宮部みゆきと村上春樹
私の高校時代、同級生のあいだで人気のある小説家といえば、宮部みゆきと村上春樹が双璧であった。一九九〇年代後半のことである。そしてこの二人、私は苦手である。
同級生たちに影響されて宮部みゆきの作品を何か読んでみようと思っていたとき、「理由」の新聞連載が始まったので、ちょうどいいと思ってこれを読むことにした。が、どこがおもしろいのか、ついにわからなかった。今となっては内容もまったくおぼえていない。
その後、二十代の後半ごろに「ドリームバスター」の一巻を読んで、そう悪くないと思ったものの、宮部みゆきとは結局それっきりである。
村上春樹はもっと惨澹たるものであった。やはり高校時代に、同級生たちの影響で「ノルウェイの森」上下二巻を読みはじめ、上巻の半分もいかないうちにギブアップした。いま思い出してみると、そんなに悪い出来ではなかったと思うが、どことなく肌に合わないというか、感覚的に受け付けなかったのである。
これにこりずに二十ぐらいのとき、学校の先輩に勧められて「風の歌を聴け」に手を出した。だがこれも半分行かないうちに投げてしまった。以後、村上春樹の作品を手に取ったことはない。
私は、何かの作品が世間でいくら人気があっても、自分にとっておもしろいとはかぎらない、と思っている。この考えはほとんど信念のようになっているが、まちがいなく上で述べたような経験によって養われたものであろう。
ちなみに私が高校生のころに最も愛読していたのは、新井素子の作品であった。「ネプチューン」「グリーン・レクイエム」「……絶句」「大きな壁の中と外」などである。思えば、宮部みゆきや村上春樹をおもしろく読めなかったのもあたりまえであった。方向性があまりに違いすぎる。




