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第28話 歴史書⑥

巻六「クスキ将軍の敗死」


7月、クスキ将軍、北朝政権のアーリー城への移動を主張するも、教皇側近は「教皇猊下が教都を離れることになれば、南朝に正当性を与えることにつながりかねない。せめて、一戦交わすべきだ」と反論し、クスキ将軍の提案は拒否された。


鎮守府将軍、新都に迫る。クスキ将軍、息子や部下と酒を飲み、今生の別れを告げて、出陣する。

将軍、非情な作戦を取るも、息子は「大恩ある教皇猊下に報いれることができるのであれば、死を恐れる必要がありましょうか。父上の名前に負けないよう理に立派に戦って見せます」と宣言し、青年の立派な覚悟に諸兵みな涙し、戦意を高ぶらせた。


クスキ将軍は「我々は、教皇猊下のために捨て石となろう。我らの敬愛する猊下のために、少しでも時間を稼ぐのだ」と宣言し玉砕の覚悟を固め。


クスキ将軍は、三つの川が入り組んだ場所に軍を展開し、鎮守府将軍を迎え撃つ。

クスキ将軍側はわずか、5000。

鎮守府将軍側は、5万を超える大軍だった。


逃げ場もない場所に軍を展開したクスキ将軍の作戦は、のちに不退転の覚悟を示す「背水の陣」として現在にも伝わっている。


クスキ将軍側の兵士は、よく戦い、死を覚悟した時、敵兵もろとも川に飛び込むことや自爆も辞さなかったため、鎮守府将軍側の兵に大きな損害が出た。


しかし、多勢に無勢。圧倒的な戦力差によって、クスキ軍は包囲されて、壊滅した。

クスキの息子は、陣を出て奮戦し、アレフ鎮守府副将軍に肉薄したが、ついに討ち取られてしまった。


だが、肝心のクスキ将軍の遺体は見つからなかった。なぜなら、クスキ将軍は、少数の兵力と森の中に隠れており、兵力が分散するのを待っていたからだ。


すべてが終わり敵が油断した後、クスキ将軍たちは鎮守府将軍の本陣に迫り、自爆した。

鎮守府将軍は、オールドの弟のリーブが身体を盾にしたことで、なんとか免れたものの、重傷を負う。


後の歴史家は語る。

クスキ将軍は、爆死し、鎮守府将軍をあと一歩のところまで追い込んだものの、ついに討ち取ることはできなかった。しかし、最大の目標である進軍速度の低下には成功し、教皇猊下の新都脱出および新都大主教の軍を立て直す時間を確保することができた。これがなければ鎮守府将軍による天下簒奪は、遂行されていただろう。少数の兵力で、大軍を翻弄することに長けていたクスキ将軍による乾坤一擲の大勝負は、戦術的には敗北したが、戦略的見地から言えば勝利を収めたと言える。


また、鎮守府将軍を守って死亡したオールドの弟リーブの死は、歴史的に見ても大きな意味があった。彼は、兄ほどの才覚はなかったものの、善良で誠実な男だった。鎮守府将軍からも副将軍からも弟の一人のようにかわいがられていた彼の死は、組織の潤滑油を失ったことを意味していた。鎮守府将軍の落ち込みも激しく、副将軍も重要な局面で「リーブが生きていれば」と何度も惜しんだという。

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[一言] クスキ将軍……( ˘ω˘ )
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