第44話 めでたい日は、
ヴィクトリアも、吸血鬼になりたての頃は、人を襲って血を吸うことがあったという。殺すまでに至っていないが、相手の尊厳をなんら考慮しない、まさに化物そのものだったと、城に戻ったヴィクトリアは懺悔するように言った。
「わたくしの話には、これといって教訓めいたものはありません。ただ年寄りが昔を思い出して、誰かに話したくなったというだけのことです。もし退屈でしたら、自室に戻るなり、散歩に出かけるなりしてくださって構いません」
そう前置きしてから、ヴィクトリアは身の上話を語る。
彼女は生まれつきの吸血鬼ではない。どこにでもいるような、ただの人間として生まれた。
なのに、どこからか流れてきた吸血鬼によって変えられてしまった。目的は分からない。きっと目的などないのだろう。何百年も、あるいは何千年も生きれば、気まぐれで誰かの人生を破壊したくなっても不思議ではない。
ヴィクトリアは最初、吸血衝動をまるでコントロールできず、家族に襲い掛かった。手足を縛られ閉じ込められると、部屋の隅にいたネズミに這い寄ってかじりついた。
牙を剥き出しにし、目を爛々と輝かせるヴィクトリアを、家族は「化物」と罵った。
当たり前だ。本当に化物なのだから。
やがてヴィクトリアは家を逃げ出し、放浪した。
次第に吸血衝動を抑えるすべを身につけたが、それは自分の意思に反して噛みつかなくて済むようになったというだけのこと。
血が欲しくなれば、吸血鬼の膂力を使って、好き勝手に人を襲っていた。
圧倒的な力を振るう優越感。
だが、それは長続きしなかった。
吸血鬼になってから正確に何年目だったかは覚えていない。
大陸の遙か東方の村で、ヴィクトリアはただの人間に敗北した。
その人は、若い女性だった。
先祖代々の剣術を受け継いでいるわけではない。ただ剣士に憧れただけの人だった。村で農作業をする合間に、我流で剣術を磨いていた。村の外がどうなっているか、ほとんど知らない。だから自分が天才なことに気づいていない。
ヴィクトリアはその女剣士を襲って、斬られた。
女剣士は誰かを斬ってしまったことに動揺し、その相手が再生したことにも動揺した。
そして吸血鬼であると知り、血を飲ませてくれた。
お人好し。ヴィクトリアは女剣士にそんな感想を抱いた。
しかし自分を斬るほどの相手だ。そんな奴のそばに長居は無用。そのはずなのにヴィクトリアは女剣士のことが気になって、しばらく監視して、気がついたら剣術を教わっていた。
我流の剣を、他人に教える。それは女剣士にとっても楽しかったらしく、熱心に指導してくれた。
そして女剣士のみならず、ほかの村人たちもヴィクトリアが吸血鬼と知りながら、当たり前に接してくれた。少しずつ血を飲ませてくれた。
ヴィクトリアが村に帰属意識を持つのに時間はかからなかった。
もともと普通の少女として育てられたのだ。その感覚を思い出せば、村人に混ざるくらい簡単だ。むしろ、それこそが本当の自分だと思えた。
ヴィクトリアは女剣士から剣術を習い、みんなと一緒に畑を耕した。
春は桜を見て、夏は蝉の鳴き声を聞き、秋は色づいた木の葉を愛で、冬はコタツで丸くなる。
少しばかり血を吸わねばならないだけで、自分は人間だ。
そんな錯覚に陥った。
もちろん、錯覚は錯覚。
みんなは歳を取るのに、ヴィクトリアは少女の姿のまま。
女剣士は少しずつシワが増え、剣を持つ力を失い、腰が曲がり、寝たきりになり、やがて息を引き取った。
ヴィクトリアは少女の姿のままだ。
多くの村人と仲良くなり、その全員を看取った。
女剣士が我流で身につけ、ヴィクトリアのみが受け継いだ剣術。
それを村の若い連中に教えてやった。
今までは教わるだけだったものを、逆に誰かに教える。なんとなく気恥ずかしくて、成長した気分になれる。
新しく生まれてくる子供たちの名付け親を頼まれることもあった。
女剣士が死んでから、約十年。
村には剣士と呼べる者が増えた。ヴィクトリアがいなくても女剣士が生んだ剣術は受け継がれていくだろう。
そう確信したヴィクトリアは、旅をしてみたくなった。
今生の別れではない。あくまで旅だ。帰るつもりがないなら、それは流浪。帰ってくるから旅なのだ。
ヴィクトリアは村人に見送られながら、旅人になった。
多くの国を見て回った。
ほんの少しの旅のつもりだったのに、長生きしたせいで時間の感覚がズレたのか、三十年も経ってしまった。
人間からすれば長い年月。けれど生涯を終えるほどの年月ではない。
ヴィクトリアが愛するみんなは、まだ村で待っているはず。
そう信じて帰ったのに、村そのものが消えていた。
なぜ。どうして。意味が分からない。三十年ぶりだから場所を間違えたのだろうか。
ヴィクトリアはさまよった。やがて別の町に辿り着いた。そして村の話を聞けた。
ヴィクトリアが旅に出てからすぐ、村は吸血鬼に襲われたらしい。だが、それで滅びたわけではない。村には一流の剣士が多くいて、なんと吸血鬼を返り討ちにしたという。
