我侭はいけないのです
「お客様、ですか?」
「あぁ」
五日に一度貰っているお休みの日。不定休のアークさんも私に合わせて明日はお休み。一日何をして過ごそうか。そんな事を考えながら暖炉の前に座っているアークさんの隣に腰を下ろすと、彼は少し硬い表情でそう私に告げました。
このお屋敷にお客様なんて、私が来てから初めてのことです。珍しいですね。
「どなたがいらっしゃるんですか?」
「黒の王城で働いている女性で、ナキアス殿下とナルヴィ殿下のお知り合いだ」
その名を聞いて思い出すのは黒曜石のような黒い鱗を持った大きな二匹の竜。冬節祭初日に王城へ向かっていくのを医務室の窓から眺めました。つまり、ナキアス殿下とナルヴィ殿下は黒の国の王族。シェルベ先生の話によるとお二人は双子らしいのです。
けれど何故、他国の王子のお知り合いが王城ではなくこのお屋敷を訪ねてくるのでしょう。
「アークさんのご友人なのですか?」
「いや、俺も会うのは初めてだ。彼女は君の話を聞きたいらしい」
「私の?」
「あぁ」
一瞬目を逸らすアークさん。次に私を見た時、彼の顔からは感情というものが抜け落ちてしまったかのようでした。
「アークさん?」
「彼女の名前は、チヒロ。サカイ・チヒロという」
さかい、ちひろ?
その名前に言葉を失う私に、アークさんは力の無い声で問いかけます。
「聞いたことはあるか?」
「……知り合いではありませんが、私の故郷では珍しくない名前です」
「そうか……」
私以外にも居たのですね。日本からこの世界に来てしまった方が。
一人ではない。それは心強くもあり、そしてまた不安でもあります。彼女は一体私に何を聞きに来るのでしょうか。
「彼女は、どうやって私の事を知ったのでしょう?」
「俺が連絡を取った」
「アークさんが?」
「……冬節祭で訪問した紅のレビエント殿下が私達に言ったのだ。紅と黒の国に、他の世界から来た娘がいると。そしてもしもこの国でも同様の人間が見つかったら、自分達が保護している娘の為に協力して欲しいと」
「協力?」
「……。その娘達は故郷へ帰るための術を探しているらしい。だから……」
あぁ。だからそのヒントを得る為に、同じ経験をした方を探しているのですね。私は目の奥が熱くなるのを感じて、視線を落としました。
(泣いたらダメ……)
同族であるレビエント殿下に頼まれて、アークさんが協力するのは当然のことです。困っている方の力になる為なのだから、彼に非はありません。
けれど私は……、それを聞いて泣きたい気持ちになりました。だって、彼女達が日本に帰る手助けをアークさんがするという事は、同じ境遇の者が故郷へ帰ることに賛成しているという事だから。
私の胸の中で悲鳴を上げているのは一方的な片想いです。だからアークさんを責めるのは間違っています。分かってる筈なのに、私の心は乱れる一方なのです。
(私には帰るなといって欲しい。でも……)
そんなのはただの我侭。願ってはいけないのです。
じっとこちらの表情を窺っているアークさんに、私はなんとか微笑を返しました。
「そうでしたか。わざわざ連絡を取ってくださってありがとうございます」
「いや、礼を言われる事では……」
「いらっしゃるのが女性なら、何か甘いお茶菓子を用意した方が良いかもしれませんね」
胸の奥が軋んでも、笑顔の裏に感情を隠すぐらい出来るのですよ。それは幼い頃から繰り返してきた自分を護る為の手段だったから。




