ゾーイ視点:なんの変哲もない不遇モブ令嬢が主人公になる話
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親愛なるゾーイへ
少ないけどお餞別よ。
クナでの当面の生活費くらいにはなると思うわ。
貴女のことだから、こうでもしないと素直に受け取らないと思って。
まだ皆には秘密だけれど、私も婚約が決まったの。懇意にしている他国の商会の方よ。
ゾーイが魔術師になる頃には、私はこの国にいないでしょう。
紹介することができなくて残念。
もしかしたら、もう会うこともないかもしれないけれど、遠くから貴女の幸せを祈っているわ。
ゾーイにも素敵な出会いがありますように。
貴女の友人、シルフィアより
追伸:くり抜いてしまったけれど、この小説はハッピーエンドよ。
貴女の物語もきっとそうなるわ。
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「留学おめでとう。 少し早いけどコレ」
「あら、小説?」
母国トラキレールの友人、シルフィアがくれた小説は、家庭で冷遇されていた主人公が家族から離れた地でその努力や実力が認められ、幸せを掴む──そんな内容だそう。
「今の貴女にピッタリでしょ?」
「ふふ、ありがとうシルフィア」
『家に帰ったら読んで。 次会った時、感想を聞かせてね』と微笑んで祝ってくれたシルフィアの言葉通りに自室で本を開くと、ページの中央あたりから大きくくり抜かれた本の中には、お金と手紙が入っていた。
「シルフィアったら……」
反対されると思っていた留学は意外にもアッサリと許可が出たけれど、父の気が変わらないかと不安でいっぱいだった私は、一刻も早く出立したかった。
しかし、私には自由になるお金がない。
渡航費用は申請すれば国から出るけれど、早目に国を出たところで現地でどうすることもできない……そんな私の状況と心情を、彼女はわかっていたのだろう。
実のところ、それでも早く行くつもりでおり、現地で母の形見の懐剣を売るつもりでいたのだ。
お金は有難く使わせて貰うことにし、私は素早く荷を纏めると出立に踏み切った。
──留学先のクナでの日々は、とても充実していた。
私の半生に於いて、最も素晴らしい時間だったと自信を持って言える。
だが、留学から2年半が過ぎたある日。
突如父から帰ってくるよう命じられ、私は帰国することになった。
(どうやら物語の主人公のようにはいかないみたいだわ、シルフィア)
昨夜はそんなことを思いながら、久しぶりに見た彼女からの手紙の入ったくり抜かれた本を、他の荷物と共に旅行鞄に詰めた。
涙は出なかった。
クナは小さな島国で、帝国・ジルクザーストすら手出しのできない中立国。
世界で唯一の魔法学園があり、その為にある国と言っていい。
ここでは魔法・魔術理論と実技、その活用法について学ぶことができ、卒業時は魔術師と認定される。 どの国でも通用する資格だ。
直接的な入学試験はなく、基準とされる一般的な学術に準じた試験に合格し、費用さえ賄えればいつでも学園は受け入れてくれる。
だがそれなりに難関で、人数制限もある。
どの国も魔術師は欲しいからか、大抵どこの国でも試験で留学生を募集し、試験に合格すると奨学金と渡航費用を得ることができるようだ。
私ゾーイ・クロンメリンはトラキレールの試験に合格し、留学生としてクナにやってきた。
入学もそれなりに難しいが、卒業はもっと難しい。
それだけに、皆真面目で研究熱心であり、できた友人達とは様々な議論を交わし、切磋琢磨してきた。
「ゾーイ、本当に帰国するの?」
「ええ」
「勿体ないよ。 もうすぐ卒業なのに」
卒業できない人はそれなりにいても直前に辞めるというのは異例なこと。
そんな事態に陥った私を心配し、皆が次々と声を掛けてくれる。
その気持ちが嬉しく、自分でも意外な程自然に笑うことができていた。
「ロイに続いて君もだなんて……学園の損失だ」
「うふふ、大袈裟だわ。 ロイは兎も角」
異例なことだと言うのに、半年程前にももうひとり、辞めた人がいる。