そのあとも、盗賊団だとか、異常発生した魔物だとか、色々な敵を全て倒して生き残った。無敵の村だと評判になったらしい。
だが。
あるとき、あっさりと滅びた。
原因は、飢饉である。雨が降らず、農作物が育たなかったのだ。
無敵の村とさえ称されたのだ。その気になれば、ほかの村を襲って食料を奪うこともできたはず。なのに村人たちはそうしなかった。
全滅したのか。それとも村を捨てて散り散りに移住したのか。
消息は分からない。とにかくヴィクトリアが愛した村はもうなかった。
みんながいなくなってしまった。
みんなは吸血鬼に殺されたのではない。だから、ヴィクトリアが自分以外の吸血鬼に強い恨みを持っている、という話ではない。
ただ、いきなり、大好きなみんながいなくなった。
そういう経験をしたから「人が死ぬのは嫌だなぁ」という、それだけ。
「それだけの話ですわ。わたくしは……寂しがり屋なのですわ。仲良くなった人がいなくなってしまう可能性を、少しでも減らしたい。わたくしが銀閃のヴィクトリアと呼ばれるまでになったのも、それだけの話なのですわ。それをようやく思い出しました。わたくしは、みんなに囲まれて生活していた、あの村に帰りたかったのでしょうね」
本当に教訓めいたものがない、ただの昔話だった。
それを聞かされたところで、俺たちがヴィクトリアにしてやれることはない。
そんな遙か昔の死者では、闇魔法で死霊として呼び出すのも無理。
だけど、話を聞いてやることはできた。
ヴィクトリアは俺たちに話を聞いてもらいたいと思った。それに応えてやれた。
きっと、それだけでも意味がある。
「しかし……わたくしがしてきたことは、本当に正しかったのでしょうか? 人を救った数なら、あのロバートのほうがずっと上ですわ。わたくしは、一人救うために千人を犠牲にしたのかもしれません」
「そういう考えはよすのじゃ。ロバートがこれまで滞在した町の地下から、すでにいくつも奴の作品が見つかっている。あんな所業を許していいはずがなかろう」
「ええ……分かっていますわ。少し、愚痴ってみただけです。なにせ、あまりにもな数ですので……」
千と一。
確かにそれを真に受ければ、後ろめたい気持ちになるのも無理はない。
けれど、俺の考えは違う。
「その二つの数を比較することに、意味はないと思うな」
「……どういうことですの、アキト?」
ヴィクトリアは縋るような目を俺に向けた。
「ロバートは確かに千人を治療したんだろうさ。けれど、その人たちは奴がいなきゃ死んでたのかな? 別の誰かが救ったんじゃないかな? この世界には悪意が多いよ。でも、それを上回る善意があるとは思うんだ……俺の意見、綺麗事すぎるかな?」
「……いいえ。生意気なくらい含蓄ある言葉だと思いましたわ」
「そうか。長い年月を生きる吸血鬼にそう言ってもらえるのは光栄だよ」
俺の言葉で、ヴィクトリアは微笑んだ。それは本当に光栄だと思う。
「やはり、わたくし、アキトをとても気に入ってしまったみたいですわ。あなたの血ほど美味しい血を飲んだこと、ありませんもの」
「そう、なんだ」
なんだろう。ヴィクトリアの微笑みが、好物を前にした肉食獣の喜びに見えてきたぞ。
「それに……わたくし、殿方の血を飲んだのは初めてだったのですわ。最初がアキト。二度目もアキト。すっかりアキトの味にハマってしまいました。これはもう、責任を取ってもらうしかありませんわ」
「責任って……数滴くらいなら、いつでも飲ませるけど……」
「それで十分ですわよ、うふふ……というわけで、わたくし、この城に住むことにいたします」
「ねえ、ヴィクトリアさん。城に住むのは大歓迎だけど……アキトくんを見る目、それ本当に食欲? やっぱりえっちな気がするんだけど!」
「気のせいですわ。ミズハがいつもえっちな考えを浮かべているから、そう見えるのでしょう」
「わ、私はえっちなこと考えてないもん!」
水羽はそう叫んで俺にしがみついてきた。
えっちなこと考えてないのか……少しくらいは考えていて欲しかった……。
「つまり、ヴィクトリアさん、ずっとこの城にいてくれるってことですか!?」
「ええ。これでミスティの剣術をずっと見てあげられますわ」
「やったー! ボク、早く強くなって、アキトさんくらいには追いつきたいです!」
くらいって、なんやねん。
そりゃ俺は闇魔法が主体で、剣術ガチ勢じゃないけどさ。
「めでたい日は、なにか明るいことをしましょう。ちょうど天気がいいですし、ランチは庭で食べませんか? バスケットに色んなものをつめて、シートを敷いて。きっと楽しいですよ!」
「めでたいって……わたくしは今までもこの城に滞在していたではありませんか」
「一時的に滞在するのと、ずっと住むのは違うと思います。ボク、張り切ってお弁当を作りますね!」
ミスティはメイド服をひるがえし、キッチンへ走って行った。あそこまで張り切られると、もはや誰にも止められない。




