閑話 フィリスの行動
悲鳴を聞いたフィリスは、すぐに兵士たちを連れて城の階下へと向かった。
兵士たちの怒号が響き、やがて剣が敵を叩く音が聞こえてくる。
「始まってしまいましたね」
「王女殿下。どうかお戻りください! ここは危険です!」
今、フィリスと護衛の兵士がいるのは城の正面バルコニーだった。
生誕祭はもちろん、多くの行事で王や使徒が顔を見せる場所だ。
そこからは城の正門で戦うエルトたちがよく見えた。
つまり、逆もしかりということだ。
「正門が破られれば、城も危ないわ。なら、どこにいても一緒じゃないかしら?」
「それはそうかもしれませんが……」
護衛の一人が言葉に詰まる。
ユウヤやセラならともかく、普通の兵士ではフィリスに強くモノを言うことはできないのだ。
それがわかっているから、フィリスはここにいた。
自分の目でしっかりと見るために。
「この一連の騒動。アルシオンが無関係とは言えないわ。いえ、狼牙族が関わっている以上、私たちが原因とも言えるわね」
アルシオンは攻め入ってきた狼牙族を撃退した。
それが間違っていたとは、フィリスは思っていなかった。
あのとき、誰かを気遣う余裕はアルシオンにはなかった。
侵略を受けていたのだから。
だが、しかし。
その戦いの先で、恨みが残り、その恨みがレグルスに降り注ぐのは間違っている。
そう考えていた。
恨みを受けるべきはアルシオン。
レグルスはアルシオンに手を差し伸べただけであり、エルトは狼牙族を保護した。
マグドリアに嘘を吹き込まれているにせよ、彼らが向かう先は間違っているのだ。
彼らが向かう先はレグルスの民ではなく、アルシオン王国の王族である自分。
フィリスは目を瞑り、ゆっくりと深呼吸する。
状況は最悪に近い。
エルトは神威を封じられ、狼牙族はそのエルトに迫っている。
どうにかしようにも、民の安全を第一に考えていては、打てる手は少ない。
その中でもっとも効果的なのは、民から狼牙族を引き剥がすこと。
神威を解かなくとも、そうすればエルトの負担は軽くなる。
民の近くにいる狼牙族は、エルトの光壁に邪魔されても、民に攻撃を加えているからだ。
その度にエルトは消耗を強いられる。
それがなくなれば、もう少し自由に戦えるはず。
確信に近いものを感じ、フィリスは目を開けた。
「私はこれから狼牙族を引き付けます。命が惜しい者は城に戻りなさい。咎めはしません」
兵士たちは一瞬、フィリスが何を言ってるのかわからなかった。
やがて何人かが、フィリスがやろうとしていることを理解する。
「それはつまり……殿下が囮になると言うことですか?」
「そうなるわね。どこまで効果があるかわからないけれど、私の存在を彼らに明かすわ」
「き、危険です!? アルシオンの王族がいると知れば、彼らは」
「向かってくるでしょうね。彼らにとって憎んでも憎み足りない相手でしょうし」
気丈にしつつも、フィリスは手の震えを止められなかった。
狼牙族は通常の兵士では止められない。
それはクロック砦での戦いで明らかだった。
砦攻めで疲弊した狼牙族ですら、アルシオン軍は止められなかったのだ。
ここで狼牙族を引きつければ、フィリスの死は現実味を帯びてくる。
自殺行為といってもよかった。
それでもフィリスは前を向いていた。
たとえ危険でもやらなければいけない。
ここで背を向けることだけはしたくはなかった。
周りの兵士に再度、意思の確認を行おうとしたとき、フィリスの後ろから声がした。
「絶対にダメ!」
フィリスは後ろを振り返る。
そこには息を切らせたセラがいた。
「セラ!?」
「絶対にダメ! やらせない!」
そう言ってセラはフィリスの傍まで来て、フィリスの腕をつかむ。
意外な力の強さを発揮して、セラはフィリスを引っ張った。
「城に戻って!」
「セラ! 私がやらないといけないの!」
「ここはレグルス! そんなことはレグルスの王族がすればいい! 姫さまは自分の安全だけ考えて!」
フィリスはセラに抵抗しつつ、ちらりとエルトを見る。
いつもの余裕もキレもないが、それでもエルトは剣を振るい、民を守ることをやめない。
その姿を見てしまえば、フィリスは引くことはできなかった。
「たとえ他国の民でも庇護するのが王族なの! 我儘かもしれない! 迷惑かもしれない! それでもここで見て見ぬ振りをしてしまえば、私は自分を誇れなくなる!」
「誇らなくていい! 命のほうが大事! どう考えたって、狼牙族を防ぎきれない! それは私が一番良く知ってる!」
セラの言葉にフィリスは顔をゆがめる。
セラの目は確かだ。
それはフィリスがよく知っている。
その目があるから、セラはここにいるのだ。
だが、それでも。
「ユウヤなら見捨てないわ!」
「それはユウヤが強いから! 今、姫さまが居場所を明かしたら、敵が全員、こっちに来る! 公爵と共同しても防げない!」
「ならこのまま、エルトリーシャ様が追い詰められるのを見ているの!? レグルスが追い詰められるのを見ているの!? 城に彼らが入ってきたら、背を向けて逃げるの!? 私は逃げたくない!」
