためいている。
私も落ち着いている場合ではない。私は着慣れたユリハ繊維でできた魔法服を着込み、愛用の杖を片手に出かける。外で既に準備を調えていた従者のドハル――非常に頑健な岩妖精だ――を従えてセリビーラ郊外にある迷宮へと出発した。
少し遅れたが、私はボルエナンの森にその人ありと言われた術理魔法の使い手、500年の研鑽によって氏族で初めて、限界と言われた50レベルを突破した者だ。名をトラザユーヤ・ボルエナンと言う。最近では名前ではなくエルフの賢者殿と呼ばれる事が多くなった。
「旦那、ボウズ達はひよっ子を連れていったみたいですぜ」
「そうか」
「どうも、ひよっ子にいい所を見せて一目置かれたかったようで」
「急ぐぞ」
「へいっ!」
ドハルの言うボウズ達とは、故郷のボルエナンの森から私を慕ってやってきたホーヤ――ホルセターヤを始めとする5人ほどの若いエルフ達だ。5年ほど前から育て始め、来たばかりの頃は6~7レベルだった彼らも、今では20レベルに迫る程の急成長をしている将来有望な若者達だ。成長が遅く10レベルを超える事無く生涯を終えることの多いエルフからすれば、この速度は特筆に価するだろう。少し思慮が足りないが300歳に満たない若さでは仕方ない。時が解決してくれるはずだ。
彼らはこのまま成長し、思慮深く強くなり、やがて私を超えて、世界に影響ある立場に就いていくだろう。そしてそれこそが私の望み。エルフが再び世界の指導的地位に返り咲く事が私の夢だ。
この迷宮都市での彼らの急成長が故郷に届いたのか、先月の終わり頃に15人もの若者達が私を頼ってやってきた。ホーヤ達と比べてさえ若い。一番若い従甥のユサラトーヤに至っては僅か150歳だ。
しばらくの間は5人ずつのグループに分けて、私かドハルの指導で迷宮に慣れさせる予定だったのだが、ホーヤ達がいい所を見せようとして迷宮に連れ出してしまったらしい。新しく来た者の中に、見目麗しく歌とリュートの名手として名を馳せたシリルトーアがいた事も理由の一つだろう。意中の女性にアピールしたいのは、世代も種族も関係なく共通なのだから。
ドハルがセリビーラの西端にある迷宮専用門の門番に、探索者証の金属プレートを見せている。彼の門番君は新兵の頃からの顔馴染みだが、この20年の間、彼がプレートの確認をしなかった事は一度も無い。実に好ましい実直さだが、若者達の安否を気遣う私には、それを煩わしく感じてしまう事を止められなかった。まだまだ修行が足りない。
確認を終えた私達は、階段を降り半地下になった通路を進む。幅10メートル高さ5メートルのこの通路は、迷宮まで2キロ近い距離を蛇行して続いている。蛇行しているのは魔物が溢れたときに進撃速度を緩める為だと言う。
上辺から1メートルの所に明り取りを兼ねた狭間が空けられていて、その外側を兵士達が巡回している。万が一魔物が迷宮からあふれ出しても、この2キロの通路を突破する前に射殺されるようにできている。
この「死の通路」ができてから、迷宮の魔物がセリビーラまで辿り着いた記録は無い。
私とドハルは、走りだしたくなる気持ちを懸命に宥めながら歩を進める。この道で不用意に騒ぐと魔物と間違えられて矢を射掛けられてしまう。ドハルは背が低いから特に危ない。
やっと辿り着いた迷宮の門をドハルが開ける。この重い門を開けるには、私は非力すぎるのだ。
◇
「ボウズ達は、ゴブリンの巣を掃除するっていってやした」
「わかった」
この迷宮にはいくつものゴブリンの巣があるが、彼らが向かったのは妖精区画と呼ばれる植物の魔物が犇く場所の向こう側にある不人気区画だろう。
そこに向かうには面倒な植物の魔物を倒さなければならず、それらの魔物を倒せる者にとっては障害物でしかないゴブリンだけがいる区画なのだ。植物の魔物は耐久力が高く、火属性の魔法を使えないパーティには敷居が高い。そして、せっかく倒せても魔核が迷宮の地下深くに埋もれていて掘り出せなかったりするのだ。骨折り損の草臥れ儲けという言葉を体現する様な魔物だ。割りに合わないので、錬金術の素材を求めて稀に人が来る程度だ。
