ポーション代わりの野菜スープが高値で売れてしまう件
「はぁ、はぁ……。も、もう駄目だ……」
行商人のトーマスは、意識が朦朧とする中で足を動かしていた。 近道だと思って踏み入ったこの「果ての荒野」は、予想以上に過酷だった。 水は尽き、護衛の冒険者は魔物に恐れをなして逃げ出し、荷馬車を引く馬も限界を迎えている。
(ここで死ぬのか……。妻と娘に、土産の一つも買えずに……)
視界が霞む。 その時、トーマスの目に信じられないものが映った。
荒涼とした大地に不釣り合いな、立派なログハウス。 煙突からは煙がたなびき、庭には青々とした畑が広がっている。
(し、蜃気楼か……? こんな魔境に、あんな綺麗な家があるはずが……)
トーマスは最後の力を振り絞ってその幻影に手を伸ばし――その場に倒れ込んだ。
◇
「……ん、気がついたか?」
目を覚ますと、そこは天国だった。 いや、正確には見たこともないほど清潔で温かい部屋のベッドの上だった。
「み、水……」 「ああ、ほら。ゆっくり飲めよ」
人の良さそうな黒髪の青年――アレンが、コップを差し出してくれる。 その水を一口飲んだ瞬間、トーマスは目を見開いた。
(う、美味い!? なんだこの水は!? 身体の芯まで染み渡るような魔力を感じるぞ!?)
それはアレンが【浄水施設(聖水化フィルター付き)】で生成したただの水道水だったが、荒野で脱水症状寸前だったトーマスには神の雫に思えた。
「倒れてるところをウチの猫が見つけてな。顔色が悪いから、とりあえずこれでも食って精をつけてくれ」
次に運ばれてきたのは、野菜がたっぷり入ったスープだ。 湯気とともに漂う香りが、弱った胃袋を刺激する。 トーマスは震える手でスプーンを口に運んだ。
「――っ!?」
カッ!! 身体の内側から、爆発的な活力が湧き上がった。 重かった手足が軽くなり、旅の疲労どころか、長年悩まされていた腰痛まで消え去っていく。
「な、なんですかこれはぁぁぁッ!?」 「え? ただの野菜スープだけど……」 「ただのスープで、上級ポーション(ハイ・ポーション)以上の回復効果が出るわけありますかッ!!」
トーマスは商人の性で、思わずスープに入っていた人参を鑑定してしまった。
【名称:聖域の人参】 【ランク:S】 【効果:滋養強壮、魔力回復(大)、解毒】
「Sランク食材……!? 王族の晩餐会でも滅多にお目にかかれない代物が、こんなゴロゴロと……!」
「あら、お客様。お目が高いですわね」
驚愕するトーマスの前に、エプロン姿の美しい女性が現れた。 その立ち振る舞い、優雅な微笑み。ただの村娘ではない。 トーマスは数多くの貴族を見てきた経験から、彼女が「本物」であると直感した。
「わ、私は行商人のトーマスと申します。……この素晴らしい家と、奇跡のような料理……一体ここは……?」
「ここはアレン様の領地ですわ。私は管理人のシャルロットと申します」
シャルロットはニッコリと笑うと、すっと商談モードの顔つきになった。 その瞳には、かつて公爵家の財政を取り仕切っていた頃の鋭い光が宿っている。
「トーマスさん。そのスープに使われているお野菜、気に入っていただけましたか?」 「は、はい! 気に入るどころか、これ一つで金貨が動くレベルです!」 「まあ、嬉しい。……ちょうど私たち、このお野菜の『販路』を探しておりましたの」
シャルロットは扇子(アレンが作った紙製)を優雅に開いた。
「私たちの村では、この野菜が毎日収穫できます。ですが、市場に卸すツテがなくて困っていましたの。……貴方のような目利きの商人さんが来てくれて、本当に良かった」
「ま、毎日……!? これを!?」
トーマスは商機の匂いを嗅ぎつけた。いや、匂いどころではない。これは目の前に金山があるようなものだ。
「か、買います! 私が全量買い取らせていただきます! 王都に持ち帰れば、貴族たちが争奪戦を繰り広げるでしょう!」 「ふふ、ありがとうございます。では、専属契約ということで……こちらの条件ですが」
そこからは、シャルロットの独壇場だった。 彼女は野菜の価値を正確に把握しており、トーマスがギリギリ利益を出せつつ、こちらが大儲けできる絶妙なラインで価格を提示した。
「……というわけで、野菜一箱につき金貨10枚。加えて、定期的に日用品や衣類、調味料を運んでいただく、ということでよろしいかしら?」 「は、はい! 喜んで! これでも安い買い物です!」
契約成立。 トーマスは荷馬車がパンクするほどの「聖域野菜」と「ミスリル加工の包丁(エルザの失敗作)」を積み込み、ホクホク顔で帰っていった。
◇
「すげぇなシャルロット。あの野菜、そんなに高く売れるのか」
アレンが感心して言うと、シャルロットは悪戯っぽく舌を出した。
「ふふ、アレンさんが作ったお野菜ですもの。これでもお安くしてあげましたのよ?」 「なるほど、頼もしい限りだ」
これで我が家に「現金収入」と「定期的な物資補給ルート」が確立された。 スローライフの基盤は、盤石のものとなりつつあった。
だが、二人はまだ知らなかった。 トーマスが持ち帰った野菜が、王都の貴族社会にとんでもない衝撃を与え、巡り巡って「アレンを追放した勇者」や「シャルロットを捨てた王子」の耳に入ることになる未来を。
「……ん? なんか王都の方角が騒がしい気がするな」 「気のせいですわ、アレンさん。さあ、今日はお金が入ったので豪華なシチューにしましょう!」




