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ヤーウェ・ユグノーとアリウス

この作品は完全オリジナルで、特定の宗教、国は関係ありません。

「アリウス……なぜ……」

 ユグノーは自分の目に写るものを疑った。

 しかし何度見ても彼――アリウスだ。

 黒髪に染めているが、仇の顔だ。見間違えることはない。すべての悪夢はアリウスから始まった。彼の名は憎しみの感情と共にある。そのアリウスがどうしてヤーウェに居るのだ?

 ユグノーは言葉なく固まった。

「たまたま見かけて付いて来たんですが、面白いものを見ましたね。マスターに聞きました。かなり計画的なんですってすね」

 アリウスは扉にもたれ掛かり、小型のナイフを回して遊んでいる。

 聞いたと言ったが、マスターをこれで脅したのだろう。アリウスのやりそうなことだ。

「まったく、おぞましい香ですね。いったい誰からもらったものやら」

 アリウスはフフンと鼻を鳴らし、軽やかに窓に近づいた。そして半分笑ったような表情でカーテンを開ける。

 街のざわめきや、砂漠の熱気、そして新鮮な空気が一気に流れ込む。

「僕は薬や香の耐性がありますが、カダル君にはよく効いたみたいですね。いや、効きすぎかな? 気持ちよさそうに寝ていますねえ。僕が止めなければあのままだったら面白いものが見られたのに、残念」

 ユグノーは血の気が音を立てて引くものだと初めてわかった。目と唇が急に冷たくなる。 同時に冷たい怒りが湧く。思わずスカートの布地をぎゅっと握り締めた。

「それほどイスマイールが欲しいですか? それともカダル君が? 女の考えることは恐ろしいですね」

 カダルは髪に指を絡ませ、唇の端を上げる。

 ユグノーは屈辱に頭が真っ白になった。

「いつかあなたが母に言った言葉を返しましょうか。『女の武器で男を惑わす魔女』と。それともシンプルに娼婦、でいいですか?」

「……くっ」

 ユグノーは目を細め、アリウスをにらみ付けた。ありったけの憎悪を込めて。

 本来、アリウスは王族にあってはならない身分の母を持ち、許されない存在だった。

 ただ三男に甘かった当時の王は別邸を与えた。しかし生まれてすぐに王族として迎え入れられはしなかった。確かアリウスは帝王学すら学んでいないはずだ。

 その母親が死に、父方に引き取られるようにして宮殿に初めて入れてもらったくせに、一番下っ端のくせに。無知で残酷な庶民のくせに。ユグノーは心の中で罵った。

 その綺麗な顔でどれだけ殺してきたのか。! 殺人鬼。

 ゴットラムの闇。

 父、ネストリウスの仇。

「……許さない」

 ユグノーは低い声で、それだけ言うのが精一杯だった。この場で決着をつけたいが、あいにく武器は持っていない。

「許さなくて結構。僕はあなたがどうなろうと知ったことではありません」

「え?」

「反政府組織のボスとなり、ゴッドラムを乗っ取ろうとしても気にしません。もちろん誰と寝てもね」

 アリウスの唇から紡ぎだされた言葉は、その手にしたナイフよりも殺傷力があった。慈しみの表情は哀れみを含んでいたが、優しさは一片もない。

 ユグノーの頭の中は真っ白から黒へと転落した。ざらりとした感覚が喉の奥から湧き上がる。

 目の前の男と血が繋がっているというだけで、冷たい震えが走った。

「僕はカダル君に同情しますよ。イスマイールの次期部族長という立場でなければ、あなたに身体を狙われることもなかったでしょうに」

「……っ」

 言い返せないのが、一番きつい。

 ユグノーは歯軋りをした。

「僕が嫌いで堪らないという目をしていますね。ゴッドラムの王家は昔からそうだった。自分の地位を守るためだったら何でもした。あなたも僕もそれに連なっているんですよ」

「同じだと言うの?」

「はい」

 アリウスはあっさり肯定した。

 先王も妾腹出で、ひと悶着あったらしいことはユグノーも知っている。そして伯父である長男コプトは自分の妻の不貞を疑い、子供達共々、手にかけた。父ネストリウスも一度はコプトの命を狙っている。他国よりも自分の身内に敵がいる〈血を血で洗う一族〉なのだ。

