第22話 歴史書⑤
巻5「カール政権と教皇殿襲撃事件」
カールによるミズレーン要塞陥落の報を聞くと、鎮守府将軍は戦わずに兵を引く。
人々、鎮守府将軍の冷静な判断に驚くも称賛する。
7月、南朝のカール政権は、新しい政権の人事を発表する。
王国宰相兼財務尚書:ハルク・フォン・ローザンベルク
王国副宰相兼国務尚書:ピエール・フォン・グーテンベルク
軍務尚書:ミラー中将
3大尚書の人事は、異例のものとなった。宰相のハルク・フォン・ローザンベルクは、もともと地方貴族出身であり、本来、宰相になる資格はなかったが、国王がどうしてもと望んだことで、途絶えていた名家であるローザンベルクの爵位を継がせた。ミラーは、代々、教皇に使えていた軍人である。
王国史上、初めて実力主体で3大尚書が選ばれたということで、この人事は歴史的にも大きな意味を持っていた。
同月、北朝政権は、鎮守府将軍が要塞陥落の責任を取る形で、謹慎となり新都を離れることとなった。
将軍が新都を離れた夜に、新都に潜んでいた旧・王党派が放棄する。王党派、教皇殿を襲撃し、ミランダ大司教などを討ち取るが、新都大主教の活躍で全滅する。
この襲撃事件で新都の治安は大いに乱れた。
襲撃事件の報を聞いた鎮守府将軍は、謹慎中であったが、「教皇猊下や新都を守ることは、やはり自分にしかできない」と言い、自分の領地で兵を集めて、軍を反転する。治安維持を名目に、新都を軍事的に制圧しようとしていた。
この判断に、教皇側近の新都大主教や新都軍区のクスキ将軍、反発する。
「これでは、治安維持を名目とした実質上の占領ではないか。これは鎮守府将軍によるクーデターである」と新都大主教は宣言し、軍を向かわせた。
後世の歴史家は、語る。歴史的な大転換になったこの教皇殿襲撃事件は誰によって仕組まれたのかは、諸説ある。南朝の正式な歴史書である『神聖イスパール王国史』では、この事件の黒幕は、北朝の鎮守府将軍に仕えていたオールドだと論じている。彼は、元々、王都の司祭であったが、野心のためにシン将軍に仕えて、重臣となっていた。
王国崩壊の際に、将軍と教皇の会見を成功させたのは、オールドの人脈を生かした功績だと言われており、彼は歴史の裏舞台で暗躍し、大きな役割を果たしていた。
この説は最も有力だとされているが、逆に北朝寄りの歴史書では、この事件の黒幕は、南朝のカールとオットーだったとされている。しかし、この事件を契機に、教皇親政は揺さぶられていく。




