悪意はいつどこにあるのかわかりません20
休日がきた。
魔力画が燃えた件で休養として休んでいたため学園に通っていた日は少なかったはずだけれど、色々あったせいで普段よりも長かったように感じる。
「リュエット! お兄ちゃまがお茶を入れてやろう。広間で飲むか? それともサンルームがいいか? 中庭はもう寒いからな」
「お兄さま、お仕事はいいのですか?」
「お前のお兄ちゃまは優秀だからな。ほら、リュエットの好きな秋桃のタルトも焼いてもらったぞ」
「サンルームにしましょう」
我が家に代々勤めてくれている料理人はお菓子も絶品だ。秋桃のタルトは冬を目前にした今しか味わえない貴重なもので、毎年楽しみにしているものだ。
お兄さまの誘いに乗り、一緒にサンルームでお茶をする。自分で言っていただけあって、ラルフさままでとはいかないけれどお兄さまのお茶もなかなか美味しかった。凝り性なので練習したのかもしれない。茶葉の鮮度や産地、温度について色々語っているのを聞きながら、夕焼けを固めたようなタルトの甘さと香りを味わう。
うちのどこかにあるらしい、特殊な魔術のかかった魔力画についての話は、まだお父さまに聞いていない。
家のお仕事を手伝っているお兄さまによると、犯人から私の命を盾にした脅しは今のところ家に届いていないそうだ。お父さまも様々な可能性について考えているのだろうし、私が話題に出して心配事を増やしてしまうのも心苦しい。
私を心配して家から出ないようにと言い出すかもしれないし、そうなると我がカスタノシュ家自体が危険になるかもしれない。ヴィルレリクさまの言った通り私の周囲で不審なことが起きている今の状況が一番守りやすく犯人を見つけやすいというなら、この状況を続けることが今私にできることなのだろう。
「リュエット、ほら砂糖がパリパリに焼き固まったところをやろう。子供の頃からこれを食べるのが好きだっただろう?」
「お兄さま、わざわざ自分のお皿から取り分けてくださらなくても大皿にありますから」
「なんだ、ほんの少し前まではお願いしてきたというのに。まだヴィルレリクも来ていないのだから、お兄ちゃまに心置きなく甘えていいんだぞ」
「え、ヴィルレリクさまがいらっしゃるのですか?」
秋桃のタルトを覆う砂糖が固まった部分をもらいながら訊き返すと、お兄さまは憮然とした顔で頷いた。
「安全のため、なるべくリュエットの近くにいたいそうだ。安全のためだぞ」
「いついらっしゃるの? 私、こんな気の抜けた格好で、着替えなくちゃ」
「リュエット、何も畏る必要もないだろう。聞いているのかリュエット」
久しぶりに家でのんびりできると思って、着古した動きやすい服を着てしまっていた。急にそわそわした気分になる。砂糖のパリパリした部分を食べてみても、先に着替えた方がいいのではと思うとなかなか楽しめない。
「ティスランさま、お嬢さま、お客様がお見えです」
「もう? どうしよう、ちょっと待っていただける?」
「すぐにお通ししてくれ!」
「お兄さま!」
執事が言い合う私たちを見て困った顔をしている。
ヴィルレリクさまが既にいらっしゃっているのなら、着替えのために待たせるのも失礼だ。お休みの日でもきちんとした格好をすべきだったと反省しながらも、私はお兄さまに同意した。せめて髪や服に乱れがないか気にしながら待っていると、いつも通りのヴィルレリクさまがやってくる。
「こんにちは、リュエット。ティスランも」
「こんにちは、ヴィルレリクさま」
「私はおまけ扱いか? ヴィルレリク、貴様はパリパリのない部分を食べるがいい」
さりげない意地悪をするお兄さまを睨みながら、ヴィルレリクさまにもお茶を用意する。
「秋桃、土産に持ってきたけど、既にあったね」
「まあ、持ってきてくださったのですか?」
「うん。良ければどうぞ」
ヴィルレリクさまがくださったバスケットに入ったみずみずしい秋桃は、どれも綺麗に熟れていてそのままかぶりつきたいくらいに美味しそうだった。
「とても美味しそうです。秋桃は美味しいのですごく嬉しいです。ありがとうございます、ヴィルレリクさま」
「好きなの? まだあるから今度持ってこようか」
「本当ですか? はい、実は大好きなんです」
「果物が、だぞ。リュエットは果物が大好きなだけだぞ」
変な口を挟んでくるお兄さまは置いておいて、もらった秋桃をネルに持っていってもらう。お礼に何か焼き菓子を用意してもらうようにも言付けておいた。
「今日は何か変わったことはなかった? 外出予定は?」
「何もありませんでした。私は家でゆっくりするつもりです。お兄さまは?」
「お兄ちゃまは午後はリュエットと語り合う予定しかない……そんな嫌そうな顔をすると傷付くぞ」
お兄さまは若干項垂れながらタルトを食べ始める。ヴィルレリクさまもタルトの味を気に入ってくださったようで、美味しいと目を細めていた。お茶も美味しいと褒めるとお兄さまが複雑なドヤ顔を見せる。
「ヴィルレリクさまは、何かご予定は? その、お気遣い頂くのはありがたいのですが、休日もずっととなると大変ではないかと」
「特にない。リュエットの命の方が大事」
「そ、そうですか」
何でもないことのように言われて、私はどういう反応をしたらいいか分からずにお兄さまが淹れたお茶を飲んだ。空になったカップにお兄さまが新しく注いでくれるけれど、その目線がなんか怖い。
冷たい風を防いで柔らかい日差しの降るサンルームで、私たち3人はしばらくお茶を楽しんだ。
美術の課題についての質問をすると、ヴィルレリクさまがわかりやすく答えてくれる。時折お兄さまが小難しい話をしても、彼は嫌な顔をせずに受け答えしていた。領地や作物管理の話についてもきちんと会話が成り立っていたので、ヴィルレリクさまも次期領主として様々な勉強をされているようだ。少し大人びて見えるような、ちょっと遠いところにいるような気持ちになる。
「お嬢さま」
2人の話を聞いていると、そっとネルがやってきて小さな声で私を呼んだ。耳元にそっと囁き掛けられた話に目を瞬くと、ネルも少し困ったような顔をしている。
「リュエット?」
ヴィルレリクさまに呼ばれ、少し迷ってから私は相談することにした。
「その、私に、男性からお誘いが来ているようなのですが……」
その瞬間、お兄さまの顔がクワッと険しくなり、ヴィルレリクさまの目がすっと細くなった。




