役者が揃ったようです
アウギュストとジューリオは辻馬車を拾い、バジョーナ国の街並みを眺めていた。国の役人が案内する場所は体裁の良い所ばかりなので、その国を知るためにはこうして実際に国民の暮らしを見てみるのが一番早い。
「まあ、コラフラン王国程ではないけれど、それなりに活気のある国だな」
「王は無能そうでしたが、側近が賢いのでしょう」
「お前、謁見の時真面目な顔してそんなこと考えてたの」
アウギュストはいつもの様に口調は砕けているが、視線はしっかりと窓の外を見やっている。
表通りは人通りも多く、歩いている人々もほとんどが庶民。一人歩きの女性もいるということは、ある程度治安も良いのだろう。さて、通りを一本中に入ったらどうなるか。
アウギュストは御者に次の角を曲がるように伝えた。
突然、ガタっと音を立ててジューリオが立ちあがり窓に張り付いた。
「ジューリオ!?」
振り向いたアウギュストの視界の端で、茶色の何かが素早く動いた。
「殿下、あれはっ……!」
人の波を器用に走り抜ける白いブラウスに茶色のスカートの女性。一つにまとめられた濃紺の髪が大きく左右に揺れている。
「クラーラ!?」
クラーラが重そうな小麦粉の袋を抱きしめるように抱えて走っていた。
「え? 何で、こんな大通りを、え? 王女が小麦粉抱えて全力疾走って、まじか」
走るクラーラにガラの悪い屈強な男たち3人がニヤニヤしながら声をかけた。足を止めたクラーラが一言二言、男たちに応える。男の一人がクラーラの手から小麦粉を奪い取った。返せと言っているであろうクラーラの背に別の男が手をかける。そのままぐいぐいと背中を押し、どこかへ連れて行こうとしている。男に押され、クラーラは向こうを向いてしまったので表情は分からなくなってしまった。
「殿下は後で追いついてください」
ジューリオはすばやく扉を開けると、走る馬車から飛び降りた。
「えっ、ちょっ、ジューリオ!」
アウギュストの手が届くはずもなく、ジューリオはきれいに着地しその勢いのまま駆け出した。馬車がちょうど角を曲がるところだったため、ジューリオの姿はすぐに見えなくなってしまった。
「だーかーら! 勝手なことすんなって言ってんだろ!」
突然飛び降りたジューリオに驚いて、御者が馬車を止めた。口止め料込みの支払いをし、アウギュストも馬車を降り先ほどの通りに向かう。あの程度の三人ならジューリオ一人で何とかできるだろう。問題はアウギュストが追いつけるかどうかだ。
クラーラの奴、町娘の格好なんかして。あいつしれっと街で暮らしてやがるな。
さすがダニエラ様の娘。
アウギュストはにやりと笑った。人込みをかき分け、きょろきょろと辺りを見回せば、あっさりとジューリオは見つかった。目立たない場所で、こぎれいな店の中の様子を窺っている。
「クラーラはあの食堂に連れ込まれたのか」
アウギュストは食堂に背を向け、ジューリオと向かい合って立ち話をしている風を装った。ジューリオの視線はアウギュストを見ている様であるが、食堂の窓に向かっている。
「はい。すぐに追いついたのですが様子がおかしかったので、ひとまず踏み込むのはやめました」
「様子がおかしいとは? あれはクラーラではなかったのか?」
「クラーラ殿下でした。遠目であろうと私が間違うはずがありません」
「えっと、さらっと、何か……こわっ」
「現時点で分かっているのは、クラーラ殿下は強盗にあったわけではないということだけです」
アウギュストはさりげなく食堂の窓を覗き込んだ。
その瞬間、店の中から笑い声が聞こえてきた。テーブルには先ほどの屈強な男たちが行儀よく席についていた。その男たちに笑顔で話しかけながら、エプロンのひもを結ぶクラーラ。小麦粉の袋を肩に担いだかわうそに似た男が厨房に入っていった。
「ほう……こんなあっさり見つかるとはね」
「もちろんこの辺りも捜索も聞き込みもしているはずです。クラーラ殿下のことは巧妙に隠されていたと考えるべきかと」