ロイ・ブラウニング。
とても優秀で、特に薬学の知識に関しては頭ひとつ抜けていた彼だが、驕ったところは一切なく穏やかで優しい、陽だまりのような人だった。
「ロイを追い掛けて行くとかじゃないんだよね? だったら協力する」
「やだ、そんなんじゃないわ。 ロイに失礼よ」
「いや~、ロイはゾーイが好きだったと思うけど」
「そうなら素敵だと私も思うわ」
「もう……ゾーイってば」
笑顔でそう返すと軽く躱したように取られたけれど、それは紛れもなく本音で。
その小さな期待に支えられている自分がいる。
(……馬鹿ね)
ただ、だからどうなることもない……それはわかっていた。
留学試験は通ったものの、私は未成年であるため家長である父からの許可が必要であり、そこが一番の問題だった。
私は父にとって要らない子供。
要る子供の為の養分でしかない。
それは小説のような、おきまりの家庭内格差による冷遇だったけれど、小説とは違い問題になるようなものでもなかった。
子供達の母はどちらも同じで、ふたりとも両親にそれなりに似ている。
そして私は長子。
つまり母が早逝した理由が私の出産だとか、私が両親の疎む祖父母に似ているだとか、なにかの小説の設定みたいな事情は特にない。
ただ、下にいるのが弟なだけ。
嫡男を大事にするのは至って普通のことであり、虐待ならまだしも娘への多少の冷遇など、トラキレールでは一般常識から逸脱するような特別なことでもなかった。
周囲にしてみれば、父は人より少しばかり昔気質な人、という程度の認識だろう。
女である私がどんなに努力し実力を見せても父に認められることはなく、逆に疎まれることすらある……そう気付いたのはいつ頃だったか。
簡単に留学を許されたのは、私にとっては奇跡的なこと。
実際、そう思った。
けれどそうではない──それに気付いたのは、クナに渡る少し前。
港の物々しい空気と厳しい警備を見て。
今後戦が起こる可能性が高く、父はその情報をいち早く取得していたのだ、と想像がついた。
戦が起こった際、貴族家は騎士として家族の誰かを参戦、或いは莫大な支援金を支払う。
流石に息子がいるのに娘を出せば、非難は免れない。
だが、それが魔術師ならば話は別だ。
弟が出征せずに済む為に、私の希望する進路は都合が良かったに違いない。
それでも魔術師になれたなら、成人した後籍を抜けても、生きていける筈だった。
まさかここにきて帰国させられるとは、流石に思っていなかった。
クナでは情報が制限されているからわからないが、ここにきて周辺諸国の情勢が変化し、戦が起こる懸念が無くなったのだろうか。
弟より私が優秀であってはならない──父の考えそうなことだ。
まだ未成年である以上、私は従うしかない。
手紙の一枚目には既に奨学金や渡航費用などの国からの借金は返済されていると書かれており、二枚目を読まずとも帰国後になにが待っているかは予想がついた。
私は誰かに売られたのだ。
金払いが良く、要らない子供を都合よく厄介払いできる相手に。
──学園最終日。
退学・退寮の届けなど諸々の書類は既に提出済だが、最後に担当教諭の元に赴く必要があった。
「ゾーイ君、君はとても模範的であり、勤勉で熱心……それでいて周囲を気に掛け上手く配慮する、この学園には珍しいタイプのいい生徒だった」
「アーノルド先生……」
アーノルド先生は、眼鏡を押し上げながら苦々しくそう言う。
「その言い方はあまり嬉しくないような」
「だってロイに続いて君とかさぁぁっ! なんで聞き分け良く協調性に富んだ子ばっかがいなくなっちゃうワケぇ~!? ふたりがいなくなったら、やたら癖の強い奴ばかりのアイツら纏めんの俺の仕事だよ?!」
「それ、元々先生の仕事ですよね?」
あまり勉学とは関係ないところで評価されていたようだ。まあ、なんにせよ悪い気はしない。
「ロイはまあいいが、君、本当に卒業しなくていいの?」
「先生」
「あ。 ……やっぱり知ってたんだ?」
「なんとなく、ですが」
身分を隠し、『ロイ・ブラウニング』と名乗っているが、おそらく彼はとりわけやんごとなき血筋の方。
