お兄さま、大事件3
ヴィルレリクさまから連絡があったのは、週の半ばのことである。
放課後に迎えにいくと手短に書かれた手紙を受け取り、私は学園で馬車を待つことにした。
「リュエット、お茶でも行かない?」
「ごめんなさい、ウィルさまが迎えにいらっしゃるの」
「あら珍しい」
残念と唇を尖らせたミュエルは、季節を重ねるごとに金色の髪がますます美しく輝き、表情もぐっと魅力的になった。男性からのお誘いも沢山もらっているようだけれど、いまいち乗り気になれないとますます音楽と勉強にのめり込んでいる。語学も堪能で、今年の後半は隣国に短期留学をする予定も立てていた。
「じゃあ残念だけど、また今度ね」
「ええ。前に行ったあのカフェ、今ミュエルが好きな赤蜜のケーキを出してるんですって」
「それは行かないわけにはいかないわね。また誘うわ!」
「絶対ね。気を付けて帰って、ミュエル」
「リュエットもね」
ミュエルの馬車を見送ってしばらくすると、見慣れた紋章の馬車が近付いてきた。キャストル家までのお迎えに出してくれたのかと思ったら、中からヴィルレリクさま本人が出てくる。
「ウィルさま!」
「リュエット」
琥珀色の目で優しく笑いながら手を差し出してくれるヴィルレリクさまは、お仕事用の黒い服を纏っていることもあってミステリアスな魅力をいつも以上に振り撒いている。その証拠に、たまたま通りがかった下級生たちが小さく歓声を上げてこちらを見ていた。なんだかちょっと妬けてしまうので、差し出された手をぎゅっと握ってちょっとくっついてみせる。
「お屋敷にいらっしゃるのかと思いました」
「早くリュエットに会いたかったから」
後ろから聞こえる下級生のひゃーんという歓声が、自分から漏れ出たものかと思った。そんなときめくことをこんな人前でサラッと言ってしまうなんて。そして「私も会いたかったです」とサラッと返せない自分が恨めしい。
頬の熱さをどうにか冷まそうとしつつ、エスコートされて馬車に乗る。こうして学園の正門からキャストルの紋章がついた馬車に乗ると、送り迎えしてもらっていた去年までのことを思い出して懐かしい。同じことを思っていたのか、ヴィルレリクさまも微笑んだ。
「ティスランが乗ってきそうな気がする」
「はい。お兄さま、先に帰ろうとしたら走って追いついてきたことがありましたね」
「5回くらいあったね」
帰宅時間がずれるときはうちの馬車も迎えに来ることになっているのに、お兄さまは変なところで本気を出す人だった。いや、今もそれは変わっていないと思うけれど。
「昨日の休憩のとき、ティスランのところに寄ってみたんだけど」
「どうでしたか?」
「変だった。いつも以上に」
ヴィルレリクさまから見てもお兄さまの奇行は目立っていたらしい。世襲もこれからだというのに、周囲の人に誤解されないことを願うしかない。
「手紙について訊いてみたけど、ティスランがカップとソーサーを3客割ったから詳しく聞けなくて」
「すみません……」
「そのかわり、これを見つけたんだけど」
そう言ってヴィルレリクさまが取り出したのは、薄桃色をした封筒だった。王城にあるお兄さまの机のところで見つけたものらしい。
「持ってきてしまったんですか?」
「いや、カップが割れた拍子に床に落ちて、ティスランのか訊こうとしたらものすごい慌てた様子で逃げられた」
「それは……重ね重ねすみません」
「今日の午前も捕まらなかったから、リュエットから返してもらった方がいいかと」
王城ですれ違った際に声を掛けようとしたら、あからさまに避けられたらしい。わざとらしく「そういえば忘れ物が」と声を上げて全力で走って去っていくとは、お兄さまは仮にも王城に仕えている身としてもう少し取り繕ったほうがいいと思う。お父さまが悩んでいないといいけれど。
