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十二月二十四日。ついにクリスマスイブがやってきた。
あれから一週間、小田さんと共に働いていて胸が高鳴らない日などなかった。どうして自分がこうなってしまったのか未だにわからない。恋愛というのはそういうものなのかもしれない。
誰が誰を好きなるか?
それは永遠の命題のようで、まさに天の導きのようだ。
たまたま我が家は洋菓子店を営んでいて、たまたま彼女がバイトに来て。たったそれだけのこと。だけど、そんな些細なきっかけで私の恋は花開いてしまったのかもしれない。
今日も彼女と一緒にいられると思うと、それだけで幸せな気持ちになってしまう。
天気予報の言う通り外では雪が舞っていた。ウッドデッキのもみの木にも綿飴みたいな雪化粧がほどこされている。
イブのお店は大混雑を通り越し、ちょっとしたパニックだった。それでも毎年接客をしている母と私。それに今年は小田さんという心強い味方がいた。彼女はレジ打ちにも慣れ、素早く丁寧に会計をしていった。三人が大回転し続けた末、ようやく閉店となった。
お店をクローズしてから、買ってあったフライドチキンを三人で頬張った。山場を一つ越えてほっとしたこともあり、この日は小田さんも遅くまで残っておしゃべりを続けた。そのうちに母は明日も早いから、と引き上げてしまったが、私と小田さんはそのまま話し続けた。
そうしているうちに、私は小田さんを自室に招き入れることに成功した。いつまでもお店にいるわけにもいかないし、よかったら、と思い切って誘ってみたのだ。
今、私の横には小田さんがいる。この状況だけで私は舞い上がってしまっていた。去年まではクリスマスなど大嫌いであったが、今年だけは例外である。むしろ毎年こうなら、私のクリスマス嫌いも解消されるはずというものだ。
「ねえ」
炬燵の隣に座る小田さんの顔が、いきなり近づいてきて焦ってしまった。ついドギマギして、
「は、はいっ」
と、やや上擦った声を上げてしまった。
「せっかくのクリスマスなんだし、乾杯しましょう。私、こんなこともあるかとシャンパンを持参してきたんです」
「い、いいですね」
私は取ってつけたように手を合わせる。彼女は取り出したシャンパンのコルクを手際よく抜いた。クラッカーのような炸裂音が鳴る。
グラスに黄金色の液体を注いでいく。中にはしゅわしゅわとした小さなあぶくが踊っていた。
「それじゃあ、乾杯」
「乾杯」
私たちはグラスを合わせた。そこでふと奇妙に思う。小田さんはこんなにも素敵な人なのに、何故イブの日を私と過ごしているのだろうと。そして、その疑問をそのままぶつけてみた。
「付き合っていた彼氏はいたんですけど。なんていうか、はっきりしなくて。私の方からさよならしたんです」
小田さんはぐいっとグラスを傾けた。
「あんな人といるより石川さんといる方が楽しいから」
彼女から匂い立つ色香を感じて、私は頬が赤らむのを自覚し、思わず俯いてしまった。
「あの……飛鳥でいいです」
「え?」
「私の方が年下ですし、飛鳥って呼び捨てにしていいですから」
「そ、そうですか……」
小田さんは私の頭をぽんぽんと優しく撫でながら、
「それじゃあ、飛鳥ちゃん。これからもよろしく」
と微笑んだ。
「はい、小田さん」
「私のことも涼音って呼び捨てにしていいよ」
そんな。見目麗しく、艶のある彼女を呼び捨てにするなんてできそうもない。迷った挙句「涼音さん……」とたどたどしく呼んだのが精一杯で。その一言を発するだけでも私の心臓は爆発寸前だった。
「とりあえずは、いっか」
そう言って涼音さんは満面の笑みを浮かべた。
二人でチキンの残りを頬張り、シャンパンを飲む。美味しい。するすると私の中に入っていって心地よく酔わされてしまう。
「シャンパンには、実はチョコレートが合うって知ってた?」
「あ、そうなんですか。お店に明日の分のガトーショコラがあったはずですよ」
「いや、お店の在庫を減らしちゃマズいでしょ」
涼音さんは困りながらも笑っていたけど、私は立ち上がってこっそりと厨房からガトーショコラ二人分を持ってきてしまった。
シャンパンを飲んでからガトーショコラを食べると、確かにこれはベストな飲み合わせだと思えた。
「知ってる? そういうシャンパンとかワインと合う食事をとることを『マリアージュ』っていうの」
「どういう意味ですか?」
「端的に言えば、マリッジよ」
「結婚って意味、ですよね?」
「そ。お酒とお料理の結婚というか、組み合わせの妙とでも言うのかしらね」
結婚という言葉の響きにすら、私は顔を染めてしまう。もし、もしもなのだけれども、涼音さんが男性だったとしたら、そりゃもう結婚したい。けれども──涼音さんは女性で。それなのに、彼女に対してこうして胸がときめいてしまっている私って──。
短く溜息をつき、俯く。
「どうしたの、飛鳥ちゃん?」
「い、いえ、なんでもないです」
私は照れ笑いを浮かべて誤魔化す。そうしていると、涼音さんがなにやら自分のバッグの中から包みを取り出した。
「はい、これ。日頃お世話になっている飛鳥ちゃんに」
綺麗に包装された箱を渡してくれる。私は喜んで受け取った。
「開けていいですか?」
「開けないと見られないでしょ」
じゃあ、と断って箱を開ける。中には暖かそうなマフラーが入っていた。
「わあ! 素敵!」
マフラーには高級ブランドのロゴが刺繍されていた。
だけどそこで、ふと私は恥ずかしくなってしまった。自分が用意したプレゼントがあまりにも子どもっぽいものだったからだ。球体の雪原と、その真ん中に雪だるまをあしらったスノードーム。
「ねえ、飛鳥ちゃん。私にプレゼントはある?」
「いえ、用意してませんでした……」
涼音さんが尋ねてきたので、私は消え入るような声で答えた。
「なあんだ、残念」
しかし、彼女は続けて思いもよらないことを口にした。
「でも横に飛鳥ちゃんがいてくれたら、私はそれだけで満足だよ」
そう言ってこちらも見ずにグラスを傾ける。そこでボトルが空になった。
回る、回る、私の部屋が。まるでメリーゴーラウンドのように。涼音さんの顔もぼやけて見える。久々のアルコールということもあって、効きすぎてしまったようだ。
涼音さんの顔が二重に見えて、顔がぼうっと熱くなっている。酔った勢いで自分の胸の中にあるものを吐露してしまおうか……と思ったときには、もう言葉が口をついて出ていた。
「あの、涼音さん。手……繋いでもいいですか?」
言った瞬間に我に返って後悔した。失敗した。きっと彼女は引いてしまっているだろう。
消えてしまいたかった。ここからいなくなってしまいたかった。私はぎゅっと硬く目をつぶってしまった。
ふわり。
その温かな感触に驚いて目を開けると、私の手の上に涼音さんの白く滑らかな手が重なっていた。
「メリークリスマス」
涼音さんはウィンクし、右手で私の手の甲を握り、左手で手を振った。
「メリークリスマス」
私もつられて手を振ってしまった。
恥ずかしくて窓の外に目を向ける。きっと空の上にはサンタさんもいるに違いない。だって、こうして「涼音さんと仲良くなりたい」という願いを叶えてくれたのだから。