王族か、それに連なるような。
だからどうなることもない……その理由のひとつはそれ。彼とどうこうなんて、あまりに大それた考えだ。
ロイとは国も違うが、出身は多分偽っていない。『薬の国』と呼ばれるラガリテの人。
「いやそれはどうでもいい」
「……仕方のないことってあるんです」
「そうかなぁ。 頼ったらいいんじゃない? それこそ、ロイにでも……俺だって、頼られたらまあ……多少は考える」
「そこは嘘でも『なんとかする』って言ってくださいよ」
「俺は正直であり、怠惰なんだ。 そんな俺でも『多少は考える』と言っている。 ゾーイ君、君はこの発言と君自身の価値をもっと重く受け止めていいぞ」
「ふふ。 ありがとうございます」
笑って去れたのは幸いだったが、平気なつもりでいても、やっぱり辛かった。
(皆に出立の日を告げなくて良かったわ)
きっと泣いてしまうから、密かに去ると決めていた。
魔術師の証明であり、力の源となるブレスレットを学園に返し、すっかり涼しくなった左の手首を擦る。
魔力は誰にでもあるが、使うことをできるのは極一部のみ。聖女や賢者として崇め奉られるような人達だ。
或いは……その力を使い建国した国の、王族だとか。
魔法や魔術の為に使用する魔力を他の凡庸な人間達が使うには、このブレスレットが必要不可欠であり、その生成方法は偉大なる魔術師達の厳重な管理により秘匿されている。
だからこそクナは中立国であり、このブレスレットを得て魔術師になる為に、皆クナの学園に集うのだ。
卒業できなければ魔術師となれない理由は、これに尽きる。
『頼ったらいいんじゃない?』
(……できないわ)
悔しいし、口惜しい。
それでも私は、誰かに頼るという選択肢を持つことはできなかった。
残念なことに、小説の主人公のような潔さや強かさは、私には備わっていない。
母国、そして家から離れ、他人の優しさや今までとは異なる価値観や常識に触れても尚、培われた柵は重い泥のように纏わりつき、未だに抜け出せずにいる 。
──ただ、私が人に頼ることができる人間なら、そもそも魔術師になろうとも思わなかったに違いないし、今迄のように努力できたかも怪しい。
ここまで来れたのは間違いなく私のそういう部分からなので、育まれなかったものを羨んで自己を否定する気もなかった。
運やタイミングは悪いと思う。どうしても未練は消えないだろう。
だがここまでやった自分を誇りたい。
せめて前を向いて去ると、そう決めていた。
「ゾーイ!」
「アーノルド先生?」
学園から港までの馬車に乗る直前、走ってきたアーノルド先生に呼び止められた。
息を切らし「オッサンは走り慣れてねぇんだ」とぶつくさ文句を言いながら、汗を拭った彼は唐突に言う。
「君さ、ロイからなにか受け取ってただろ?」
「えっ」
ロイは出立前、私に魔法薬をくれた。
『君が本当に辛くて、もうどうにもならないと思った時、どうかこれを飲んで欲しい』
それだけしか語ってはくれなかったけれど、特別な薬なのだろう。
彼の声はまるで懇願するかのような、切実な響きだった。
私はそれをくれる理由を知りたかったけれど、『なんだか不穏ね』と笑って返した。
嬉しくて。別れが寂しくて。余計なことを口にしてしまいそうで──聞いてはいけないと、そう思った。
「見たんだ、たまたま。 『全く、チューぐらいしろよ』と思いながら」
「なっ?! なんですかもう……!」
「貸せ」
「え」
「いいから」
ずっと肌身離さず持っているので当然すぐ出すことはできるが、本音を言えば誰にも触れられたくない。
ただ──
「『多少考えた』んだ。 頼らない頑固な生徒達の為に」
「!」
アーノルド先生は信頼のおける人だ。
なによりロイも、彼を私と同じように思っている。
私は躊躇いながらも薬の小瓶を上着のポケットから取り出し、先生に渡した。
「…………」
ボソボソと聞き取れないくらいの小声で、先生が詠唱を行うと、小瓶は見る間に形を変えありふれたペンダントトップのような楕円の小さな容器になった。
それに長めのチェーンを着けて、更に詠唱。魔法を発動させる。
(これは保護魔法の……!)
