第5話 抵抗か降伏か
兄の領地にたどり着いた私たちは、そのまま領庁となっているサン・バトル城に入った。
「奇跡の生還だ」
「まさか、カール様が……」
領地にいた兄の家臣は驚きの声を上げていた。ほとんどの王族が殺されたことを考えれば、グズ・カールと呼ばれていたダメ王子が無事に帰ってくるとは思っていなかったのだろう。すでに領庁には、教皇側から降伏勧告を受けているという。
執事長のピエールは言う。
「この降伏勧告を受諾すれば、カール殿下、マリア殿下、おふたかたの命の保証はないでしょう。私は、家臣として、そのような不忠を働くことはできません。徹底抗戦を主張します」
猟師たちの代表であるグレイも続けた。彼は私たちを守り切った功績で、弓兵隊長に任命された。
「俺たちも力を貸す。若たちは、ここで死んでいい器じゃない。そもそも、裏切って親殺しをした第三王子こそ糾弾されるべきだろう」
その主張に多くの家臣は賛同していく。しかし、行政官のハルクはひとり反対意見を述べた。
「しかし、このままでは、大軍側が領内に侵入し、領民たちが苦しい思いをすることになります」
現実主義ね。まさにそう。グレイさんが机をたたいて反論する。
「では、貴様は、主君に死ねというのか⁉」
ハルクは顔色を変えずに、主張を展開していく。
「そうはいっていません。おふたかには、どこかに潜伏していただいて、我々は降伏勧告を受諾するのです。そうすれば、領民も主君も守ることができる。誰か責任を取る必要がでるでしょうが、そうとなれば、皆さんを代表して、私が首を差し出しましょう。領地の代官である行政官の私が最も適任でしょう」
ハルクは命を懸けて、どちらも守る抜くつもりだ。その覚悟に会場は静まる。たしかに、ここで挙兵しても多勢に飲み込まれるだけ。運よく一度だけ勝てたとしても、続けて敵が投入されるだろう。いつかは崩壊する。勝算はかぎりなくゼロに近い。
誰かの決断が必要だった。そして、その決断をしなくてはいけないのは……
兄だった。
「たしかに、ハルクの言うことは正しい。このままでは、いつか数の暴力に負けて、我々は滅びる運命にあります。ただし、その場合でも、我が忠臣であるハルクを身代わりにするつもりはありません。私の首を差し出す覚悟です。私はついてきてくれる騎士たちとともに、ここではなく領地境界付近のクズール砦に籠ります。領都は、ハルクに任せる。もし、砦が陥落したら、全ての責任は私に寄与させて、領都は潔く降伏してください。もしもの時を考えて、マリアは領都に残しますので、最悪の場合は彼女を安全な場所に潜伏させて、王家の血筋を守ることとします」
兄は、すぐに決めていた。理路騒然とした回答。仮に、軍事衝突が起きても、領民の被害が少ない山奥にあるクズール砦で敵と戦い、私も守る。まるで、立派な国王のように兄は悠然と会議をまとめていた……
※
―グレイ視点―
この男は、やっぱり本物だ。カール王子と出会ってから4年。民衆にもダメ王子扱いされる彼は、よく貴族学校の授業を抜け出して、森に遊びに来ていた。彼は、散歩と称して、森を歩き回り時間を潰していた。
いつしか、俺の息子と仲良くなって、森の中にあった俺の家で休憩して雑談して、好きな授業が始まる直前に、学園に戻るような不良生徒だった。
ある日、息子が聞いたのだ。
「殿下は、いつも何をしているの?」
王子は、まるでおとぎ話をしているかのように楽しそうに答えていた。
「うん。もし、王宮に敵がやってくるなら、どういうルートでやってくるか調べていたんだよ。もし逃げるなら、この森が適任だと思ったんだ。舗装はされていないから、敵の大軍は動けないし。森に詳しくなっておけば、簡単に逃亡できるだろう?」
「え~、王子様なのに、どうしてそんなこというの?」
「この国は、少しずつ壊れているように思えるんだ。そういう時に大事な人を守れるようになりたいから、今頑張っているんだよ」
彼は、4年も前から王国の危機を把握していたんだ。
恐ろしいほどの大局観と先見性。だが、この男を絶対に守ろうと思ったのはそれだけじゃない。