「誰に」
「クラーラ殿下が身分を明らかにして働いているとは考えにくいですので、かなりの人数の口を封じることができる人間です」
「誰が、何のために」
「探らせます。この場はどうなさいますか」
「誰か呼んで。なるべく目立たない奴。見つからないようにクラーラを見張らせろ。お前はクラーラに面が割れてるから駄目だ」
「踏み込まないのですか」
「状況がわからないままでは分が悪い。最悪逃げられるだろう」
ジューリオが悔しそうに目を細めた。
「クラーラの無事が分かっただけでもいい。思ってた以上に元気そうだしな」
窓の向こうで、クラーラが慣れた様子でビールのジョッキを左手にひとつ、右手にふたつ持ってテーブルに運んでいる。え、三つ? あの小さな手で三つ持てるの? アウギュストは思わず片手で口元を覆い、にやけてしまうのを隠した。
アウギュストは辟易していた。ポケットというポケットに詰め込まれた手紙。しかも封筒がある程度見えるように出しておくのがマナーとか! すれ違う上品な顔した青年もポケットから溢れる手紙を見せつけるように背筋を伸ばしている。会場の隅で一通だけの手紙を大切そうに胸ポケットに入れている冴えない青年がとても誠実な人物に見えてきた。
事前にこの国の最近の流行を聞いてはいたが、挨拶を交わして手紙を恭しく受け取り、ポケットに入れる。膨らむポケット。おかしな皺の寄る盛装。ああ、本当に、この国はっ……。
「おいっ、ジューリオ、何でお前は受け取らないんだ!」
「勤務中ですので」
「不愛想な奴だな! 女性に優しくしろよ! だったらお前のポケット貸せ! 俺はもう容量をオーバーしている。これ以上は無理だ」
「お断りします」
アウギュストがポケットからわしづかみした手紙を押し付けようとするが、ジューリオはするりとそれをかわした。
「手紙をちょこっと見えるようにするのがこの国の礼儀らしいぞ!」
「私はコラフランの人間ですので」
「俺もだよっ。こら、逃げんな」
「殿下」
「ん?」
ジューリオが目線で背後を示した。そっと振り向いたアウギュストの視線の先に、キエガ公爵の姿があった。向こうもこちらを窺っていたようで、目礼をしてきた。
金髪碧眼。確かにジネビラ様の言う通り、かなりの美男だ。優し気で品のある佇まいは女性に好まれるだろう。
ただし、俺はお前のことが大嫌いだがな。
公爵がゆっくりとこちらへ歩いてくる。連れはいないようだ。何とも慈愛に満ちた微笑みを浮かべていて、うっかりこいつはそれほど悪い奴ではないのかもしれない、とすら思ってしまいそうだ。
自分たちの様子は、壇上の国王たちも見ているに違いない。アウギュストは口の端をやんわりと上げ、王子様の微笑みを浮かべて一歩踏み出した。遠巻きに女性の小さな嬌声が上がった。
「あの! 王子様! お手紙受け取ってくだしゃい!」
顔を真っ赤にした少女がピンと伸ばした両手の先には手紙があった。言葉遣いといい、間の悪さといい、まだデビュタント前の子供のようだ。後ろに控えている侍従らしき男が額に手を当てている。
「ありがとう、可憐な君から手紙を頂けるなんて光栄だよ」
わざと指先をかすめるようにして手紙を受け取る。少女はさらに顔を赤くした。あわあわと唇を震わせ、次の言葉が出てこないらしい。
そうしているうちに公爵がすっとアウギュストの隣までたどり着いた。
侍従が少女の腕をさりげなく引っ張り、下がらせる。公爵が侍従にちらりと目配せをした。
おや、公爵の手の者なのか。
アウギュストは思った。確かに少女のおかげで他の貴族や女性に声をかけられることなくすんなりと公爵と話すことができたようだ。
「アウギュスト殿下、お目にかかれて光栄です。レミーオ・キエガと申します。……ご存知とは思いますが」
「もちろん、私の義弟ですからね。お会いしたかった。とても、ね」
「部屋を用意しています。そちらでお話できないでしょうか。ここは、目がありますので」
