2.
「いきなり呼び立ててすまんな、シスター。ドルフ・ディ・アルヴェリアだ」
「レ………。シ、シアと申します、辺境伯閣下」
反射的にカーテシーをしかけ、もう自分は貴族ではないのだと思い出す。
孤児院時代の名を名乗り、平民ふうに深くおじぎをすれば、耳に快い低音の声が降ってきた。
「ああ、堅苦しい挨拶はいい。かけて」
勧められるままソファに座り、執務机を背に立つ男を見上げる。
(……でっか)
この世界の男性は総じて高身長が多いが、この人はさらに身体の厚みがすごかった。
シャツの布越しにもはっきりわかる、がっしりした肩に厚い胸。上膊部の太さなど、私の腿くらいあるのではなかろうか。
日に焼けたアッシュブロンドは額から無造作に後ろに流し、うなじのところで束ねている。いかつい顔の中から、金色の睫毛に囲まれた紺青の瞳が私をじっと見つめていた。
「来てもらったのは他でもない。シスター、俺の下で働かないか?」
「……は?」
一瞬何を言われたのかわからず、私は目を瞬いた。
「あの、私は修道院送りになった身ですが」
この国で貴族の令嬢が「修道院送り」と言えば、それはほぼ「懲役」と同義である。
「ああ、院長から話は聞いている。というか、実をいえば、君をここに推挙したのはあの方なのだ」
「はあ」
数日前に会ったばかりの修道院長の、やけに迫力のある美貌と品のいい毒舌を思い出す。
――あなた、聖女を騙った罪で追放されたのですって? ほほほ。可哀想に、まんまと足許を掬われたようね――
「院長の話では、君は貴族学院を首席で卒業したそうだな。おまけに医学の分野では、在学中に画期的な医療器具を発明したのだとか」
注射器のことだ。発明というか、正しくは転生チートだが。
「他にも、国中に支部を置く医療騎士団の結成を議会に提案したり、災害が起きた時、より多くの負傷者を救うための手順を論文に書いて発表したりと、その功績には目覚ましいものがある」
もちろん、どれも前世の知識の受け売りだ。
良かれと思ってしたことだが、そのせいで一時は聖女だ何だともてはやされ、挙句に王太子との婚約話まで持ち上がってしまった。
「おおかた、それで高位貴族の誰かの妬みを買って飛ばされた。違うか?」
「……お、おっしゃるとおりです……」
私はがくりと肩を落とし、ここに来るまでの経緯を思い出した。
※※※
私には前世の記憶があった。いわゆる転生者というやつだ。
日本で生きていたころの職業は診療放射線技師。毎日のようにCTやMRI、マンモグラフィなどを撮っていた。
そのせいか、転生後の私には、人の身体の悪い部分が白っぽく光って視えるという特技があった。そのスキルと前世の知識を使い、生まれ育った孤児院で医療ボランティアのような真似をしていたら、ある日、噂を聞きつけたその土地の領主がやってきた。
「こ、この子はもしや聖女じゃないか!?」
その領主、フィンドリー男爵に引き取られ、名もレティシアと改めて、王都の貴族学院に入学したのは、私が15になった時。
勘のいい子なら、その時点で異世界あるあるに気がついたかもしれない。
すなわち、ここは何かのゲームか小説の世界で、自分はもしやヒロインでは? と。
だが、前世の私は乙女ゲームにも小説にも興味がなく、遊んだり読んだりした経験は限りなくゼロに近かった。
後で聞いた話によれば、このゲームのヒロインは、学院の中でも飛び抜けて優秀な男子生徒――具体的にはこの国の王太子、宰相の息子、騎士団長の次男、若き筆頭魔術師――のいずれか、あるいは全員と恋仲になり、卒業と同時に魔王を倒す旅に出る、というのがゲーム前半のあらすじらしい。
それを教えてくれたのは、私と同じ前世持ちの少女だった。
「ねえ、あなた。もしかして転生者じゃなくて?」
入学式の日、いきなりそう話しかけてきたのは、シャルマ・ディ・エルサルト公爵令嬢。本人いわく、このゲームでヒロインをいじめ抜き、断罪される予定の悪役令嬢だそうだ。
「あなたが誰を選んでも、私は追放されるか処刑される運命なの。でも私はあなたをいじめないし、誰を選んでも応援する。だからお願い。断罪エンドを回避するのを手伝って!」
こうして、私は入学早々悪役令嬢と友達になり、彼女が言うところの「フラグ」をびしばし折っていったのだが――……。
「ねえレティ。それで、あなたの本命は誰なの?」
シャルマにそう訊かれたのは、私達が揃って二年に進級した日のことだった。
