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誘惑はどこにでもはないと思います15

 サンルームの扉のところに、ヴィルレリクさまが立っている。午後の光が差し込み、室内のあちこちを飾る草花を淡い色に照らしている中で、同じく淡い色素のヴィルレリクさまは背景に溶け込んで幻想的な存在に見えた。

 いきなり現れた存在に驚いていると、ヴィルレリクさまは私たちの前までやってくる。ゆったりと落ち着いた動作だったのに、立ち上がって挨拶をするのを思い出すよりも早かった。軽く礼をしたヴィルレリクさまに、私とミュエルは座って両手を繋いだままぎこちなく頭を下げることになる。マナーの先生が見たら1時間は怒られそうだ。


「挨拶しようと思ってたんだけど、話が続いているようだったから」

「あ、その、申し訳ありません」

「リュエットが火事の犯人であることはありえないから、思いつめなくていいよ」

「え、」

「そうですわよね?!」


 落ち着いたいつもの口調で言うヴィルレリクさまに、食いつくように返事をしたのはミュエルだった。


「言ってやってくださいませ、ヴィルレリクさま! この際、その根拠にあなたが犯人だからという理由があっても構いませんわ。リュエットの疑いを払拭できるなら!」

「ちょっと、ミュエル!」


 どさくさに紛れてミュエルが失礼なことを言ったので、私は慌ててその口を手で塞いだ。ハラハラしたけれど、ヴィルレリクさまは気分を害することはなかったようだ。少し首を傾げただけで怒ったりはしなかった。


「犯人は僕でもないけど、リュエットは火事の原因にはなり得ない」

「……お言葉ですけど、ヴィルレリクさま、そう言い切ることはできないと思います」

「できるよ」

「どうしてですか?」

「燃えた魔力画については黒き杖が調べたから」


 ヴィルレリクさまが近くにある椅子を示したので、私は慌てて頷いた。着席を勧めることすら忘れていた。

 ゆったり腰掛けたヴィルレリクさまは、私たちを見ながら説明を始める。


「魔力画には通常、複数の魔術がかけられている。絵を動かすということだけでもいくつかの魔術が使われていることもあるし、単術画法でも魔力画を守ったり、飾る家を守る魔術が付いているのが多い。魔力画には通常鑑定書が付けられていて、そこに使用された魔術の種類が記録されている。そこまではわかる?」


 私とミュエルは同時に頷いた。美術の授業で習うことだし、ミュエルの家は魔力画の蒐集をしているので知っているのだろう。

 その性質上、取り扱いに注意が必要な魔力画は、どのような魔術が掛けられているかを記録した鑑定書と共に所有される。価値を保証するためでもあり、所有者を魔力画が持つ危険から守るためにもそれは必須のものだ。売買や補修の際にも欠かすことができない。


「燃えた3枚の魔力画の鑑定書は黒き杖に提出された。複雑な魔術が多かったけれど、3枚ともに共通して掛けられている魔術はなかった。画法も違い、画家も制作時期も離れているから、それぞれ魔術の系統も離れている」

「もしリュエットが何かの魔術を誤作動させたのであれば、3枚に共通した、または似た魔術がないとおかしいですわね!」

「そう。例外として魔力画自体を保護するための魔術は同じだったけれど、これは国内にあるほぼ全ての魔力画に掛けられているものだから、もしそれが原因ならあらゆる魔力画が燃えてないとおかしい」

「ほらリュエット、言ったでしょう? あなたが燃やしたなんてことあり得ないわ」


 ミュエルは私を見て嬉しそうに笑ったけれど、同じように安心することはできなかった。

 魔術に解明されていない部分がある限り、私に誰にも言えない心当たりがある限り、疑いを100%晴らすことはできない。誰もがそれで納得したとしても、人とは違う記憶を持っている限り、私だけは確信を持てない。


「……絶対に、とは言い切れないと思います」

「言い切れるよ」


 ヴィルレリクさまの声が意外なほどに確信めいていて、私は顔を上げた。真剣な顔で私を見つめている。琥珀色のその目は、自分の言葉を微塵も疑っていないようだった。


「言い切れる。リュエットは犯人じゃない」

「どうしてそう思うのですか?」


 琥珀色の目が伏せられる。それからヴィルレリクさまは、理由は言えないと小さく答えた。


「それでも、確証はある。リュエットには魔力画を燃やすような力はない」


 私が、私の疑いを晴らせないと確信しているのと同じように、ヴィルレリクさまも同じだけの確信を持って答えている。再びこちらを向いた琥珀色の目を見て、なんとなく感じた。

 それほどに言い切れるなら、少しだけ信じてもいいかもしれない。そう思ってしまうほどに。


「よかったわ! ところでヴィルレリクさま、黒き杖の方は? その包みは何ですの?」

「これはお見舞い」


 ミュエルの問いに答えて、ヴィルレリクさまは持っていたものを私の方に差し出した。それは私の肘から先くらいの長さの長方形で、全体を柔らかい布で包みリボンを結ばれている。

 受け取ろうとすると、ミュエルが慌てて間に入った。


「もしかして魔力画じゃありませんよね? カスタノシュ家には持ち込めないし、今のリュエットには」

「違うよ。普通の絵」


 渡そうとした手を引っ込めて、ヴィルレリクさまが自らリボンを解いた。布を取り払って出てきたのは、細い枝の上でぴったりとくっついている3羽の鳥。1羽だけが青い。


「あ、この鳥たち、あのお守りの?」

「そう。前に残念がってたから」


 マドセリア家で魔力画が燃えたときと、昨日の火事のときにヴィルレリクさまが貸してくれていた小さな魔力画。私の代わりに燃えてしまった魔力画に描かれていた鳥たちが、動かぬ姿で額縁に収まっていた。

 ヴィルレリクさまからそれを受け取って眺める。ふくふくと膨らんで眠っている姿は、安らかで幸せそうだ。顔を近付けて眺めると、つんと独特な香りがした。


「顔料の香りがします。こっちの2羽も描いてあるということは、もしかして、この絵は今日……?」

「うん。表面は乾いてるだろうけど、まだ匂うと思う」

「リュエット、見せて? ……こんな緻密で芸術性の高い絵を、1日とかそこらで? 割高で頼んでも難しいでしょうに……随分腕のある方みたいですけど、どこでお抱えになったの? このサイン見たことないわ」


 ミュエルは隅々まで確認するように眺めてから呟く。

 ヴィルレリクさまは「秘密」と少しだけ肩を竦めただけだった。






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