紐付けた所有者の意思で透明化できるという、高度な保護魔法。
他にも強化などの魔法を付与し、全て終わると先生は、素敵なペンダントとなった小瓶を「ほらよ」とぞんざいに突き付けた。
「先生……」
「餞別だ。 なんか君、大変そうだしな。 これでまあ、少なくとも無理矢理外されたり、誰かに奪われたりすることはねーだろう」
「ありがとうございます……!」
「ん。 じゃあな」
わざわざこの為だけに走ってやってきた先生は、それがまるで幻だったのかと思うくらいにアッサリと背を向け、振り返りもしない。
ひらひらと手は振ったけれど、それもすぐしなくなった。
私も馬車に向き直った──が、その直後。
「「「「ゾーイ!!」」」」
名を呼ばれ再び振り向くと、皆が学舎の窓から手を振っていた。
気持ちを察してくれてかここまでは来ないけれど、代わりに花火が上がり、色とりどりの花が舞い、白い小鳥が一斉に飛び立つ。
全て魔法だ。
「──!」
私は感激し声を出すことができないまま、手を大きく振って、深く頭を下げた。
随分と待たせてしまった馭者に詫びて、馬車に乗り込む。
港までの軽装馬車からは、学園から離れてもまだ魔法が見えていた。
「途中で学園を去る人は沢山いますが、こんな派手な見送りは初めてです。 お嬢さんは、とても好かれていたんですね」
「ふ、いやだわ……そんなふうに言われると泣いてしまいます。 我慢してるのに」
「はは、失礼。 でも泣き顔も素敵ですよ」
「まあ、お上手ね」
調子のいい馭者と軽口を交わしてから再び空を見上げ、胸のペンダントを握り締める。
魔法はもう殆ど消えており、作られた白い鳥だけが僅かに残るだけ。
それも雲に紛れ、ゆっくりと消えていく。
(大丈夫)
きっとこれからも胸を張って生きていける。
魔法は使えなくても、あの日々はなくならない。培った知識も。
帰国するや否や、案の定私は嫁がせられた。
周囲の評判を気にしてか、それとも私が妊娠などしていないかを確かめる為か、一応取られた婚約期間は1ヶ月程だった。
「初めまして、ゾーイ嬢」
どんな好色爺に嫁ぐことになるのだろうか、と思っていた私が目を疑う程、お相手は見目麗しく、歳もまだ若い好青年。
予想通りなのは、貴族ではないことぐらい。
流行を上手く採り入れたスーツ姿は、いかにも鋭敏な青年実業家らしい出で立ちだった。
物腰も柔らかくスマート。
「絵姿では見ていたが、やはり君はスラリとしていてとても美しい。 私は幸運な男だ……ゾーイと呼んでも?」
「……勿論です」
一方の私の見目は、女性として優れているとは言い難い。
スラリとしていると言えば聞こえはいいが、長身で肉付きは薄く、凹凸に欠ける。
アッシュグレーの髪は真っ直ぐでコシやボリュームはなく、華やかさとは無縁だ。
つり目がちな瞳の色も同様に、鈍い空色。
とても容貌から選んだとは思えず、褒め言葉は社交辞令として受け取った。
いかにも女性にモテそうな彼が、私を選んだ理由は不明で、違う不安が去来する。
貴族との繋がりが欲しくて……だとしても、容色が優れているだけでなく、お金があることも間違いないのだ。低位貴族子女であれば、引く手数多だろう。
(なにが目的かしら)
どのみち拒否権などないけれど、目的がわからないのは気持ちが悪かった。
父の結んだ縁。良さそうな方だとしても、期待などしてはいけない。
しかし警戒に反し、僅かな婚約期間中彼は頻繁に私を家から連れ出してくれた。
ずっと優しく紳士的で、なにより学園や魔術の話に興味を抱いてくれている。
(もしかして、魔術関連の事業でも展開するつもりなのかしら……?)
確かにそれならば、役に立てる気がする。
ペンダントを握るのは最早癖になっており、儚い初恋と割り切っていた筈のロイへの想いは深まる一方だった。きっと、彼を忘れることなど無理だろう。
それでも人生は続いていくし、想いは蓋をし閉じ込めることができる。
それに、あの輝かしい日々で私が得たのは、ロイへの恋心だけではない。
むしろロイ本人から受けったものや、互いに育んだものの殆どはそんなことじゃなかったが、それらは私にとってなにより尊くて、大事なことだ。
(この方は、それで私を……?)
