花のにおい
春の夜のやみはあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やはかくるゝ
「古今和歌集」巻第一に収められた凡河内躬恒の一首。夜が暗いために目には見えないが、香りが漂ってくるので梅が咲いていると知れる、といった内容である。
梅の花は古来香りが強いものとされ、多くの和歌にそのことが詠まれている。ながらく私はこれを文学的虚構だと思っていた。文芸においてはしばしば、現実には起こりえないことを本当のことのように語るものである。たとえば血の涙を流すとか、一夜にして髪が真っ白になるとか。梅の花のにおいもそれと同じたぐいのものだろうと私は思ったのだ。なぜなら、梅の花にはにおいなどないからである。私は何度か梅の花に鼻がくっつくぐらいまで近づいてたしかめたが、まったくの無臭であった。
ところが、梅の花にはちゃんとにおいがあるという人も多い。不思議なことだ。おそらく、そういう人は文学的虚構を真に受けて、ありもしない梅の花のにおいをあると思い込んでいるのだろう。あわれむべき蒙昧なやからである。
……と決めつけるわけにはいかない。私の鼻がおかしいという可能性もある。むしろその可能性のほうが高そうだ。
ひとくちににおいと言ってもいろいろある。私は食べ物のにおいにはすこぶる敏感だし、悪臭も人並みにわかる。ただ、梅にかぎらず花のにおいはあまり感じないようだ。バラの花も香りが高いといわれているが、私はほとんどにおいを感じない。金木犀のにおいはわかるが、世間で言われるような良い香りではなく、悪臭と感じる。
おそらく、花のにおいには良いにおいの成分と悪いにおいの成分があって、そのうち良いにおいの成分を感じる機能が私には欠けているのではないかと推測している。梅やバラのにおいは良いにおいの成分だけでできているので、私は何も感じない。金木犀のにおいは良いにおいの成分と悪いにおいの成分が混ざっていて、私は悪いにおいだけを感じる。そんなところではなかろうか。
世の中にはもしかしたらカレーのにおいを感じない人とか、鰹節のにおいを感じない人などもいるかもしれない。それに比べれば梅の花のにおいを感じないなどというのはまったく問題にもなるまい、と私はいたって鷹揚に構えている。
冒頭の凡河内躬恒の一首は、『古今和歌集』(佐伯梅友校注、岩波文庫)から引用した。