その不人気さを利用して、私はその先のゴブリン達のいる場所まで、術理魔法と錬金術で作り出した秘密のトンネルを作り、エルフの若者達の専用の狩場としたのだ。
ゴブリン達が枯れないようにガボの実を蒔いて繁殖を促し、ゴブリンを捕食する強めの魔物は私とドハルで排除した。
さて、ここまでゴブリンとだけ言っていたが、この迷宮にいるのは邪妖精のゴブリンではなく、魔核をその身に宿すゴブリンモドキの方である。邪妖精が深緑色の肌に赤い血をした悪戯好きだが、どこか憎めない妖精であるのに対して、ゴブリンモドキの方は言葉も知らず黒い肌に緑の血をした正真正銘の魔物である。
この大陸では邪妖精達は、ゴブリンモドキと一緒に狩られてしまい、一部の限られた地域以外では、ここ200年ほど見たことが無い。その為、皮肉な事に殆どの人がゴブリンと言う時、それはゴブリンモドキを指すのだ。
◇
時折り襲ってくる魔物を、ドハルの戦斧が一撃で排除していく。彼も私の従者をして100年近い。先日ついに40レベルを突破して彼の父を超えたと喜んでいた。
「旦那、バジリスクでさ」
「分かった。■■■ 魔法の矢」
私の放った21本の魔法の矢が、物陰から出てきたバジリスクに殺到する。ただでさえ避けにくく抵抗しにくい魔法の矢が21本だ。バジリスクは何もする事ができないまま肉片になる。
「はぐれか」
「へい、バジリスクの出る階層は5つ程下でさ。恐らく自分の実力もわからず深みに潜った馬鹿な探索者が引っ張ってきちまったでやしょ」
「そうだな」
困ったものだ。バジリスクの石化は低レベルだとまず抵抗できない。さきほど遭遇したのは下位種のバジリスクなので、本当に石になるわけではないが、凝視を受けると、心臓が止まり即死するので危険度は変わらない。
もうすぐトンネルという辺りで、ゴブリンの群れと遭遇した。それも1~3レベルと貧弱だが30匹近い群れだ。ドハルが排除するのを待つのも億劫なので魔法の矢で援護する。
「旦那、この辺にゴブリンがいるってこたあ」
「うむ」
ドハルの疑問に短く答える。トンネルの出入り口には、ゴブリンが拒絶反応を起こす強めの魔物避けの薬を撒いてある。それを乗り越えてでも外側まで遠征したという事は、区画内の食料が足りていないという事だ。
「まずいな」
「へい、早いとこボウズ達を助けないとやべえですぜ」
迷宮の魔物は、周期的に大繁殖する時期がある。ゴブリンはその周期が短い代わりに繁殖量の変化は少ない。元々繁殖量が多いので周期が来ても誤差程度の差しかない。
……嫌な事を思い出した。先月、ギリルが倉庫に備蓄してあるガボの実の種が全部無くなっていたと言っていた。鍵の付いていない納屋の備蓄で、今までも何度か食うに困った貧民がガボの実や種などを盗みにきていたので、「またか」と聞き流していたのだが……。
ここ1年ほどはガボの実の種を蒔くのを、ホーヤ達に任せてたのだが、彼らは、ちゃんと言いつけ通りに小袋一つで済ませたのだろうか? もし倉庫にあった小樽3つ分を蒔いたのだとしたら……。
急がなくてはならない。もし予想が当たっていたら、ゴブリンの繁殖爆発が始まっているかもしれない。繁殖爆発が始まるとメスのゴブリンの腹を食い破って30匹近いゴブリンの赤子が生まれる。そして2週間後にはその子供達が繁殖を始める。運が悪いと数万匹のゴブリンと対面するはめになりそうだ。
ようやく辿り着いたトンネルの前の広場は無数のゴブリンの死体と、3人の新参のエルフの若者達の死体があった。
「無念」
「旦那、後悔は迷宮を出てからにしやしょう」
ドハルの助言を受け入れ先に進む。
トンネルも一度に通ろうとしたゴブリンが詰まってしまって潰れている。仕方なく植物の魔物を、術理魔法の強化鋭刃で切れ味を増したドハルの戦斧で切り裂きながら進む。
ようやく辿り着いた、そこには死屍累々たる地獄絵図が広がっていた。