もしあの時の経験や知識を役立てることができるなら、どんなに幸せだろうか。
突如生まれた希望に、胸が震えていた。
だが、それは甘い考えだったと知る。
──結婚式は、とても豪華で。
「時間がなくてセミオーダーになってしまった」と残念そうに言われたが、用意されたウェディングドレス一式も見事なものだった。
なにより私自身が驚くくらい、それらは私に良く似合っており、参加する皆から口々に『美しい』と耳慣れない賛辞を賜った程。
誓いの口付けでは、涙が流れた。
不謹慎にも感動ではなく、ロイを思い出して。
神への夫婦の誓いの中、見えないペンダントを握りながら、私はこの想いを『コレのように決して表には出さない』と誓っていた。
しかし──挙式後。
夫となったばかりの男は、パーティーの為に邸宅へと移動する馬車の中で本性を見せた。
「とても綺麗だよ、ゾーイ」
「旦……──ッ!?」
ウエディングドレス姿の抱き締めるような仕草から一転。私は馬車のシートにうつ伏せで倒れるように、後ろ手に拘束されていた。
「なっなにを……やめてください……!」
「言っただろう? 君は美しいと……特に真っ直ぐな長い手足と、無駄な肉のない白い背中が堪らない。 だが、こうするともっと……!」
「……うぁっ!?」
ギラついた瞳で私を睥睨していた男は、タキシードのトラウザーズからベルトを抜くと、鞭のように私の背中に思い切り叩きつけたのだ。
「やっ……止めて! どうか、どうかお止め下さい……だん、旦那様ッ……!」
「ああ、いいねゾーイ。 君はやはり最高だよ……!」
何度も、何度も。
その表情は、愉悦に塗れていた。
「は、はは……っ!」
暫く加虐が止まったかと思うと、なにかに気付いたように男は笑った。
「ああ、なんて素晴らしいんだ! やはり魔術師となれるだけの女を選んだかいがあった!」
「……!」
(そんな理由で……!)
ブレスレットがないと、魔力に乏しい凡庸な人間では魔法や魔術を使用はできない。
だが修練を重ねると体内に魔力の循環が成されるようになり、自然治癒力は大幅に向上する。
どこから聞いたのか、それが私を選び高値で買った真の理由だったようだ。
「……はあ、初夜が待ち遠しいな」
一旦は満足したらしい男の悍ましい台詞と、背中の痛みに身体が震える。
「君の白く滑らかな肌が他の男の目に付かないよう、パーティーでは髪は下ろした方がいい。 メイドに言っておこう」
男は二度目の口付けを愛しげに落とし、傍らに置いてあったベールを優しく私に被せた。
背中まで隠れる程の、長いベールを。
馬車の中に残された私は、泣き崩れた。
痛くて、怖くて、惨めで。
そして腹立たしく、悔しかった。
魔術師になる為に学んだ、努力を。
皆との、ロイとの日々を。
蹂躙された気分だった。
(なんて馬鹿なの……!)
弟の代わりに戦場に行かすのに留学を許し、卒業間近でそれを台無しにし、金で売り払うように結婚させた──そんな父の組んだ縁だと、わかっていたのに。
少し優しくされたら、信じてしまった。
神になど誓う価値もない男を。
こんなにも容易く。
『ゾーイ君、君はこの発言と君自身の価値をもっと重く受け止めていいぞ』
『学園の損失だ』
『勿体ないよ』
(いいえ皆、私はとんだ愚か者だわ)
巻き戻るように近い順から過ぎる、優しい言葉に泣きながら自嘲を漏らす。
『君が本当に辛くて、もうどうにもならないと思った時、どうかこれを飲んで欲しい』
(ロイ……)
手の中には無意識のうちに握り締めている、ペンダントとなった魔法薬の小瓶。
(貴方が好きだった。 今も、ずっと)
最早隠す必要などない。
一生隠すつもりでいた心の中の彼への想いとともに、私はその蓋を開け放つと、中の液体を一気に飲み干した──
「……様。 お客様」
意識を失っていた私は、誰かに肩を揺すられて目を覚まし、飛び起きた。
「申し訳ありません、驚かせてしまったようですね。 ですが魘されてましたので」
「──……あ、え……?」
潮の香りと、船特有の揺れ。
女性乗務員のカチッとした制服。
夢現で頭は混乱していたが、身体は彼女の言うことを認識し、理解していた。
(ああ、そうだったわ)
「……助かりました。 少し悪い夢を見ていたみたい」
「お役に立てたならなによりですわ。 ご気分は如何でしょう、なにかお持ちしましょうか?」