息子のネロを命がけで助けてくれたのは、こいつなんだ。
あいつがふざけて、崖から転んでしまったことがあった。ギリギリ枝に引っかかっていた。でも、危険な場所で誰も助けることができなかった。親の俺ですら、なにもできなかった。
なのに、あいつは……
どこからかもってきたロープを大木と自分に括り付けて、あいつは笑顔で息子のもとにダイブした。そして、なんなくネロを助けてくれたんだ。周囲の人間は、肝を冷やしたはずだ。いくら、ダメ王子と言われていても、れっきとした王位継承権を持つ人間の1人なのに。
俺が唖然として「どうして」とつぶやくと、「ネロだって、僕の守りたい人のひとりだからね」と笑っていた。庶民と貴族の命は天秤にかけられないはず。そう言った時、カールは大笑いしてこう反論したんだ。
「子供が持っている無限の可能性を、僕は否定したくないんだよ」
こいつが行こうというなら、どこまでも一緒に行ってやる。
※
―ハルク視点―
会議が終わった後、私は殿下に直談判した。
本来、王族の決定に異議を唱えるなど、彼らの代わりに領主の役割を務める行政官の領分を超えることだ。処刑されても文句はいえない。
だが、止まるわけにはいかなかった。
「殿下、どうかお考え直しください。私はあなたに死んでほしくない。大恩あるあなたのためになら、命を投げ打つ覚悟はできています。どうか、お逃げください」
※
私は中央では改革派官僚として浮いていた。少しずつ王国の土台が崩れつつあったのをどうにかして、止めたかった。私は王族に面会する機会があれば、いつもこの質問をしていた。返答できたのは、ダメ王子とバカにされていた彼だけだった。
「あなた方の宮廷費で、どれだけの民衆が1年間食事できるか、よくお考え下さい」
「そうだね。だいたい、王族全体の宮廷費で1万人の民衆は困らないだろうね」
驚いた。そして、私は彼の同志になった。
彼はバカではない。むしろ、器が大きすぎて、正しくその容量を測ることができないだけだ。
3年前に改革派として主流派と対立し、地方に左遷されそうになった私を助けてくれたのも、殿下だ。
私のように田舎貴族出身で、後ろ盾もない自分に唯一手を差し伸べてくれたのは……
王族の代理執行者である行政官なんて、本来の立場であれば絶対にたどり着けない地位なのに、異例の抜擢だった。そして、彼は命じた。
「ハルクにしか頼めないんだ。王国にはもう少しで戦乱の渦がやってくるかもしれない。僕の大切な人を守るためにも、しっかりとした領地の管理が必要だ。やってくれるね」
この大きな恩を私はいまだに返せていない。
※
「だめだ」
殿下はすぐに否定する。
「どうしてですか⁉」
殿下はいつもの優しそうな笑顔でこういうのだった。
「何度も言っているだろう。ハルクにしか任せられないんだよ。僕の大事な領民と妹はね。もちろん、死ぬつもりはないよ。もしもの時の保険だ」
「教皇軍の大軍をどうやって……」
「僕を信じてくれ」
彼は、いつもと変わらない真摯な目をこちらに向ける。
「わかりました。ご武運を……」
私は恩人を止めることはできなかった。
※
―鎮守府将軍視点―
旧・玉座の間で、鎮守府官房長のオールドを待っていた。
「オールド、ここに」
こいつは、頭が切れる政治家だ。第三王子付きの執事であったが、彼の才能を活用するために、鎮守府の事務局の長である官房長に任命していた。
「アレフが叔父上を確保した。これで反乱は終わりだ。教皇猊下は、恩賞は思いのままと言っているがどう思う?」
官房長は抑揚のない言葉で的確に返してくる。
「ポーン王弟領の内、交通の要衝であるミネルバだけをいただきましょう」
「それだけか?」
やつはゆっくりうなずいた。
「ミネルバは、土地という面では小さいですが、実り多い土地。それに、騎士から不満が出れば、あなたはそれを利用できます。政敵のクワンタ大主教を排除するための将来への投資となりましょう」
冷酷な男は、私の弟まで使いつぶすかのように怜悧な笑みを浮かべた。




