嫌がらせにも程がある
「よっ」
何にが『よっ』なのよ。
背中に永山の視線を感じながら、一歩踏み出した足。
何でアンタがここにいる。
いつなんどき誰が出てくるかも分からない会社の前。
ちらりまだ煌々と明かさを放つビルを見上げると、行く先も考えずコイツの腕を引っ張って駅と反対方向へ歩き出す。
「そんなに誰にも見られたくない? もしかして、さっきの奴が例の上司だったりするのか?」
私の電話を無視していながら、平然と質問を繰り出すコイツの頭の中がどうなっているのか不思議でならない。
ただ無言で歩き、あたりを見渡す。
「なぁ、何処に行くのか解らないけど、俺の車あっちなんだけど」
「早く言いなさいよ」
進行方向と逆にあるらしいコイツの車。
パンプスを鳴らすようにキュッと足を止め、何でかな苛立つ私。
そうじゃない、そうしてないと自分が自分でいられないようで怖かったんだ。
きっと今コイツの顔を見上げたら、苦笑しているに違いない。
余裕のない私に比べて、余裕な感じが悔しいったらない。
本当だったら、私の方が質問攻めにしたい気分だっていうの。
さて、どうしたものか。
反対と言われても……このまま会社の前を通り過ぎるのはリスクが大きすぎやしないだろうか。
永山も普段の永山なら余計な事は言わないはず。
浮かれている現在は不安もあるけれど、きっと大丈夫だと思いこむ事にした。
「ここで待ってるから取ってきて」
腕を組んですごんでみせた。
虚勢を張って。
こんな子どもじみた手だけどこうでもしなくちゃ乗り切れない。
「随分とまあ威勢がいいな」
仰せの通り、と馬鹿にしたような言葉を添えて背中を向けたアイツ。
だからそうでもしなくちゃならないんだって。
ほんとむかつく男だ。
会社から50メートルしか離れていないこの歩道で、ガードレールに凭れ待つなんてなんて無謀なのだろう。
駅とは反対方向とはいえ、誰かがこないとも限らないから。
つま先を見つめ、じっとしていると段々落ち着かなくなってきた。
急な展開にやっと頭が追いついてきたからなのかもしれない。
少しだけ逃げたくなったり。
確か――朝のテレビで双子座マークがしょんぼりしてたような。
占いなんてと思いいつつ、つい目をやってしまうは結局好きなのよね。
ラッキーアイテムは常にチェックしてたり。
今日は卵焼きだったような……
食べてないし。
せめて、携帯とか身の回りのものだったら良かったのに。
本当は頭の中爆発寸前だった。
あまりに突飛過ぎる登場に正直、面食らってる。
心の準備ってものは、電話を掛けた数日のうちに何処かに置いてきてしまったのだから。
もう怖すぎる。
明日の朝は無事に迎えられるのだろうか。
振られる事を前提にしか考える事が出来なくて。
ふいに浮かんだ、片瀬の意地悪そうな顔。
現実になりそうだよ。
今日にくわえて明日もミスの連発なのだろうか。
「ほんと、むかつく」
勝手に口が開いていた。
でも愚痴らないと正気を保てないかも。
そんなに時間は経ってないと思う。
「夕飯まだだろ?」
車を横付けするかとばかり思っていたのに、何でか私の前に立つコイツ。
「車取り行ったんじゃなかったの?」
自分の声ながら嫌味な声。
「あのな、いくら俺が図々しくてもここに止めるのは迷惑すぎるだろ」
ほら行くぞ、なんて当たり前のように歩きだすのにも何だか悔しいと思ってしまう。
何でそんなに余裕なのよ、と。
「きっと家で用意してるから」
会話が飛んでいるのに言葉が足りないのは承知の上。
きっと、平然とご飯なんて食べられないと思う。
何処かで少し話せれば、それでいい。
だって、気まづくなりながらの食事は拷問だもの。
でも、呆れたように振り返り
「俺もう飯モードだから電話しろよ」
なんて俺様言葉。
仁王立ちでもしそうな勢いに少し圧倒されそう。
というかトキメキそうになる私にハッとした。
私ってマゾなのかも、そんな危ない考えが一瞬頭を過って身震いした。
そんな事はあるわけないと言い聞かせ、仕方ないかと
ポケットに入れた携帯に手を伸ばすけれど、このアンクレットの存在を思い出し全身が硬直した。
駄目ここで出せない。
「いいって、ご飯って気分じゃないから。何処か流すだけで……」
何でかな、さっきまでの強気な態度は何処へやらチグハグな私がいた。
「却下」
何処まで行っても俺様な態度にまでも少しときめいてしまいそうで苦しすぎる。
でも再び背を向けるのを見て携帯から手を離す事が出来てほっとしたり。
そんな背中を見ながら、この背中を見るのも今日が最後なのかなと考えてしまう。
告白するのは自分の思いを断ち切る為、前に進む為なんだと自分に言い聞かせるけれど。
上の空だった私に、恐ろしい言葉が降ってきた。
正確に言うと私への言葉ではなかったのだけど……
「お久し振りです。このような時間になって申し訳ないのですが、時間が空いたものでこれから梨乃さんと食事に行こうかという事になりまして。もう支度がお済みだと思いますが――」
私の足が止まったのは言うまでも無い。
おまけに口もあんぐりだ。
どうして、余計な事するのよ。
声に出したいけれど、あまりの事に声が出てこない。
母さんへのフェードアウトを狙っていた私にとって晴天の霹靂でしかない。
火に油を注いでどうするのよ。
そんな私に気がついて
「すげーマヌケ面」
と得意の鼻で笑うのもう勘弁してよ。
いやがらせにもほどがある。
何でこんな奴を好きなってしまったのか。
自分を呪いたくなってきたよ。




