26話:邪竜ちゃんと教会
僕は向こう山を越えて町へやって来た。
よろず屋の重い扉を開こうとすると、外にいた丁稚が代わりに扉を開けてくれた。
「いやあ待ってたぞ。おや、今日は前より良いもの着てるな?」
「ええ。あの竜の脱皮コートは目立つようなので」
「その上着の方が上等で目立つだろう。いや待て、これ同じ素材じゃねえか?」
あ、そういえばこれも邪竜様の皮素材だったっけ。
僕が作ったやっつけでボタンを付けただけのものとは違い、半透明な皮に綺麗な刺繍がこさえられ、紐で結んで前を閉じられるようになっている。
「こ、これ……売ってくれねえか……?」
「ダメですよ。巫女ばあやに叱られてしまいます」
「そうか。そうだよなぁ」
おじさんは禿頭をつるりと撫でた。
「それで、竜の皮を持ってきてくれたのか?」
「はい。他の方にも分けたので少し小さくなってますけど」
「分けたぁ!? いや、嬢ちゃんのものだもんな。十分大きいサイズじゃあないか。素晴らしい……」
嬢ちゃんじゃないんだけど。
髪を伸ばしっぱなしなのがいけないのだろうか。
「それで、金貨はいらないです。合っても困るし、持ち歩くのも怖いので」
「それじゃあ物と交換か? これなんてどうだ、最新式の猟銃だ。魔石粉を上から詰められるようになっていてだな」
「いらないです。えと、欲しいものは僕の服と、桃の砂糖漬けです」
おじさんは顎に手を当てて「ふむ」と考え込んだ。
ちょっと足りなかったかなと思って、僕は袋に手を入れた。
「それだけだと足りないな。他にないか?」
「はい、一応、木炭を持ってきたんですけど」
「いや違う。合わせても竜の皮の方が高額だ。木炭? 木炭なんて……なんだその赤い木炭は?」
「あ、逆だったのですね。それじゃあどうしようかなぁ」
僕が木炭を袋に戻すと、おじさんは「待て待て」と止めて、カウンターに出すように言ってきた。
そして丸いガラスを手して、赤い木炭をじっと見た。
「なんだあこりゃあ……。本当に木炭か?」
「はい。なんか火の魔石が混じってますけど」
「ああ。混じっているというか、ほぼ火の魔石そのものに見えるのだが……。これは、火の魔石としての価値なのか。いやそれとも……」
「木炭としても使えますよ。かなりの火力が出てびっくりしました」
「そりゃあそうだろうなぁ!」
かまどで使うには不必要な熱さを放ったのだった。かまどに棲む火の猪精霊さまは喜んでいたけど、使いにくいんだよね。
「これが、その袋の中にまだ入ってるのか?」
「はい。両手で抱えられるくらいの量ですけど」
「これもドラゴン由来の物なのか?」
「まあ一応……」
邪竜ちゃんの火の息で作った木炭だから、ドラゴン由来だよね。
おっちゃんが真剣な目で色んな角度から赤い木炭を眺めている。値段を付けるのに困っているのかな?
「こいつは俺のとこじゃあ買い取れねえな」
「え?」
それはガッカリだ。持ち帰るのも手間だしどうしようかな。
「違えよ。一緒に商会へ行くべき案件だこれは」
「商会? 商人ギルドのことですか?」
商人ギルドは町の物流を一手に引き受けるような、町の商人を束ねている場所だ。いわば商人の王様が住んでいるところだ。
僕はそんなところへ連れて行かれると聞かされて、ぶるりと震え上がった。
身ぎれいにしないと蹴り出されそう。失礼な格好じゃないだろうか。僕は男なのに巫女装束を着ている。うん。間違いなく失礼な姿だ。
「あの、僕やっぱり帰りま――」
と、辞退しようと思ったけれど、勢いよく開け放たれた扉の鐘の音で僕の声はかき消された。
「失礼する」
そこに立っていたのは銀糸の刺繍があちこちに施された豪奢な衣装の男だった。いかにも身分が高そうな男だ。
いや高いのだろう。店のおじさんは飛び上がって平伏した。
僕は動けずに固まっていると、男は僕の前にあろうことかひざまづき、僕の手を取り唇を寄せた。
「はじめまして可憐な竜の巫女様。わたくしはこの町を預かる領主でございます」
「はぁ」
僕はうろんな目で男を見ていた。
なんだろうこれは。なにしてるんだろうこの人は。僕の頭の中は桃の砂糖漬けになっていた。
「どうか巫女様のお力で、あの黒き竜を鎮めていただきたい」
「邪竜ちゃ……、んんっ、邪竜様ですか?」
「はい。ご存知かと思われますが、かのドラゴンは山を下り、この町を狙っているのです」
狙ってないけど……。
一度目は暇つぶしに僕を追いかけてきただけだし、二度目は方向を間違えて飛んできただけだし。
狙っているといえば、もしかしたら美味しいものは狙ってるかもしれないけど。
昔の邪竜様も、みかん畑を荒らしたみたいだしね。
「それは、僕がいれば大丈夫ですけど、手を出すと僕でも止められなくなりますよ」
邪竜ちゃんは一応それなりに言うことを聞いてくれるけど、美味しいものやお酒を飲ませたら僕でも止められなくなる。邪竜ちゃんが満足するまで食っちゃ寝生活が始まってしまうのだ。
「なるほど。それでは巫女様にはこの町に住んでいただくことは叶いませんでしょうか。不自由な生活はさせません」
「え? なんで?」
思わず素で聞き返してしまった。
僕が町で暮らしたら……、んー、きっと暇になった邪竜ちゃんがしょっちゅう遊びに来そうだけど。
「ぐっ……。やはり教会が。あの統一神とやらを崇める者たちの教会をこの地に建てることを許したことを、お怒りになられているのですね……」
「んん?」
教会とか全く! 全く僕には関係ないですけど!?
もしかしたら巫女ばあやは口うるさく口を出したかもしれないけど。でもそれは巫女ばあやが邪竜様に思い入れがあるからで。
「ドラゴンを! 邪竜様を鎮める方法はないのでしょうか!?」
「あの。とりあえず邪竜ちゃんはそんな悪い――」
外から町の鐘が激しくかき鳴らされた。
「ドラゴンだぁ! ドラゴンがまた来たぞぉ!」
僕は慌てて外に出た。
邪竜ちゃんは教会の尖塔の天辺で座り、あくびをしていた。




