モブ令嬢と王様の魔法薬(中)
「ごめんなさい。 私の問題については、貴方にこれ以上頼ってはいけないと思ってしまったの」
それは煩わせたくないからでもあったが、根本はそれで彼のすべきことが崩れる懸念から。
詳しく聞くことはできないし話すのは無理だろうが、それでもゾーイは元々ロイが王族だと薄々勘づいていたのだ。彼の帰国理由が、重大なことでない筈はないことくらいわかる。
「それは──」
「貴方や未来を心配して、だけじゃない。 私が向き合ってどうにかしなければならないことだわ。 でも私は無力で、魔術師にならないとどうにもできそうにない。 貴方じゃなくて先生にお願いするのは、母国で私自身が問題を終わらせる為よ。 ……どうか我儘を許して欲しいの」
「我儘だなんて……理不尽なのは自分の方だと、わかってはいるんだ。 だけど……」
『だけど』の後、言葉は続かなかった。
小さな秘密や言いたくないことなら、ゾーイにだってある。相手への信用や信頼、自分の気持ちすら関係なく、言えないことというのがあるのもわかっている。
隠し続けるのも、言うかどうか迷い懊悩するのも、きっと辛い。
なにも知らないのも辛いけれど、少なくともゾーイはロイが『告げられない』というのを知っている。
そしてゾーイは、回帰薬を渡してくれたロイの気持ちを疑うことはない。
「ロイ、貴方は私を望んでくれる?」
「勿論」
今回は恋人になったことで、ロイも話せることのいくつかは話している。
彼自身、『ゾーイはもう自分の身分に気付いているだろう』と理解しているが、ラガリテの王族──とは流石に今は告げられない。
代わりに『自分は自由意志で配偶者を選ぶことができる身だ』とは話した。
「なら……やっぱり私は、その為にも魔術師にならないと」
そうゾーイが微笑むと、ロイは苦々しい表情で両手を上げ、降参の意を示した。
「殺し文句だ」
「あら、本心よ?」
3度もゾーイを喪い、そのうち2度は何もできなかったロイの不安が消えることはない。
だが冷静さを欠いてしまったのは、アーノルドへの嫉妬と焦燥が強いせいだ、とようやく脳内を整理し自覚することができた。
1度目にゾーイの遺品を持って帰り、3度目には彼女の手助けをした先生。
回帰したのに、なにもできなかった自分とは大違いで、彼の傍にゾーイを留めるのは怖かった。
(話せないことはある。 でも今話せることもまだある)
「……ゾーイ、心配なんだ。 君は素敵だから」
ロイはゾーイの手をそっと握った。
これくらいはあることだが、珍しくロイはゾーイを引き寄せて抱き締める。
気遣わしげな手つきのまま、壊れものを包むように、大切に。
格好をつけていたつもりはなかったが、先の約束ができないままに愛を告げるのは、王族であるロイにはどうしても不誠実に感じてしまう。だから恋人と言うのは名ばかりで、他の男への牽制としてしか機能していない。
口付けを交わしたのもあの1度だけ。
真面目なふたりの付き合いはとても清い。
「ふふ、ありがとう」
「真剣に言ってる。 アーノルド先生だけじゃなく、君に近付かれるのは誰だって嫌だ。 先生は魅力的だから、より嫌だ」
「ロイ……」
ふたりはそこで、ようやく2度目のキスをした。
やや奥手過ぎるふたりの恋愛だが、3度目で受けた酷い仕打ちのせいで、無意識下の恐怖心が拭えていないゾーイにとってもこれは丁度いいペースだった。
今でもたまに夢に見て魘される。
ロイがあの男と同じとは露ほども思っていないが、身長の高さは同じくらい。
多少強引になにかをされたとしても、相手がロイなら受け入れはしただろう。だが愛しているのに、思い出して身が竦む気がして……それが怖かった。
触れてくるロイの手が臆病なくらいに優しいことは、ゾーイにとって救いで。
友愛とも取れる穏やかで優しい接触に、ゆっくりと上書きされていると感じていた。
喧嘩をし、仲直りした次の日。
こちらが赴くより先に、ゾーイはアーノルドに呼び出された。
そこには何故か、ロイが既にいた。
「いや~、少し調べてみたんだけどさ。 結論から言うと、学園側に売るのは勧めない……そこでロイ、彼に共同事業者として出資をして貰ってはどうかと。 それでまあまあ丸く収まる……筈だ」
ちょっと面倒臭い、いくつかの契約書と手続きが必要になるが、プロトタイプを作成提出し安全基準の検査をパスすることで、学会での発表なしでも認可は降りるそう。
いち早く開発した商品の権利を有する為に用いられる方法らしく、外部企業が魔術師を雇い魔道具を開発、商品化を考えた時に使われる、割とメジャーな方法らしい。
研究者ではあるが魔道具開発とは畑違いの研究をし、学園の教師でもあるアーノルドがこれに携わったことはなく、全くと言っていい程知らなかった。