フィリスは感情を露わにして、セラの腕を振りほどく。
それに対して、セラも負けじと言い返す。
「姫さまは意地を張ってるだけ! ロードハイム公爵に負けたくないから!」
「ええ、そうよ! それの何が悪いの!? 私には何もない! 武勇も知略も! そんな私にあるのは、王族という血筋だけ! 貴き血筋という意地が私にはある! 王族としての誇りがあるの! 理不尽に晒される民を見捨てて、その誇りが保てるの!? 誇りを失った王族に価値があるの!?」
フィリスの言葉にセラは押し黙る。
もはや、何を言ってもフィリスが考えを変えないと察したからだ。
「逃げるなら逃げなさい。私はここで責務を果たします」
「……わからず屋」
「何とでも言いなさいな」
「……なら私も責務を果たす。あなたを守ることが私の役目だから」
そう言ってセラは前に出る。
バルコニーから顔を出し、戦況を瞬時に分析する。
正門前では包囲が完成しようとしていた。
加えて、続々と兵士が到着し、包囲に加わっている。
ただし、有利というわけではない。
狼牙族は機動力を捨てて、向かってくる兵士を迎撃することに専念していた。
エルトが長くは持たないと察しているからだ。
セラはそれを見て、大きな声でエルトに呼びかける。
「ロードハイム公爵! 後方部隊は私が指揮を執る!」
「任せた!」
手短なやり取り。
それだけエルトに余裕がないのだ。
それでも指揮を任されたセラは、包囲に参加しようとする兵士たちを呼び止める。
「闇雲に包囲へ入らないで! まずは部隊を作って待機! 疲弊した場所と交換で入って!」
セラの指示を受け、レグルス兵は困惑するが、先ほどのエルトの任せたという言葉を聞いているため、渋々、言われた通りに部隊を作り始める。
セラはその作業を見ながら、フィリスに告げる。
「姫さまがやりたいようにやればいい。止められないなら、守るだけ」
セラはそう言って、さらに指示を出し始める。
そんなセラを見て、フィリスは微かに微笑む。
「ありがとう。セラ」
「礼はまだ早い。守れるか怪しい」
「平気よ。危なくなったら、ユウヤが来てくれるわ」
「無理。ここからロードハイム公爵領まで距離がありすぎる」
「それでも来てくれるのがユウヤよ。私はそう信じてる」
フィリスはそう言うと、周りの護衛たちへ視線を向ける。
誰もが剣を抜き、フィリスの目を真っすぐ見返す。
皆がフィリスを守ることを選んだのだ。
それに対して、フィリスは礼を言う。
そして、それに後押しされるようにして、バルコニーから狼牙族へ語り掛ける。
「この場にいるすべての狼牙族に告げます! 私はフィリス・アルシオンです! ただちにレグルス王国への攻撃をおやめなさい! あなた方は間違っています!」
「フィリス……アルシオン!?」
一人の狼牙族が呟く。
やがて、正門前の攻防に参加していなかった者までが、フィリスへと視線を注ぐ。
「狼牙族とアルシオン、そしてレグルスは確かに争いました。その事実は否定しません。我々は祖国を守るために、あなた方の同胞を斬り捨てた。けれど、それは戦場でのこと! 戦に参加していなかった狼牙族はロードハイム公爵が保護しました!」
「何を言う! 幽閉の間違いであろう!」
上がった声にフィリスは強く首を横に振った。
自分が里に行ったとき、見たものは決して幽閉ではなかったからだ。
「いいえ、保護です! 幽閉することに何の意味があると言うのですか!? ラディウスの矛先をレグルスに向けるだけではないですか! 直接、その目で見たのですか? 彼らが虐げられている姿を! マグドリアから聞いただけではないのですか!?」
「それは……」
「再度、言います! あなた方は間違っている! あなた方の行動は、無実な同胞を窮地に追い込む蛮行です!」
「我らは同胞の敵を討ちに来たのだ! それを蛮行とは!」
「蛮行は蛮行です! 戦場での命のやり取りは戦士の役目! あなた方はその果ての敵討ちと言いながら、武器を持たぬ民に爪を振りかざしている! 戦士の誇りはどこへいったのです? マグドリアに協力することで、魂まで売り渡しましたか!?」
その言葉はフィリスの本心だった。
戦場での狼牙族は脅威ではあったが、勇猛であり、正々堂々としたものだった。
ユウヤをして、誇り高いと評された戦士長を筆頭に、彼らはまさに戦士だった。
それに引き換え、今の彼らはどうか。
たとえそれが作戦だったとしても。
それが効果的だったとしても。
譲ってはいけない一線があったはず。
「未だに戦士の誇りがあるというのなら! 正当な敵討ちと胸を張って言いたいのなら!」
フィリスは大きく息を吸い込む。
これを言うことは、宣戦布告に他ならない。
だが、それでも言わねばならなかった。
王族としての責務、誇り。
そして個人としての意地。
それを全て込めながら、フィリスは告げた。
「まずはこのフィリス・アルシオンの首を取ってみなさい!」
その言葉に対して、狼牙族は遠吠えで応えた。
後悔するなよ、という意味を込めて。




