温泉効果でハゲが治った!?王様がお忍びでやってくる
「おい、見たかよ今の」 「ああ……信じられねぇ……」
王都の冒険者ギルドがざわついていた。 話題の中心は、つい先日『果ての荒野』から帰還した中堅パーティ『鉄の絆』だ。
彼らは「死にかけの重傷」を負って引退寸前だったはずが、肌はツヤツヤ、古傷は消滅、あまつさえリーダーの還暦近い男の腰痛が完治し、反復横飛びができるようになって戻ってきたのだ。
「ダンジョンの温泉に入っただけだって?」 「嘘だろ。だが、あの若返りようは……」
その噂は、瞬く間に王都を駆け巡り――やがて、雲の上の存在の耳にも届くこととなった。
◇
王城、国王の執務室。 国王レギスは、深いため息をついていた。
「はぁ……。フレデリックの奴め、また予算の計算を間違えおって……」
最近、国政は停滞していた。 優秀な実務担当者だったシャルロット・フォン・ベルンシュタイン公爵令嬢がいなくなってから、書類仕事は遅れに遅れ、王妃は野菜不足でイライラし、城内の空気は最悪だった。
レギス王の心労は極限に達し、それに比例して――彼の頭頂部は寂しくなる一方だった。
「陛下。ご報告がございます」
影から現れたのは、王家直属の密偵頭領だ。
「例の『辺境の奇跡』について調査してまいりました。どうやら噂は真実のようです。万病を癒やし、失われた活力を取り戻す『極楽の湯』……実在します」 「……失われた活力も、か?」
レギス王の手が、無意識に自らの薄くなった頭髪に伸びる。 密偵は無表情のまま頷いた。
「はい。毛根が死滅した冒険者も、産毛が生えたと歓喜しておりました」
ガタッ! レギス王は椅子から立ち上がった。その瞳に、王者の決意が宿る。
「……視察に行くぞ。お忍びだ。誰にも言うなよ」 「御意」
こうして、一国の王が(主に毛根のために)辺境へ向かうこととなった。
◇
数日後。 商人風の旅装に身を包んだレギス王と、護衛の密偵は、アレンたちの住む荒野に到着した。
「ここが『果ての荒野』か……。相変わらず不毛な――む?」
レギスの目が点になった。 荒野のど真ん中に、立派な日本庭園風の入り口があり、紺色の暖簾が風に揺れているのだ。 看板には達筆な文字で『天然温泉・極楽の湯 ~効能:全部~』と書かれている。
「いらっしゃいませー。カッカッカ」 「ひっ!?」
入り口で出迎えたのは、法被を着たスケルトンだった。 レギスは腰の剣に手をかけそうになったが、スケルトンは恭しくお辞儀をし、冷えたおしぼりを差し出してきた。
「……魔物が、接客をしているだと?」 「どうやら高度な使役魔法のようです。敵意は感じません」
狐につままれたような気分で、二人は中へと入った。
◇
「ふぉぉぉぉぉぉ……」
数分後。 レギス王の間抜けな声が、地下大浴場に響き渡っていた。
「なんという湯だ……! 肩の凝りが、瞬く間に溶けていく……!」
広大な岩風呂。適度な湯温。そして天井に広がる偽物の青空。 何より、湯に溶け込んだ【超回復】のバフが、激務に疲れた王の身体を芯から癒やしていく。
「おっ、新規のお客さんか?」
湯煙の向こうから、桶を持った黒髪の青年がやってきた。アレンだ。 彼は相手が国王だとは知らず(知っていても変わらないだろうが)、気さくに話しかけてきた。
「どう? いい湯だろ?」 「う、うむ。素晴らしい。……これほどの施設、王都にもないぞ」 「そりゃどうも。ここには『発毛促進』と『ストレス解消』の効果も入れてあるから、ゆっくりしてってくれよ。お父さん、だいぶお疲れみたいだし」
「……分かるか?」 「ああ。顔に『部下が使えなくて辛い』って書いてある」
レギスは苦笑した。この若者には敵わない。 湯船の縁に腕を預け、王という仮面を外して愚痴をこぼす。
「全くな……。息子がどうしようもない馬鹿でな。優秀な婚約者を追い出した挙句、仕事もできん。おかげでこのザマだよ」
レギスが自分の頭を指差すと、アレンは同情するように頷いた。
「俺も似たようなもんだったよ。元の上司(勇者)が無能でさ。『壁しか作れない』ってクビにされたんだ」 「なんと。これほどの建築を作れる男をか? その上司とやらは、余の息子並みに目が節穴だな」
「ははは、違いない」
二人は「無能な上司・部下を持つ苦労人」として奇妙な友情を感じ、笑い合った。
そして、風呂上がり。 脱衣所の鏡の前に立ったレギス王は、戦慄した。
「……生えている」
ツルツルだったはずの不毛の大地に、確かな黒い希望(産毛)が芽吹いていたのだ。 しかも、肌は若き日のように張りを取り戻し、目の下のクマも消えている。
「奇跡だ……! これは国宝に指定すべきだ……!」
感動に打ち震えながらロビーに出ると、そこには湯上がりの客に冷たい牛乳を配る美女の姿があった。
「お風呂上がりには、こちらのフルーツ牛乳をどうぞ」 「おお、かたじけな……ん?」
レギス王は牛乳を受け取ろうとして、固まった。 その見目麗しい女性。公爵家特有のプラチナブロンド。そして気品ある所作。
「……シャルロット嬢、ではないか?」 「えっ?」
シャルロットは驚いて客の顔を見た。 髭を剃り、若返っているが、その威厳ある瞳は見間違えようもない。
「へ、陛下!? どうしてこのような場所に!?」 「し、知人か?」
牛乳瓶を片手にアレンがやってくる。シャルロットは青ざめてアレンに耳打ちした。
「アレンさん! この方、国王陛下ですわ!」 「えっ、さっきのハゲたおっちゃんが?」 「しっ! 聞こえますわよ!」
レギス王は、自分の頭(生えたて)を撫でながら、アレンとシャルロットを交互に見た。 そして、全てを悟った。
「なるほど……。我が息子が追放した『聖女』と、勇者が追放した『賢者』は、ここにいたのか」
レギス王の表情から、甘さが消えた。 彼はアレンに向き直り、深々と頭を下げた。
「……非礼を詫びる。我が国の愚かな息子と勇者が、君たちのような至宝を粗末に扱い、すまなかった」 「いや、頭を上げてくださいよ。俺はむしろ感謝してるんです。おかげでこんな楽しい生活ができてますから」
アレンは笑って許した。 レギス王はその器の大きさに感服し、そして懐から王家の紋章が入った金貨袋を取り出した。
「君たちを無理に連れ戻そうとは言わん。だが、頼みがある」 「頼み?」 「余を、この温泉の『特別会員(VIP)』にしてくれんか? ……あと、この牛乳を王家御用達として契約したい」
こうして。 アレンの村は、バックに「国王」という最強の権力を持つことになった。 王子と勇者が没落するまでのカウントダウンは、ここから加速していく。




