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飄然草  作者: 千賀藤兵衛
第九部 さらば単純作業
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母、なにやら煮込む

 私が子供のころ、ときどき母が台所で変なにおいのするものを煮ていることがあった。母はそれをジツボウサンと呼んでいた。食べものでも飲みものでもないようで、食卓に上がったことは一度もない、謎の煮物であった。

 こういうのは「煮る」ではなく「煎じる」というのだと知ったのはいつごろだったろうか。そう、ジツボウサンはどうやら薬であるらしかった。服用するのは母だけのようである。少なくとも私は飲んだおぼえがない。

 以上が小学校入学以前から中学校時代ぐらいまでに私が見たものである。その後も母はジツボウサンを煎じていたのか、私はよくおぼえていない。私が高校のころ母は病気になり、数年の闘病のすえに私が大学生のころにこの世を去った。そして私はジツボウサンのことを思い出すこともなく十何年かを過ごした。

 三十代も半ばを過ぎたある日、まったく何の脈絡もなく突然に、あのジツボウサンというのは婦人薬というやつだったのではないかと私は思い当たった。つまりは血の道の薬である。月経の際の不調を緩和するための薬である。調べてみたらまさにそのとおりだった。正確には「(じつ)()(さん)」というらしい。

 婦人薬というものの存在をどこで知ったかはよくわからない。私は男なので、まったくお世話になったことがない。新聞の広告か何かで見たのか、それとも薬屋にそのたぐいの薬のコーナーがあるのを見かけたのか。いずれにせよ特に意識することはなく、効能が何なのかも知らずに、婦人薬という言葉だけを頭のすみに刻んでいたもののようである。そしてそれが何かのはずみにジツボウサンという謎の薬の思い出とつながったのだ。

 人間の頭脳というものは不思議な働きをするものだと思ったことであった。


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