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飄然草  作者: 千賀藤兵衛
第八部 そこに音楽があるから
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笑いの謎

 二十代から三十代にかけての一時期、私はよくラジオで演芸を聞いていた。落語、漫才、浪曲、講談などといったものである。特にお気に入りだったのが柳家紫文という芸人。火付盗賊改方長谷川平蔵、世間でいう鬼平であるが、それを主人公とした小咄を続けざまにいくつも披露するという芸であった。その小咄がまた、ごく程度の低いダジャレでオチる、たいへんくだらないしろもの。

 この人の芸の肝は、そのくだらない小咄を三味線をひきながら語るところであった。「火付盗賊改方長谷川平蔵が、いつものように両国橋のたもとを歩いておりますと……」と語りはじめながら三味線を掻き鳴らす。この人の話を聞き慣れた人間には、これだけでもう面白くてたまらない。話が進んで、さきに述べたごとくくだらない地口でオチると、それまでテケテケ鳴っていた三味線の音がぷつりと途切れる。つかのまの沈黙。ホールにいる観客もラジオの前の私も笑い出す。それのどこがそんなに面白いのかまったくもってわからない。わかるのは、このくだらない小咄は三味線抜きでは本当にくだらなくてちっとも面白くないだろうということだけである。


 笑いの理由を解き明かすのはとても難しい。

 マルク・アンドレ・アムランという人の作った「サーカス・ギャロップ」というピアノ曲がある。ピアノ曲といっても自動演奏専用の曲であり、人間がひくようにはできていない。かりに人間がひくとしたら腕が十本ぐらい必要ではないかと思われる、常軌を逸した数の音符がぎっしりと詰まった譜面である。

 私はこれを初めて聴いたとき息が止まるほど笑い転げ、そのあとも思い出すたびに笑えるのだが、その理由はまるでわからない。べつに十本腕の人間が腕を振り乱してピアノに挑みかかっているところを想像して面白がっているわけではない。ただひたすら曲が面白いのだ。だがいざそれを言葉にして説明しようとするとどうにも埒があかない。


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