 否定できないユグノーは、床を手で叩き付けた。もう怒りをコントロールできない。

「アリウス……ヤーウェに居ることをカルマトにバラしてやるっ。あんたは殺される。嬲り殺されるのよっ!」

 ユグノーはアリウスに噛み付くように叫んだ。

「千に切り刻み、砂漠に蒔いてやるわ。骨も打ち砕いてやるッ」

「やはりあなたのバックはカルマトなんですね。本当のことを言うのは良いですけれど、ユグノー、あなたに不利だと思いますよ」

 アリウスは窓に手をかけ、涼しい表情をした。まるで湖を渡る船に乗っているようだ。ユグノーのことはまるで気にしていない。

「――え?」

 アリウスはどこか自信ありげだった。微笑みたたずんでいる姿は危機意識などまるで感じさせない。

 そういえばこの男はリスクは最小限に抑え、最大限の結果を得ようとする男だった。ここヤーウェに来たのも安全だという確証が持てたからではないか。髪を黒く染めていることから珠洲の村人としているのだろう。それなりの用意と覚悟を持って来たと考える方が正しい。

 そもそも、アリウスはナイフを持っている。薄着のユグノーでは歯が立たないだろう。カルマトに知らせる前に殺される。

「……」

 ユグノーの顔色が、白くなり、強張った。

 置かれている状況を理解したのだ。絶望が心の中に黒い滲みとして広がってゆく。

「僕の正体をバラしたら、あなたがカダルにしようとしたことを告げますよ。そして国にいるネストリウス残党達にもね。身体を持って男を魅了しようとした姫のために団結するなんて愚かだと自分を情けなく思うでしょう」

「……そんなっ」

 カダルだけは、駄目。

 ユグノーはもう少しで声に出すところだった。

 カダルに知られたら恥かしくてもう二度と顔を見られないだろう。そんなこと嫌だ。失うなんて嫌。

 それに女として男を襲うことを計画していたと、クエーカー達に伝わるのも嫌だ。それも媚薬を使ってたぶらかそうとしたなんてプライドに関わる。

 とにかくここは一歩引くしかない。

 ユグノーは決心した。割り切ると行動は早い。

「わかったわ。アリウス。あなたがこの国で何をしようと私は一切関わらない。その代わり、今のことは内緒にして」

「……いいですよ。腐っても親戚ですから」

 妥協点が見つかったようだ。

 倒れるカダルの両脇で、二人はお互い口をつぐむことを約束し合った。

 不本意だが、仕方ない。ユグノーはあからさまに顔を歪めた。

「さ、コトが終わったんだから帰って下さい、ユグノー。僕はこのカダル君が目覚めたら送って行きます」

「……」

 アリウスはまるで汚いものを追い出すように手で追い払ってくれた。

 誰よりも美しく、誰よりも優雅で残酷な従兄弟。

「覚えてらっしゃいっ」

 ユグノーは立ち上がり、激しい罵声を浴びせた。

「無理です」

 アリウスは白蓮の花が水に浮かぶような柔らかさと純粋さを持って拒否する。

「こんな下品なこと、覚えておくなんてね」

「っ!」

 ユグノーは一瞬で顔が赤く染まった。

 くやしい。

 何もできないなんて――殺したい奴に弱みを見せるなんて。

 蔑みの視線は何よりの屈辱だった。

「滅んでしまえばいいのよ。滅べば――すべてすべて、すべてっ!」

 ユグノーは臓腑から搾り出したような声で叫んだ。

読んでいただきありがとうございました。

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