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飄然草  作者: 千賀藤兵衛
第六部 わたしのきらいなもの
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儀式

 小学校六年生のとき、卒業式というすてきな行事があった。春先のよく冷えた体育館に何時間も拘束されて、入場、卒業証書の受け取り、送辞と答辞といったとてもおもしろい出しものを台本に沿って披露するのである。この行事のためには事前にけっこうな時間を費して練習をさせられた。教師にとっては受け持ちの動物に仕込んだ芸を大勢の人に見てもらえる、いわば晴れ舞台だったのだろう。

 もちろん芸を仕込まれるほうはうれしくもなんともない。卒業証書の受け取りの一連の動きなど、今でも思い出すとあまりの下らなさに笑えてくる。ひとりひとり順番に演壇に上がって校長から証書を受け取るのだが、自分の番まであと何人のときに席を立ち、あと何人のときに演壇の下に行き、あと何人のときに演壇の横の階段の何段めまで進むというふうに、何から何まで決められているのである。演壇に上がったらこれこれのタイミングでこのようにおじぎをするとか、差し出された卒業証書は右手、左手の順で手を出して受け取るとか、そんなことまで決まっているのだから恐れ入る。事前に行われる練習のときには、こうしたもろもろの動作をちょっとでもまちがえると教師から叱られ、まちがいなくできるまでやりなおし。

 こんな行事であるから、子供心に大いに反発をおぼえたのも当然である。おそらく私に儀式ぎらいの気持ちを植えつけたのはこの一件であったろう。


 私がきらいなのはもちろん卒業式だけではない。結婚式や葬式も好きではない。必要があれば出席はするし、新郎新婦や遺族の手前、儀式ぎらいを顔に出さないようにはするが、心の中ではこんな儀式はバカらしいと思っている。もちろん私だって知人が結婚すればうれしいし、死ねば悲しい。新郎新婦を祝福したり故人を悼んだりするのにやぶさかではない。ただ、そうした率直な気持ちと硬直した儀式とはまったくつながらないと思う。


 ところがあるときインターネットを見ていたら、印パ国境における両軍の挑発合戦の映像が流れてきた。これがすこぶる面白い見ものであった。国境をはさんで双方がわざとらしく行進したり威嚇するようなしぐさをしたりするのだが、ひとつひとつの動きが過度に様式化されているうえ、双方の息がぴったり合っていてまるで踊りのようである。たいへん見ごたえのある内容だった。

 これはおそらく、なまの対立感情にまかせた本気の挑発をしたのでは本当に戦争になってしまうおそれがあるので、挑発を儀式という冷え切った形に落とし込んでいるのだろう。儀式というものに実用的な意味があるということを私は初めて知り、少し儀式を見なおしたのであった。

 もっとも、この挑発合戦も完全に局外の第三者だから面白いと言って見ていられるが、実際にそれをやらされる兵隊の立場になったらやっぱりバカバカしくてやってられんと思うだろう。


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