竜と海
真っ赤な陽が水平線の彼方へ沈んでいく。幼い頃、太陽が海の中に入ってその火を消してしまうから、世界に夜が来るのだと聞かされていた。そして、再び朝が来る時は天に住まう火竜が火を付けるのだと。
蒼の王城の裏手は崖になっていて、植え込みの影に隠れて見つけ辛くなっているが、そこには小さな石階段がある。そしてそこから崖の下へと降りる事ができるのだ。降りた所でそこにあるのは満潮時海に隠れてしまう小さな砂浜だけ。ここは子供の頃、兄であるアクリアと自分だけの隠れ場所だった。今では一人で考え事をしたい時に訪れる場所だ。
(考える? 今更何を?)
結論は出した筈だ。それなのに俺は此処に居る。納得がいかないというのか? 考える必要があるというのか? 俺の答えに。ミナミを求めないという結論に。
(これも、本能だというのか……)
純粋な人間は竜のようにたった一人、という事はないらしい。幾度も出会いと別れを繰り返し、一人を見つける事もあれば、相手を定めず複数を求める者もいるという。もしも俺が人間だったならばこれ程悩む事はなかったのだろうか。ミナミを忘れて、別の相手に懸想する事ができたのだろうか。
(けれど、俺は俺だ)
ミナミを求めている己こそが自分だ。もしもなんて考えに意味なんて無い。
(ミナミ……)
出会ってしまった。見つけてしまった。それを後悔なんてしたくはない。たった一人の天竜に出会う事は竜の血を引くものにとって何物にも変えられない喜びだから。例え彼女が己のものにならなくても、手の届かない遠い場所に行ってしまっても、失った悲しみにこの胸を引き裂かれようとも、後悔だけは絶対にしない。
(ミナミ。俺は……)
「アークさん?」
「っ!!」
優しくて甘い声。驚き顔を上げれば、そこには心の中で名前を呼び続けたミナミの姿。
「ミナミ? 何故此処に……」
「アクリア殿下が教えてくださったのです」
「兄上が?」
「えぇ。アークさんならきっと此処にいるだろうって」
どうして君は俺の所に来てくれるのだ。どうして君は俺が泣きたいと思っている時に来てくれるのだ。どうして君は……竜ではないのだ。
どうしてこの世界の人間ではないのだ――
「ミナミ!!」
たまらなくなって座り込んでいた砂浜から立ち上がり、細くて柔らかい体を抱きしめる。
「俺は、俺は……」
「はい」
「……君が欲しい」
彼女の小さな耳だけに届くようにそっと呟く。波の音にかき消されてしまいそうなほど小さな声で。だから、俺の胸に顔を埋める彼女の返事も俺だけにしか聞こえないほど小さな囁きだった。
「……私もです」
腕の中の彼女を見下ろす。ミナミは恥ずかしそうに嬉しそうに頬を染めて微笑んでいた。そして細い腕を俺の腰に回してぎゅっと抱きしめる。俺の体の方がずっと大きい筈なのに、それだけで全身が彼女に包まれているような、そんな温かさに満たされる。
「泣かないでください。アークさん」
言われて初めて俺は自分の瞳から流れる雫に気がついた。
それは今までのように独り胸の内で押し殺していた冷たい涙ではない。己の感情に押し出された、人前で初めて流す温かな涙だった。




