表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/33

魔王襲来。……と思ったら、「入浴料はいくらだ?」と財布を出してきた

魔界の最奥にそびえ立つ、万魔殿パンデモニウム。 その玉座にて、魔族の頂点に立つ男――魔帝ヴォルゴスは、部下であるゼギオンの報告書を読みながら、眉間に深い皺を刻んでいた。


「……ゼギオンよ」 「はっ、魔帝陛下」 「貴様の報告によれば、人間界の辺境に『入るだけで古傷が癒え、肌がツヤツヤになり、腰痛が消滅する泉』があるというのは、真か?」


ヴォルゴスの声は重低音で響き渡り、城全体を震わせた。 彼は身長三メートル近い巨躯に、ねじれた二本の角、そして全身を覆う漆黒の鱗を持つ、正真正銘の化け物だ。


「は、はい……。愚かなる闇の勇者アルヴィンは敗れましたが、その泉の効果は本物かと。部下のオークたちも『肌触りがスベスベになった』と申しており……」 「…………」


ヴォルゴスは沈黙し、玉座の肘掛けをギュッと握りしめた。ミシミシと音がする。 彼は悩んでいた。 数百年に及ぶ人間との戦争、部下の管理、そして硬すぎる玉座での執務。 それらによって蓄積された彼の『魔帝肩こり』と『魔帝腰痛』は、もはや限界に達していたのだ。


「……行くぞ」 「は? 進軍ですか?」 「『お忍び』だ。供は最小限にせよ。……タオルは持ったか?」



アレン公国、極楽温泉郷。 今日も平和な営業時間が始まろうとしていた。


「いらっしゃいませー。今日は天気がいいので露天がおすすめですよー」


受付嬢(スケルトンから昇格して、リナとエリスが交代でやっている)の明るい声が響く。 だが、その平穏は突如として破られた。


ゴゴゴゴゴゴ……ッ!!


空が紫色に染まり、黒い雷が走る。 圧倒的な「死」の気配が、温泉街全体を包み込んだ。


「な、なによこれ!? 魔力測定器が振り切れてるわよ!?」 「エリス、落ち着いて! お客様を避難誘導して!」


リナが悲鳴を上げる中、天空から巨大な魔法陣が展開され、そこから絶望的な威圧感を放つ影が降り立った。 魔帝ヴォルゴスである。 その背後には、腰巾着のように付き従う闇の勇者アルヴィンの姿もあった。


「ハハハ! 見たかアレン! このお方こそが魔界の支配者、魔帝ヴォルゴス陛下だ!」


アルヴィンが勝ち誇ったように叫ぶ。


「前回のようにはいかんぞ! 陛下の一撃は山をも砕く! さあ陛下、この忌々しい温泉を跡形もなく吹き飛ばし……」


ドスッ。


「ぐべっ!?」


ヴォルゴスの太い尻尾が、煩わしそうにアルヴィンを薙ぎ払った。 そして、魔帝はズシン、ズシンと地面を揺らしながら、アレンとシャルロットが待つ受付カウンターへと歩み寄った。


アレンの家の警備システムが『危険度:測定不能カタストロフィ』と警告音を鳴らし続けている。 エルザはハンマーを構え、ミアは毛を逆立てている。シャルロットでさえ、顔色が青ざめていた。


だが、アレンだけは動じなかった。 彼はカウンターの中から、営業スマイルで声をかけた。


「いらっしゃいませ。……大きいですね、お客様」


その言葉に、ヴォルゴスは足を止めた。 金色の瞳が、アレンをじっと見下ろす。 張り詰める緊張。もしここで彼が暴れれば、この国は地図から消える。


ヴォルゴスは懐(胸の鱗の隙間)に手を入れ、何かを取り出した。


「……大人一名だ。サウナも頼む」


ジャラッ。 カウンターに置かれたのは、純金で作られた魔界のコインだった。


「「「は?」」」


その場にいた全員(アレン以外)の声が重なった。


「えっと、通貨が違うんですが……まあ、ゴールドなら換金できるか」 アレンは手早く計算し、お釣り(人間界の銀貨)と、特大サイズの浴衣、そしてロッカーキーを渡した。


「まいど。脱衣所は右奥です。……あ、お連れアルヴィンは?」 「知らん。そこに転がしておけ」 「承知しました」


ヴォルゴスは「うむ」と頷き、暖簾をくぐって消えていった。



「ふぅぅぅぅぅぅぅ……」


地響きのようなため息が、男湯に響いた。 ヴォルゴスの巨体でも、アレンが作った『大露天風呂』なら余裕で肩まで浸かれる。


「……効く。長年の魔帝腰痛が、霧散していくようだ……」


お湯に溶け込んだ【状態異常回復】と【筋肉疲労除去】のバフが、魔帝の頑強な肉体をほぐしていく。 彼は目を閉じ、極楽の表情を浮かべた。 そこには、世界を恐怖に陥れる魔王の威厳など微塵もなかった。ただの「疲れ切った中間管理職のおじさん」がいただけだ。


「お背中、流しましょうか?」 「む?」


声をかけたのは、たまたま居合わせた国王レギスだった。 彼は相手が魔帝だと気づいているのかいないのか(気配で気づいているはずだが)、タオルを持って近づいてきた。


「見ない顔だが、新入りかね? この湯はいいぞ。ハゲも治る」 「……ほう。人間界の王か。余の背中は硬いぞ?」


魔帝と人王。 世界のトップ二人が、裸の付き合いを始めた。


「そこだ、そこ。……うむ、上手いな」 「余も最近、肩が凝ってな。……互いに苦労するな、部下の不始末には」 「全くだ。余の部下(勇者)など、喚くばかりで役に立たん」


二人は意気投合した。 湯船の中で、平和条約(仮)が結ばれようとしていた。



風呂上がり。 休憩室のマッサージチェア(ゴーレム製・振動機能付き)に身を沈めながら、ヴォルゴスはフルーツ牛乳を一気に飲み干した。


「プハァッ! ……美味い。魔界の溶岩酒より染みるわ」


彼は完全に骨抜きになっていた。 そこへ、アレンが新しいタオルを持ってやってくる。


「どうでした? 狭くなかったですか?」 「完璧だ、建築士アレンよ。……貴様、魔界に来て城をリフォームする気はないか? 四天王の地位をやろう」 「いやぁ、通勤が遠いんで」


アレンがあっさり断ると、ヴォルゴスは「ならば仕方ない」と笑った。


「その代わり、ここに『魔界直通ゲート』を設置することを許可せよ。余が週末に通うためにな」 「それならOKです。あ、回数券買います? お得ですよ」 「貰おう。十冊だ」


こうして。 アレン公国は、人間界の王だけでなく、魔界の帝王までも顧客(常連)に取り込んでしまった。


一方、外で気絶していたアルヴィンが目を覚ますと、そこには誰もいなかった。


「あ、あれ……? 陛下? アレンは? ……俺、また置いていかれた……?」


寒風吹きすさぶ中、闇の勇者の目から、光るものがこぼれ落ちた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