魔法や細剣で始末されたゴブリン達の無数の死体の合間に、ゴブリンの歯形が痛ましい若いエルフ達の無残な死体が転がっていた。
私は口々に若者達の名を呼ぶ。
だが、それに答える声は無い。ドハルの戦斧が振るわれるたびに、ゴブリンの死体が増えていく。私に襲い掛かってきたゴブリン達は、護身用に展開していた周る護輪の3つの輪が始末してくれる。
ごうん、と部屋の奥で爆裂魔法の音がした。
「ドハル」
「ヘイ、旦那」
阿吽の呼吸でドハルが、音のした方へとゴブリンの海に道を作っていく。
私はドハルを援護するために、彼に強化魔法をかける。怪力と旋風刃の2つだ。
怪力はドハルの力を何倍にも強め、颶風の様にゴブリンをなぎ倒す。旋風刃は、対象者の周辺を勝手に飛び回って敵を攻撃する小さな理力の刃だ。旋風刃は、迷宮では役に立たない魔法と言われているが、相手がゴブリンのような雑魚の場合には無類の強さを発揮する。
「ホーヤ、シーア」
私の呼びかけにシーアが力無く微笑む。美しかった彼女の透き通る緑色の髪がゴブリンの血で汚れまだら模様になっている。それでも生きていてくれて良かった。
ホーヤの爆裂魔法が、彼らを圧殺するかのように囲んでいた十数匹のゴブリンをなぎ払う。それでも私達の間には、まだ何百ものゴブリンがいる。
「■■■ ■ ■■■■■■■■■■」
私は術理魔法の中でも最上位の攻撃魔法を唱える。生涯の中でも下級竜と戦った時にしか使ったことが無い。ゴブリンには勿体無いが、安全に多数の敵を倒すのに最も適した魔法がこれなのだ。
「■■■ ■ ■■■■■■■■ ■■■」
なんと残酷な事か! シーアの左腕がなくなっている。もう彼女のリュートの音色を聞けないとは、世界の損失と言っていいだろう。
「■■■ ■ ■■■■ 無槍乱舞」
姿無き魔法の槍が豪雨のように敵に降り注ぐ。敵中に切り込んでいたドハルをはじめ、ホーヤ達も傷付ける事無く、何百のゴブリン達を死体に変えていく。
助けることができたのは、ホーヤとシーアの2人だけではなかった。麗しのシーアは、片腕を失いながらもその背に、私の従甥のユサラトーヤを庇っていてくれたのだ。幼いユーヤは気を失っていたが、応急処置したシーアと共に自走する担架の魔法で運び出す。
◇
帰還後、すぐにガルレオンの高位神官に依頼して、治癒魔法を使ってもらった。残念ながら、シーアの失われた腕の復元はうまく行かなかった。後日、本物と区別のつかない義手を完成させるまで、シーアには苦労させる事になる。
ホーヤは惨事の原因が自分にある事を思い悩み、自責の念に駆られたのか、翌日、冷たくなった姿でギリルに発見された。
シーアとユーヤの2人を連れて、ボルエナンの森に戻った私は、今回の責任を問われ、議会の3分の2の賛成をもって森を追放される事になってしまった。
永らく森を離れていたとはいえ、故郷の地を追われるのは悲しい。しかし、数多くの若い世代を失ってしまった私達は、数十年あるいは百年近く子供のいない世代が続くだろう。このように氏族の存続の危機を招いてしまった私には、相応しい罰なのかもしれない。
せめてもの贖罪に、迷宮のようにエルフを成長させる事ができ、今回のような惨事を生み出さない施設を産み出そう。氏族の若者の未来の為に、決して命が失われない訓練の場を生涯を掛けて創る事を誓う。
いつの日か、わたしの作る迷路で若いエルフ達が研鑽に勤しむ姿が溢れるのを夢見よう。
そして、いつかエルフ達が世界を導く立場に戻る未来を信じよう。
わたしはトラザユーヤ・ボルエナン。多くの若い命を散らせてしまった、エルフ一の愚かな男だ。
だが、それでも私は、夢を捨てられない。
次は成功する人の話が書きたいな~
※2015/4/4 エルフの名前を一部変更しました。
ルリルトーア(略称ルーア)⇒シリルトーア(略称シーア)
※迷宮都市編を読んだ後に疑問に思った方へ(初見の方はスルーしてください)
ドハルのセリフに「バジリスクの出る階層は5つ程下でさ」とありますが、トラザユーヤが養殖場にしていた「上層の区画内における階層」の事です。