「いえ、お気遣いありがとうございます」
「当船も、もう目的地クナに着きますし、そろそろ下船のご用意をなさった方がよろしいかと。 留学証明書をすぐ取り出せるように用意しておくと、手続きがスムーズですよ」
私は今、クナに向かう船に乗っている。
ペンダントとなった小瓶を握ろうとした私の胸に、もうそれはない。
あるのは鞄の中に、渡航の際に渡された、トラキレールからの留学生であることを示す身分証明書。
それに、ページの中央あたりをくり抜かれた小説、そこに入ったシルフィアからの手紙。
薬を飲んだ後意識を失った私は、留学の試験を終え、合否の通知を待つ頃に戻っていた。
それは今から数ヶ月前であり、薬を飲んだ時からはおよそ3年程前になる。
ロイがくれた魔法薬は過去に戻る薬だった──
(……のだと思うわ、多分)
それは魔法理論を勉強した私にも、にわかには信じがたい代物で。
逆に全く知識がない方がまだ、自分の状況からすんなりと受け入れられたかもしれない。
実際、あの薬のことを考えると、今でもこれが現実かどうか不安になってしまう。
先程のように、時折薬を飲む直前の出来事を悪夢に見て、起き抜けに混乱してしまったりするけれど……そのお陰で起こったことが全て事実なのだ、と感じられてもいた。
おそらくアレは彼の祖国である『薬の国』の王家に伝わる秘薬だとか、秘宝による精製だとか、そういった類のものだろう。
理解の範疇を超えていることや、彼が曖昧にしか私に伝えなかったことを思うと、そう考えるのが妥当だと思う。
(会いたい、早く)
過去に戻って、私の周囲の人の言動が変わったというのは今のところなく、私の行動で多少は違くなるけれど、大体は前回と同じ。
前回の記憶のありそうな人はいない。
──ロイはどうなのだろう。
私の想像では、多分……
入国手続きを終えた私は、前回と同じように荷物を持って港町を彷徨く。
そこで働く人々の活気ある風景を眩しく新鮮に眺めながら、これからの希望に胸を膨らませつつも、身の置き場のないような不安に包まれていた前回とは少し違い、祈るような気持ちで。
もうすぐ出会える筈だから。
「あのっ」
その声に振り向いた私は、一体どんな表情をしていたのだろうか。
「『君も留学で?』」
「──」
立っていたのはロイで、彼は前回と同じ台詞を言う。
(ああ、やっぱり……!)
私は駆け寄りたい衝動を抑え、溢れ出しそうな涙を堪えるのに精一杯で。
なんて返したのかハッキリ覚えているのに、言葉が出てこない。
前回の私は、突然の声掛けに警戒していた。
でも目の前の彼の……長身の私を見下ろす程背の高い男性の、その体躯に似合わないなんとも心細そうな、不安そうな表情に警戒を解いたのだ。
『ええ……少し入学には早いけれど。 貴方も?』
「えっ……ええ……! あな、あなたも」
言葉を紡ごうとするも、涙が溢れてしまい、もうどうにもならない。
変えずに返そうと思っていた台詞を、嗚咽と共に一部だけ漏らす私を隠すように、ロイの大きな上着が全身を包んだ。
「……ゾーイ」
「ふぅ、ううっロイッ、ロイ……!!」
教えていない筈の私の名を呼ぶロイの表情は、彼の胸と被せられた上着で見えない。
だがその声は安堵の溜息のようで、私の身体にそっと回された腕からは震えが伝わってきた。
やっぱりそうだ。
きっとロイは、コレが二度目じゃない。
聞きたいことは沢山ある。
伝えたいことも、いっぱい。
一番に伝えたいのは──
私は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、無理矢理笑顔を作る。
「ロイ……私、私ね──」
「ゾーイ……!」
ここが街中だというのも忘れ、抱き合い口付けを交わした私達に、街の人達からの拍手と喝采、そして冷やかしの声。
まだ余韻のように涙を流したまま、ロイと笑い合う。
この先どうなるのか。
未来は確定していないけれど、私はシルフィアの手紙を思い出していた。
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追伸:くり抜いてしまったけれど、この小説はハッピーエンドよ。
貴女の物語もきっとそうなるわ。
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