そもそも学園では学会で発表するのが普通なので、こんな相談されたことはないそう。
「言っただろ、俺は変に勘繰られたくない。 ただ頼られれば、それなりに協力するのは吝かではない」
その後、多少の話し合いの末。
共同事業者となったロイの出資金のうち、契約金としてゾーイに支払われた金の一部をトラキレールの返済に充てた。
アーノルドが肩代わりした体なのは変わらないが、それでも蚊帳の外ではなくなったことでロイもかなり安心感はあったようだ。
ゾーイはやや不服だったが『共同事業者(※開発者の権利も保有)』であり『対等な取り引きなら文句はないだろう』と言われてしまえば確かにそうなので、拒む理由もなかった。
「……」
「どうしたの? ロイ」
「やっぱり先生はカッコイイな……」
そう言って項垂れるロイを見て、ゾーイは思わずといった感じで吹き出した。
ゾーイにしてみれば愛らしく胸ときめく、本人にしてみればみっともない嫉妬などの本音までを語り合えるようになったふたりは、物理的には非常に慎ましくも、寄り添うように優しく着実に、互いへの愛と信頼を育んでいった。
そして一年後。
「ゾーイ、これ……」
最終学年の前期が終わった。
学園を去る前、ロイは回帰薬をゾーイに渡そうとした。ペンダントとして容器を作り直し、高度な保護魔法も付与したものを。
しかし──
「ロイ」
ゾーイは差し出したロイの手のひらを閉じるように包み、首を横に振る。
「これは貴方が保管すべきだわ」
「それはどういう」
「ふふ。 違うわロイ、そんな表情しないで。
卒業後、まず貴方のところに行く。 それまで持っていて」
「……」
ロイは何も言うことなく、ゾーイを抱き締めた。
ゾーイはこの瞬間が好きだ。
触れる手の扱いの優しさに、大切にされていると感じられる。
男女としての関係は進んでいないが、あれからロイは日常的に抱き締めるようになっていた。
扱いの優しさは変わらないが、今日はいつもよりも拘束が強く、それに胸が震える。
「……ロイ、そろそろ」
「ああ。 ……それじゃ、また」
「ええ、また」
そう言って別れた。
別れの記念になるのが怖くて、口付けはできなかった。
ロイは自分のことを頼りないと言うが、全くそんなことはない。
もう死ぬとはあまり思っていなかったが、離れるのは想像以上に不安で。ゾーイは自分が認識していたよりも更に、ロイを頼っていたのだと思い知った。
卒業後の話は嘘というか、口をついて出ただけの誤魔化しの言葉──本当は『使うつもりはない』と返すつもりだったのに。
それから更に半年。
ゾーイは無事卒業し、魔術師の資格を得た。
その少し前になって、ようやくロイから手紙が届いていた。
検閲されるからか、殆どは他愛のない内容だったけれど。ロイがラガリテの王子だということは学園に隠していることではないので、それについてもサラリと書かれていた。
一応ではあるが、エヒーネの問題が片付いたのだ。(ゾーイへの手紙には『諸問題のうち主となること』と書かれている)
それには安堵したものの『ただ、今のラガリテは他国の人間が入ってくることに過敏なので、こちらには来ないで欲しい』と続いていた。
それにガッカリしたが、やはりホッとしてもいた。ロイについ言ってしまった『ラガリテに向かう』を、実のところゾーイは反省していたから。
何が起こるかわからない以上、一秒でも早く帰国し籍を抜くべきだ。
卒業式の後、卒業生は9割が成人であり魔術オタクで占められる、ほぼ無礼講の宴会のような卒業パーティーの一夜を楽しく過ごす。
残念に思いながらもそれには参加せず、友人達に挨拶だけして回ると、用意していた旅行鞄を手に、帰国の為に港へ向かおうと学園の軽装馬車に乗った。
しかし──
「ゾーイ!」
学園を出てすぐ、ゆっくり走り出したばかりの馬車を塞ぐように前から呼び止められる。
「──シルフィア!?」
その相手は、ラガリテの男性に嫁いだシルフィアだった。ロイは自分が行けない代わりに、ベイル夫妻を向かわせたのだ。
前回までから、卒業時にはまだ会いに行けないというのがロイにはわかっていた。
ゾーイが来るのも危険だからしない方がいい、というのも……トラキレールへの帰国をなにより優先すべき、というのも。
それでも『まず貴方のところに行く』と言ってくれたことが嬉しかった。
反面、彼女の不安は手に取るようにわかるのに、傍にいてあげられないことが不甲斐なかった。
だが、救えなかった3回の悪足掻きが、ここにきて最も重要な役割を担ってくれるのは、ロイにとっても救いだった。
祈るような気持ちでロイがラガリテで待つ中、ベイル家の商船はゾーイを乗せてトラキレールへと向かう。