ヴィルレリクさまが渡してくれた封筒は、表に美しい字でお兄さまの名前が書かれている。裏返すと何も書かれておらず、赤い封蝋も印がないまま。
「お母さまが言っていたお手紙って、これでしょうか」
「そうかもね」
封蝋は切られていて中には何も入っていない。中身が空だったならそれほど悩まないだろうし、手紙は別にお兄さまが持ち歩いているのかもしれない。
「色からして女性が使いそうなものですし、特にこれだけでは何か脅されているとかそういったことはわかりませんね……あ、この紙、ユーグリフタス商店の特製品ですね」
お兄さまが長く持ち歩いたのか表面はやや毛羽立っているところが目立つけれど、紙質は上質でやや裏表に差がある。染料を混ぜるだけではなく、ごく細かい色付きの繊維を混ぜ合わせて作られた紙は特徴的だ。よく見ると濃い桃色が混ざっていて、それが紙の印象をぐっと良くしている。
「リュエット、紙も好きだよね」
「はい。画材で調べているうちに奥深い世界だなと思って」
絵の具やキャンバスは画力がない身からすると買い集めにくいものだけれど、紙は手紙で使うので馴染みがある。貴族女性としては、女主人としての仕事にパーティーを開く際の招待状の手配もあるので、色々な紙を知っておくことは趣味と実益を兼ねた最近のマイブームだった。
本当はヴィルレリクさまの絵を眺めすぎて紙質まで気になってきたというのも大きいのだけれど、それは口には出せない理由だった。
「あら? この紙……」
封筒の内側を指で触り、私はその感覚に意識を集中させる。それから匂いを嗅ぐ。かなり薄くなっている香りを嗅いでいると、ヴィルレリクさまがちょっと心配そうな顔をした。
「リュエット、毒のある香りもあるんだから、あんまり知らないものを嗅がないほうがいいよ」
「そ、そんな毒もあるんですか」
「うん、普通はハンカチに付けて口を押さえたり瓶を鼻に近づけたりして直接嗅がせるんだけどね」
物騒すぎる知識を得てしまった。
ヴィルレリクさま、お仕事でそういうことに関わっているのだろうか。心配だ。そしてそういう匂いを嗅いでしまったとき、身代わりの魔力画がどう発動するのかちょっと気になってしまった。
「刺激臭がなければほぼ大丈夫だよ」
「ほぼ……? あの、大丈夫だと思います。もっと柔らかい香水のような香りですから」
「よかったね」
「はい」
魔力画が見たことない壊れ方をすることもなかったし、お兄さまが嗅覚を目標に物騒な攻撃をされていないこともわかった。
ただ、私の中では別の疑問が湧き上がる。
「どうしたの?」
「あの、この香り、嗅いだことがある気がして……」
「特製品なら貴族が使うものだろうから、送り主は身近な人かもね」
身近な人。その言葉に、一人の人物が思い浮かんだ。その人と今のお兄さまの状況がいまいち結び付かないでいるけれど。
「ユーグリフタスなら顧客管理はしっかりしてるから、捜査すると送り主は割り出せると思うけど」
「あの、ウィルさま、一度お兄さまに訊ねてみます。たぶん、危ないことはないと思うので」
名前を書いていないのだから、きっと大事にはしないほうがいい気がする。私がそう言うと、ヴィルレリクさまも頷いてくれた。それからそっと手を握ってくれる。
「リュエット、何かあったらすぐに言って」
「はい。ウィルさまも。お仕事でお忙しいのにありがとうございました」
「早く一緒に暮らせるようになったらいいのに」
その言い方がちょっと拗ねたような感じだったので、むしろキュンとしてしまった。ヴィルレリクさま、私を虜にする手段が多様すぎる。
そうですねと私も頷いて、それから私たちは貴重な2人の時間を楽しんだ。




