真実はここで見つけるしかないようです5
「リュエット、怪我は?」
「ありません」
「痛いところは? 何かされた?」
「大丈夫です」
ヴィルレリクさまは私の様子を確かめようとして、外に出している私の手を確かめたり、手首で脈を取ったりした。それからそっと私の手をこちらへ戻す。反対に、レンガの隙間からヴィルレリクさまの腕が入ってきた。
レンガひとつ分の穴は、私が腕を通すには問題ないけれど、ヴィルレリクさまには少し小さかったようだ。彼の手は肘の手前までで止まった。その手を、今度は私が両手で握る。
「リュエット、もう少し近くに来て」
「近くにですか? ちょっと待ってください」
穴を覗くためには、私は少し背伸びした体勢にならないといけない。さらに近付くのは足が辛くなる。
私は周囲を見渡して、ベッドに掛かっている固く汚れたブランケットを畳んで踏み台にした。薄いけれどほんの少しは高さが出る。さらに靴を履いたままそれに乗って、もう一度、ヴィルレリクさまの手が突き出ている穴を覗き込んだ。すると四角い穴が翳って暗くなる。
「顔色は悪くないみたいだね」
「ヴィ、ヴィルレリクさま」
思った以上に近い場所にヴィルレリクさまの顔があった。琥珀色の目と私の目が合って固まっていると、ヴィルレリクさまの手が私の頬に触れる。
「汚れてる」
「え、あの、頬の、夫人にぶたれたときに」
「ぶたれたの?」
「扇子で……でも大丈夫です。そんな強い力じゃなかったし、多分魔力画が働いてくれて」
「さっきはそんなこと言ってなかった」
痛みとして残っていなかったので、つい忘れていた。どうぶたれたのか、どれくらいの強さなのか聞きたがるヴィルレリクさまに説明すると、ヴィルレリクさまが私の頬を拭いながら溜息を吐く。
「リュエットは危機感がない。魔力画が壊れたらそのままリュエットが怪我するんだから、誰かに近付かれた時点で逃げたほうがいい」
ヴィルレリクさまのお小言は、きちんと聞こえてはいるけれど、大きな手が私の頬を撫でているせいでなかなか集中するのは難しかった。頷くことでさりげなく横に移動しても、ヴィルレリクさまの手もついてくる。
結局、私はその手を握り返すことによって頬を放してもらった。撫でられたことも恥ずかしいし、手を握っていることも恥ずかしくなってくる。
そんな状況じゃないのだから、と自分に言い聞かせて、私は何度も深呼吸をした。
「そう、そういえば、ヴィルレリクさま、どうしてここがわかったのですか?」
「リュエットの侍女が絵を渡してきて事情が分かったから、マドセリアが人を監禁しそうなところへ手当たり次第人をやった」
「あの絵、気付いてくれたのですね」
ネルはお願いした通り、私が出かけてから絵をヴィルレリクさまへ渡してくれたようだ。
着替えに行ったとき、ネルが用意をしている間に私は小鳥の絵の裏にメッセージを書いた。時間がなかったし、慌てていたので事情の全てを書ききることはできなかったけれど、それを渡されたヴィルレリクさまはきちんと把握してくれたようだ。
「ミュエル嬢は?」
「今しがた、サイアンさまに連れられていきました。おそらく無事に送っていってくれるかと」
「随分と物分かりがいいね」
「そうでないと、聖画を得られないと思っているんです」
私はここに連れられてからのことを簡単に説明した。
マドセリア伯爵夫人に言われたこと、聖画の場所を知っていると嘘をついたこと、それを盾にミュエルを解放するよう言ったこと。無事でいたミュエルと会えて、そして引き換えにここへ入れられたこと。
話終えると、ヴィルレリクさまがまた深い息を吐いた。
「リュエット、無茶をすると死ぬって言ったけど」
「すみません。でも、ミュエルを助けるためにはそうするのがいいと思って」
マドセリア家が狙っているのは、うちにある聖画だ。ミュエルは私のせいではないと言ったけれど、私を誘き寄せるために利用されたことは確かだ。ならば私もそこを突いてミュエルを助けるのが一番だと思った。
けれど、自らサイアンさまについていったり、嘘を言ったりしたことは無茶だというのは私でもわかっている。危険なことはしないとヴィルレリクさまと約束したのにそれを破ることになってしまった。
「ごめんなさい、ヴィルレリクさま」
「リュエット、手を離して」
ヴィルレリクさまからそう言われ、私は握っていた手を離した。ヴィルレリクさまの手が穴から引っ込んでいなくなってしまう。
呆れられてしまっただろうか。
先ほどの気持ちとは正反対に暗い気持ちになっていると、ヴィルレリクさまの手がまたこちらへと伸びた。
「はい。持ってて」
「え」
「まだ魔力画は壊れてないだろうけど、損傷したなら一応もう1枚持ってて」
その手の上に、小さな魔力画が載っている。青いワニが手を上げているその絵は、少し前に見せてもらったものだ。受け取って、と促され、私はそれを受け取った。
「あの、ヴィルレリクさま、怒っていないのですか?」
「何が?」
「その、危険なことをして……約束を破ってしまったので」
「怒ってないよ。友達を盾にされたらリュエットは助けようとするだろうし、手掛かりを置いていってくれたからすぐ見つかったし」
その言葉を聞いて、ものすごくホッとした。同時に申し訳ない気持ちも浮かんでくる。
「この穴じゃ助け出せそうにないから、他の道を探してくる」
「あ、待って。待ってください」
引っ込められそうな手を慌てて握って止めて、魔力画をポケットへ入れる。私は首の後ろに手を回してネックレスを外すと、ヴィルレリクさまの手に握らせた。
「ヴィルレリクさま、どうかこれを身に付けていてくれませんか?」
「首飾り?」
「そうです。欲しいものが手に入る……かもしれない首飾りなので、どうかヴィルレリクさまが持っていてください。私はもうひとつあるので」
「首に付けるの?」
一瞬、パールのネックレスを付けたヴィルレリクさまが思い浮かんだ。中性的でイケメンだといえど、パールのネックレス姿は浮いてしまうかもしれない。
けれど、アイテムを使うためには装備している必要があるなら、ただポケットに入れておくよりはきちんと身に付けたほうがいいだろう。
「……あの、お守りのようなものなので、できたらそうしていただけると」
少し沈黙してから、ヴィルレリクさまはいいけど、と答えてくれた。
手が外へと戻っていき、穴から差し込む光が少し明るくなる。
私は背伸びをしていたけれど、ヴィルレリクさまは地面に近付いて会話していたのだ。汚れてしまうし姿勢も大変だっただろうに、いつも通り飄々としていたので思い至らなかった。労わりたい気持ちも湧き出てきたけれど、ヴィルレリクさまの姿勢を思うとちょっと面白くなってしまった。
ここから出られたら、改めてお詫びとお礼を言おう。
「付けたよ」
「ありがとうございます。……ヴィルレリクさま?」
私には見えない位置で、何か鈍い音が聞こえてきた。同時にぱつんと弾けた音がして、小さなものが周囲に飛び散る。それから間をおかずに、どさりと大きなものが落ちる音もする。
穴の近くにも転がってきたそれは、真珠の粒だった。