シルフィアがいてくれるのはとても心強い。
それは彼女が元侯爵令嬢だからではない。
クナの学園生活では、協調性と共感性に優れ皆を纏める側だったゾーイだが、母国での彼女は全くそんなことはなく、通っていた淑女学校入学当初はむしろ浮いていたと言っていい。
父から愛されなかったゾーイだが、早世した母からは歪な愛情を注がれていた。
ゾーイの母は、小柄で美しい容貌で。
トラキレールの価値観に疑問などなく、自身の成功体験もあった彼女は、ゾーイを娘として愛しながらもその実一番の加害者でもあった。
彼女なりの愛情から選ぶ服や小物は、パステルカラーでふんわりとしたフォルムや素材、装飾の多いなどの可愛らしいものばかり。
だがそれらは、成長が早かったものの身長と手足ばかりが伸び、10代に入っても身体つきにまだ女性らしいところは見られなかったゾーイには全く似合わなかった。
良かれと思ってしている分、母は尚のことガッカリし、悪気なく容姿に対する暴言を吐いていた。
ゾーイを王立の淑女学校に入れるように言ったのも母で、『美しくないから見目で倦厭されないように』という彼女らしい配慮から。
派閥の姫だったシルフィアと気安い会話をできるまで仲良くなったのは、淑女学校で彼女がゾーイを気に入ったからだった。
シルフィアはゾーイの努力を評価し、心からその成果を喜び肯定してくれた。
見目への引け目から、年相応にお洒落に関心を抱き、そういった話題に花を咲かす同年代の女子達の輪に入れずにいたゾーイを引き込み、皆を巻き込んで似合うものを教えてくれたのも。
大袈裟ではなく、シルフィアのおかげで、ゾーイの土台は作られている。
そんなことは全く伝わっていない様子で、シルフィアは感動の再会にただ喜んでいて。
ゾーイが不安を感じている暇などない程、とめどなく終わらない会話が続く中、彼女は言う。
「大丈夫、きっとなにもかも上手くいくわ。 私、貴女が魔術師試験に受かった時も思ったのよ、『やっぱり』って」
「『やっぱり』?」
「ええ。 『やっぱりゾーイは物語の主人公のようだわ』って」
「ああ、あの小説の?」
「ええ。 あの主人公は貴女そっくり」
ゾーイは結局、今回も前回も、無かったことになった2度目も、あの小説を読んでいない。ロイは初回に贈って遺品となったことから、2度目以降は贈れなかったから。
淑女学校では恋愛小説好きなシルフィアが、何度かお勧めを貸してくれたけれど、彼女曰くコレは、それまで貸したものとは少し内容が違うのだという。
ただ内容は割と王道で、家族に冷遇を受けながら、それでも主人公が諦めず懸命に努力し、やがて認められて花開くという話だそう。
「ひたむきな努力って聞こえは良いけれど、結果を出せるまでできる人って結局は才能があるとか、環境がいいとか、ある程度運にも恵まれているじゃない。 貴女は決してそうでもないのに、折れず弛まず努力を続け、そして成した。 それって素晴らしく尊いことだわ。 私には貴女は物語の主人公のように輝いて見えたの。 今もよ」
「やだ、買い被りよ」
思わず『小説の影響だわ』と照れ隠し半分の皮肉を言うゾーイに、シルフィアは朗らかに笑う。
「ふふっ。 さっきも言ったように、私は『主人公が貴女にそっくり』って思ったのよ。 恥ずかしくて言えなかったけれど、私、貴女を尊敬してるの」
「──」
それはゾーイにとって、受け止め切れないくらいの言葉だった。
ゾーイにしてみれば、美しく聡明で優しい彼女こそ、主人公そのものだったのだから。
ゾーイはシルフィアに感謝すると同時に、彼女に任せてくれたロイに、感謝していた。
本当は前回だって、大切なのがどちらかなんてわかり切っていた。
なのに、捨てる筈の一番要らない物を選び取ってしまったのは、どうしてなのか。
終わって振り返ってみれば、籍が、法が、などという一応の理由など、所詮建前に過ぎなかった。
だからといって、今更家族からの愛や賞賛などを求めていたわけでも、心配だったからでもない。
考えた末に出た答えは、割とシンプルだった。
──ただ、怖かったのだ。
逆らうのが、怖かった。
どんなに理論武装して挑もうと、喋れなければどうしようもないのと同じ。前回だって『一矢報いてやろう』くらいの気持ちはあったのだが、一言の反抗もできなかった。
魔術師になり物理でも勝てるにせよ、理屈ではないだけに、気持ちのように身体が動かない可能性は捨てきれず、それが不安だった。
(……結局、今回も肝心なところで頼れない私は主人公なんかじゃないわ)
だけど、今回は。
感謝と『今度こそ幸せになる』という覚悟を強く抱き、船は母国トラキレールへ着いた。
そこでゾーイを待っていたのは、思いもよらぬ出来事だった。