彼女によれば、今年は「個別ルート」に入るイベントが目白押しで、そのイベントで相手の好感度を上げることで、「本命」すなわちゲーム後半で一緒に魔王を倒しに行く勇者が確定するそうだ。
「本命って言われても……」
私は困って口ごもった。
前世の記憶は20代後半で途切れている。詳しいことは憶えていないが、おそらくその頃私は死んだのだろう。
転生して17年が経った今、見た目はともかく私の中身はすでに40過ぎのおばちゃんだ。
欧米風の顔立ちをしたこの世界の男子たちが、いくら大人びて見えるとはいえ、中身は所詮ティーンエイジャー。悪いが到底、恋愛対象としては見られなかった。
「うーん……。まあ、あえて言うなら……」
「うんうん! あえて言うなら?」
「ゴス先生かな、薬学の」
勢い込んで乗り出したシャルマは、それを聞くなり「はああああ?」と叫んでのけぞった。
「60過ぎのおじいちゃんじゃない! 攻略対象でも何でもないし!」
「そうだけど、他の子たちは何ていうか……気疲れするのよ、話してて」
王太子も宰相の息子も、攻略対象はみな優秀だ。授業内容について話したり、一緒に勉強したりする分には何の問題もない。
けれど一歩学院の外に出れば、そこは厳然とした身分社会だった。
生まれた時から公爵令嬢として育てられたシャルマはともかく、二年前まで平民の、しかも孤児として生きてきた私と、高位貴族の令息達とでは、考え方にも価値観にも違いがあり過ぎた。
「だったら……。ねえ、もしよ? もし私が聖女になりたいって言ったらどう思う?」
思いつめたような眼差しで、シャルマが私をのぞきこんだ。
〈聖女〉とは、ゲーム後半――具体的には三年生に上がるころ、ヒロインに与えられる称号だ。
聖女に選ばれた恋人は勇者となり、二人は貴族学院を卒業後、魔王討伐の旅に出る。
「私にはレティみたいな医療の知識はないけど、治癒魔法なら使えるわ。攻撃魔法も得意だし……」
そう、この世界には魔法があった。魔法は魔力がないと使えず、高度な魔法になればなるほど魔力をたくさん消費する。
たとえば飲み水を出したり、薪に火をつけたりといった生活魔法に必要な魔力を1とすると、治癒魔法に必要な魔力は一度に10くらい。攻撃魔法に至っては、最低でも100は消費する。
そして、攻撃魔法を打てるほどの高い魔力を持っているのは例外なく貴族、それも王家に連なるような高位貴族と決まっていた。
一方、貴族学院で毎年行われる魔力測定では、私の魔力は常に平均以下だった。
公爵令嬢であるシャルマや他の攻略対象はもちろん、貴族の中では位の低い養父のフィンドリー男爵にさえ遠く及ばない。
「そうね。正直、聖女にはシャルマのほうが向いてると思う」
何しろ、シャルマの前世は自他共に認めるゲームオタクで、乙女ゲームと名のつくものなら、ほぼ全作品を制覇したという。
もちろん、この世界にそっくりなゲームもプレイ済みで、
「スチルは全部集めたし、どのキャラも、ノーマルエンドからトゥルーエンドまでしらみつぶしにプレイしたわ。もちろん隠しキャラだって!」
と胸を張る。
「でもいいの? 聖女になるってことは、魔王と戦うってことでしょう?」
もしここが本当にゲームと同じ世界なら、来年早々にも魔王が復活する。
けれどシャルマは「平気平気」とひらひら手を振ってみせた。
「魔王討伐って言ったって、所詮は乙女ゲームのイベントだもの。勇者と聖女が揃っていれば、勝ちは最初から決まったようなものよ」
「…………」
はたして、本当にそうだろうか。
乙女ゲームの世界とはいえ、今の私達にとって、ここはまぎれもなく現実だ。攻略対象の子達はもちろん、シャルマが「モブ」と呼ぶクラスメイトや街の人達だって、本物の人生を生きているのに――……。
とはいえ、ならば私が聖女になって魔王を倒せるかといわれれば、それはどう考えても無理だった。
平均以下の魔力しかない私は、生活魔法を使うので精一杯。これまでやってきた治療だって、そのほとんどが前世の知識と、薬草を煎じて作るポーション頼みだったのだ。
スキルのおかげで患部がどこかわかるから、人より早く効果的な治療法や使うべきポーションがわかるだけ。だから、
「ねえ。それで、どう思う? 私が聖女になってもいい?」
たたみかけるように訊いてくるシャルマに、私は「そうね」と頷いた。
「シャルマが本当にそれでいいのなら」と。
――それが、バッドエンドまっしぐらの選択肢だなんて夢にも思わずに。




