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4話:邪竜ちゃんとお祭り

 木の棒で叩いてなめした猪の毛皮の上で寝そべりながら、僕はしくしくと痛む指の切り傷を、包帯の上からぎゅっと握った。


「お酒が欲しいなぁ」


 火の酒が欲しい。傷を洗うのに使い切ってしまったのだ。


『おしゃけぇ』

「邪竜ちゃんは飲んじゃダメだよ?」


 僕が消毒に使う前は小瓶の中身はもっと入っていたはずなのに、いつの間にか中身が減っていた。

 犯人は一体誰なんだ。


「寒い日に変な声してた時あったよね?」

『火吹きがれしただけだし』


 確かに雪のちらつく中に外に踊り出て、火をあちこちに吹いていた日があったけど、あの時すでにおかしかったのだ。


「酔っ払ってたでしょ」

『しらない』

「子供は飲んじゃダメなんだからね?」


 ドラゴンに村の基準を当てはめていいのかわからないけど、火の酒は成人するまで飲んじゃダメなのだ。邪竜ちゃんは僕より年下みたいだから、村の掟でいうと成人してないはず。


「村に買い物に行こうかなぁ。お留守番できる?」

『できる』


 邪竜ちゃんはふすっと鼻息を噴いた。本当かなぁ。

 僕のずだ袋の中にはまだ町で使えなかった銀貨が入っていた。村では日用品の交換のために硬貨はあまり使われないのだけど、火の酒との交換ならきっと使えるだろう。

 村ではもうすぐ春の祭りだし、行商人から買ったお酒が樽に詰まっているはず。


「明日には帰ってくるからね」

『あい』


 何事も無ければ朝から下山すれば、日が落ちる前に着くだろう。

 指の怪我を考えると、少し急いで下り始めないと。

 僕はずだ袋を担ぎ、水筒にお湯を入れて腰紐に掛け、木の実の堅焼きをポケットに入れた。


「じゃあね。息吹が髪に掛からんことを」

「ふしゅう」


 僕がつい村での「短い別れの時に相手の無事を祈る挨拶」をしてしまい、そんな僕に邪竜ちゃんは息を吹きかけてきた。

 この息吹とは邪竜様の息のことで、まさにいま僕の状況になるようなことがありませんようにという挨拶であった。


 川沿いに行けば村に着く。だが途中に滝が2箇所あるので、崖を上って遠回りする。

 危険な森を通ることになるけれど、僕の周りからは動物の声は全くしない。邪竜ちゃんの匂いのおかげだ。

 途中で猿がキキキと木の上から木の実を投げつけてきたけれど、ずだ袋を振り回して邪竜ちゃんの匂いを撒くと、猿は真っ赤な顔を真っ青にして木から落ちながら逃げていった。

 指の怪我を気をつけながら険しい道なき道を下っていく。中程まで下りてくると、狩人の山小屋が見えてきた。ここまで来るとかなり歩きやすくなる。

 小屋に近づく僕に、後ろから近づく気配がした。


「うわぁ。びっくりしたぁ」

「んだぁ? だぁれかと思たら、石工の倅じゃあねえか。まぁだ生ぎてたかぁ」

「どうも。ご無沙汰してます」


 狩人のおじさんだった。

 おじさんは僕の背中を無遠慮にばんばんと叩き、「でかくなだなぁ!」と硬い手で頭をぐりぐりとかき回した。


「なんしに下りてきただぁ?」

「村に火の酒を買いに来たんだ」

「ああ祭りの前だがんなぁ。息吹が振り掛からんように気ぃつけなあ」

「ははっ」


 邪竜の息吹ならとっくにかかっていますなんて言えなかった。

 そしてこの挨拶。自分の頭の上に手をかざして空を仰ぎ観るのだけれど、おじさんは挨拶の格好のままで固まった。

 さらに身体を震わせて、尻もちを付いた。

 常に冷静で警戒を怠らない狩人とは思えない有様だ。


「まさか」


 僕も空を仰ぎ見ると、青空をぐるぐると黒い影が回っていた。

 そして狩人小屋の屋根にずんと着地した。ボロ小屋がみしみしと悲鳴を上げた。


『きちゃった』

「きちゃったじゃないよ全くもう!」


 狩人のおじさんは「じじじっ邪竜様ぁ!」と尻もちを付いた姿勢からぐるりと後ろに1回転して、カエルの姿のように頭を下げた。


『いこ』

「また僕を掴まえて運ぶ気!? うわぁ!」


 飛び上がった邪竜ちゃんの左手に僕は掴まれ、ぐいっと空に向かって急上昇。僕は胃の中がおかしくなるのをぐっと堪える。

 邪竜ちゃんはまっすぐ山の(ふもと)へ滑空し、村の広場へ降り立った。

 村人はカエルのように地面にへばりついた。

 萎縮しまくる村人たちの前で、邪竜ちゃんはさらに空に向かって「ぐあっ」と吠えた。

 慣れた僕に取っては「ドヤッ」といった表情をしているのだけど、頭を下げている村人は邪竜ちゃんの竜語にただ震えるばかり。

 みんなが打ち震える中で、村の竜の巫女であるばあやが杖を鳴らしながら現れた。ばあやの表情はしわくちゃすぎてよくわからない。


「邪竜様。何用で参られたのでございましょう」

『おしゃけ』


 なんで僕に思念を送ってきたの、邪竜ちゃん。


「お答え願えませぬか」

「あの、いいですか? 巫女さま」

「なんだ、おお、贄の子か。生きておったか」

「ご無沙汰してます」


 時々村に下りては来ていたんだけどね。

 僕は巫女ばあやに膝を折った。


「邪竜様は『お酒』とお答えなさいました。ですが――」

「おお! 聞いたか皆のもの! 酒だ! 酒を用意しろ! 祭りじゃ! 今から宴の用意じゃ! 本物の邪竜祭じゃ!」


 村人たちは一斉に立ち上がり、「おお!」と叫んで走り出す。邪竜ちゃんが恐ろしくて、早くその場から逃げたかったようだ。

 だけど僕は本来ならいささか早い、春祭りの準備を止めたかった。


「あの、巫女さま。邪竜ちゃんにお酒は……」

「何を言っておる! 祭りじゃ! 邪竜様が現れなさった本物の邪竜祭じゃぞ! 肉に酒に紅蓮芋なしに祭りは始まらん!」

「そうじゃなくて……」


 邪竜ちゃんにお酒を飲ませると大変なことになりそうなんだけど。

 邪竜ちゃんは人が走り回る様を楽しそうに見つめて、広場でごろんと横になった。


『おしゃけぇ』

「お酒を飲む子供はわるい子なんだからね! めっ!」


 僕はぺちんと尻尾で追い払われて、ごろんと地面を転がって指の怪我がずきんと痛んだ。

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