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お兄さま、大事件1

「おはようございます、お父さま、お母さま」


 階段を降りた広間にいる2人に声を掛ける。壁に掛けられた絵を見ていた2人は揃っておはようと返してくれた。ニコニコしているお母さまとハグをして、ちょっと気難しい顔をしているお父さまともハグをする。そして私も大きな絵を見上げた。


「この絵、いつ見ても素敵ですよね」

「そうよねえ。生き生きしてて、素敵に描いてくれてるわ。まるで私たちがそのまま入ってるみたい。ねえあなた」


 大きな絵に描かれているのは、私たちカスタノシュ家の肖像画だ。画面に対し左斜め方向に置かれた椅子にお母さまとその後ろに立つお父さま、そしてお母さまと対になる位置に私が座りその後ろにお兄さまが位置している。魔力画ではないのに動き出しそうなくらいに素敵な絵だ。


 こういった家族の肖像画では、その関係を示すモチーフも同時に描かれる。お母さまが百合を持っているのは母親であるという印、私は未婚の娘を示す開きかけたバラ。お父さまが胸に挿した二本の鈴蘭は当主の証、お兄さまはその後継を表す一本の鈴蘭。背景は、モデルになったときには冬だったので暖炉の入った部屋で描かれたけれど、出来上がったこの絵では花盛りのサンルームで美しい日差しを浴びている。


 その差し込む午後の日差しや、咲き誇ったたくさんの花が美しく、けれども背景として溶け込むように描かれている。私たち4人にちゃんと視線がいくように工夫されているけれど、背景から浮くこともなく、日差しを受けて輝くドレス生地なんてまるで見て描いたようにリアルだ。幸せな家族なんだろうな、と思えるような雰囲気を醸し出している。


「リュイちゃん、リュイちゃんったら、またほわーんとしちゃって。本当に好きなのねえ」

「はい。ウィルさまの描いた絵は世界でいちばん素敵ですから」

「まあぁ〜! もうあなた〜!」


 両手の頬を当てて体を震わせたお母さまがお父さまにしがみついた。そっとお母さまの背中を撫でているものの、お父さまの表情は相変わらず渋い。


 この肖像画は、ウィルさまが結婚の許しを乞う一環として申し出てくれたものだ。表立ってはいないけれど魔力画を描いているということを打ち明け、私が一生楽しく生きられるように絵を描き続けると言ってくれたらしい。

 それで腕前を見るために肖像画を描いてみろとお父さまが言って、この出来栄えに黙り込んだというわけだ。お母さま情報によるとお父さまは「リュエットの魔力画好きを満足させることについては、右に出るものはいないかもしれない」と呟いていたらしい。お許しが出るまでもう少しとのことで、私も家の差配をお母さまに習ったりして頑張っている。


 私としては嬉しいことだし、ウィルさまの描いたこんなに大きな絵が家に飾られていて幸せだけれど、家族が好きなお父さまとしてはやっぱり複雑な状況なようだ。私はそっとお父さまに近寄り、お母さまがしがみついていない方の腕に自分の腕を組んだ。


「お父さま、この絵、素敵でしょう?」

「……リュエットだけ描き込みが多くて浮いている」

「そうですか? ドレスの模様が細かいからそう見えるのでは」

「そんなことはない。見たらわかる」


 私からすると4人それぞれ細かく描かれているように見えるけれど、お父さまには違って見えるようだ。むっと口を引き結ぶお父さまにお母さまと腕にしがみつきながら、フフフと笑い合った。


「そろそろ朝食みたいだけど、ティスちゃん今日は遅いわねえ。お寝坊かしら?」

「お兄さま、お仕事がお忙しいのでは?」

「まだそれほど難しいことはしていないはずだが」


 朝はきちんと食べていく派のお兄さまがまだ降りてきていないのは珍しい。そう話していると、階段の上から何やら騒々しい音が聞こえてきた。ドアが開く音にドスンという鈍い音、ついでにガシャンと何かが割れたような音もしたようだ。メイドが2人、慌てて階段を上っていった。


「今の音、青の花瓶が割れちゃったのかしら?」

「あいつは何をやっているんだ」


 しばらくしてお兄さまがヨタヨタと姿を表す。階段を降りてくる途中で2回ほど足を滑らせていて、私たちはまた顔を見合わせる。それほど長くもない階段で、今まで毎日ずっと使ってきた階段なのに。

 ヨロヨロと食堂に向かうお兄さまが、ふとこっちを向いてビクッと肩を跳ねさせた。


「父上母上、リュエット、いきなりそんなところにいると驚きますね」

「ずっといたが」


 寝癖が付き、タイは曲がり、ボタンはずれて留まっているお兄さまが首を捻っていた。すかさず家令が近寄ってきて整えているけれど、その間もなんだかボンヤリしている。


「ありがとう。では行ってまいります」

「お兄さま、朝ごはんは食べないのですか?」

「ああ、そうだったか。食べる」


 

 そのまま玄関に行きそうなお兄さまを慌てて引き留めると、カクカクと頷いたお兄さまは食堂の方へと向かい出した。ヨロヨロ歩いているせいで、開いているドアにぶつかっている。

 私とお父さまとお母さまは、その様子に首を捻りながら背後をついていった。


「お兄さま、具合が悪いのですか?」

「いやそんなことはない。お兄ちゃまはいつだって元気だからな」


 モリモリと朝食を食べているあたり、寝不足や風邪ではなさそうだけれど、今日のお兄さまはなんだか様子がおかしい。ボンヤリとしていて、会話も訊かれれば答えるくらいでいつもの意味不明な話題を絶え間なく話すような様子がない。お兄さまがいるのにこんなに静かな食卓は初めてといっていいほどだ。


「そういえばティスちゃん、昨日お手紙が届いてたでしょ? どなたから?」


 お母さまが沈黙を破った瞬間、お兄さまがものすごい勢いで口に入れていたスープを吹き出した。家令のテオがハンカチでお兄さまの口元を覆っていなかったら大変なことになっていただろう。優秀な家令がいてうちは安泰だ。


 ひどく咳き込んでいるお兄さまを、私たちは心配そうに見るしかない。背中を撫でられ水を渡され代わりの上着を受け取ると、ようやくお兄さまはまともに呼吸ができるようになた。


「……お兄さま、大丈夫ですか?」

「もちろんだ。お兄ちゃまはいつだって元気だからな」


 その返事、さっきも聞いたような気がする。


「そ、そろそろ時間か。さあリュエット、学園へ行こう」

「お兄さまは学園を卒業なさってますけど」

「そうだったか。では王城へ行くか、リュエット」

「ティスちゃん? リュイちゃんはまだ学園に行ってるのよ」

「そうでしたか母上。では私は仕事を片付けに行ってきます」


 ギクシャクと礼をして、お兄さまは出掛けてしまった。

 その背中を見ながら「まだ資料室も開いていないはずだが」とお父さまが呟く。


 お兄さまがなんか変。


 私たちは顔を見合わせてそう思ったのだった。






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