公爵は口の動きを悟られないように麗しい笑みを保ったまま言った。
「構わない。確かに、気になる目があるね」
ジューリオが無言で威圧しているので近づいては来ないが、王家の騎士が明らかにこちらを窺っていた。
「では、後程」
公爵はきれいな礼をし、するりと人波を縫って消えて行った。視線を前に戻すと、ジューリオが音もなく動き目の前に立った。ジューリオの向こうでは、先ほどの侍従が気圧され固まっている。どうやら不用意に近づこうとでもしたのだろう。公爵の仲間ならお前も敵と見なす、とばかりに威圧するジューリオをなだめるようにアウギュストはひとつ咳ばらいをした。それをきっかけに意識を取り戻した侍従が慌てて頭を下げた。
「お部屋までご案内いたします」
ほう、本当に手下だったとは。素直に付いて行っていいものか。常識で考えれば他国の王子に安易に危害を加えるとは思えない。しかし、他国の王女をないがしろにする国だ。ここまで用意周到に準備されると、構えざるを得ない。
だからと言って、行かないわけにはいかない。
「よろしく頼む」
アウギュストは鷹揚にうなずき、侍従の後に続いた。
侍従が仕えていた少女は、両親だろうか、派手な身なりの男女の元にいた。こちらを見るでもなく、王子に無事手紙を渡すことのできた娘を労わっている。この場にいるということは貴族であろう。では、この侍従との関係は。公爵との関係は。
考えたって正解がわかるはずもない。アウギュストはとりあえずあの少女から受け取った手紙をさりげなく取り出し、内ポケットに仕舞った。
案外肝が据わっているのか、侍従はジューリオを警戒しつつも落ち着いた足取りで廊下を進んで行く。
「こちらです、どうぞ」
艶々と光る廊下に三人の足音だけが響く。事前に人払いがしてあるのか衛兵がひとり立っているだけだった。衛兵も公爵の手の者なのだろう。決してアウギュストとジューリオを視界に入れないように振舞っていた。
侍従が開けた扉の向こうには、頭を深く下げた公爵が立っていた。室内には他に人はいないようだった。
「ありがとう」
そう侍従に声をかけて部屋に入った。扉を押さえていた侍従もジューリオに続いて部屋に入ってきた。公爵が勧めるソファにアウギュストが腰をかけると、その後ろにジューリオが立った。
「ディートハルト、お茶を」
公爵は侍従に優しい声で指示した。ディートハルトと呼ばれた侍従は紅茶を淹れる準備を始めた。ジューリオが隠す様子もなく厳しい目つきで手元を見ているが、少し苦笑いしただけで慣れた手付きで紅茶を淹れた。アウギュストの前に紅茶を置くと、そのまま足音をさせずに後ずさりドアに近い壁際で控えた。
「丁寧にありがとう。悪いが、私は毒見なしでは物を口にしないことにしているんだ。特に信用の置けない場所ではね」
「ごもっともでございます」
公爵は困ったように眉を下げると、流れるような動作でソファを下りアウギュストの前に跪いて頭を下げた。
「この件は私の不徳の致すところでございます。大変申し訳ございません」
深く頭を下げる仕草でさえも麗しい貴公子。それがかえって謝罪を嘘くさくしてしまっている。アウギュストは返事もせずに呆れた表情で公爵を見下ろした。
「何を言っても愚かな言い訳にしかなりませんが、話を聞いていただけないでしょうか。クラーラ殿下の件、そしてこの国の現状とこれからについて」
「この国の現状と、これから?」
公爵は頭を下げたままなので、表情が窺えない。
「話くらいは聞いてやろう。公爵、ただ……その前にひとつだけ質問してもいいだろうか」
「どうぞ?」
「あなたの胸ポケットには手紙が一通しか入っていないようだが」
「ああ、これは事前に用意したフェイクの手紙です。全て受け取ると収拾がつかなくなりますからね。服のラインも崩れてしまいますし。おや、全て受け取ったのですか? 浮気者と見なされてしまいますよ」
お前に言われたかねーよ!!
そのラブレターはもしや……




