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飄然草  作者: 千賀藤兵衛
第六部 わたしのきらいなもの
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洗濯

 家事に熱心なほうではないが、なかでも洗濯がきらいである。そこそこ手間ひまがかかるくせにけっこう頻繁にやる必要があるというのが、まず億劫である。しかしそれよりも何よりも、そもそも服をぬらすということが気にいらない。この服は本当に乾くのだろうか、もしかしたらもう乾かず二度と着られないのではないか、などという根拠のない不安が頭のすみをかすめる。

 思えば水がかかわることとはあまり相性がよくない。小学校高学年の頃にプール授業というものがあった。私は水に入るのがこわくて、プールサイドでふるえたまま授業時間をすごした。教師から親にその一件が伝わって、親は私を近所の水泳教室に叩き込んだ。そして私は二年ぐらいのあいだ毎週一回だったか二回だったか泳ぎの練習をさせられるはめになった。さいわいなことにどうにかクロールと背泳ぎで二十五メートル泳げるぐらいになってプール通いから解放されたが、それ以降は三十年以上も プールにも海水浴場にも行ったことがない。泳げるようになったからといって泳ぐのが好きになったわけではないのである。

 入浴もきらいである。いまの日本では毎日入浴するのが当然という考えが幅をきかせているが、これは昔からあった考えではない。ほんの何十年か前には、しずちゃんが毎日入浴するのが一種の奇行として描かれていたぐらいである。私の以前勤めていた会社では、身だしなみという名目のもと、従業員に対して毎日入浴することを求めていた。私はいやいや従ってはいたが、会社命令で入浴させるならそのぶんの時給と水道代とガス代をよこせといつも心の中で思っていた。時給も水道代もガス代も支給されないので私は可能なかぎり短時間で入浴を終わらせることに精魂をかたむけ、服を脱ぐところから体と頭を洗って拭いて再び服を着て髪を乾かすところまで十五分でやっつけることができるようになった。世の中には入浴でリラックスするとかいう人もいるが、私は水に入ることがなぜリラックスになるのか全然わからない。

 ところが不思議なことに、皿洗いは特にきらいではない。漫画などで台所の流しに汚れた皿が山積みになっている様子がえがかれることがあるが、あのような光景とは私は無縁である。食事がすむとすみやかに食器を洗う。もちろん洗った食器が二度と使えなくなるのではないかなどという滑稽な不安をいだくこともない。

 なぜ皿洗いはよくて洗濯はだめなのか。あるとき気がついたのだが、要するに体がぬれるのがきらいなのかもしれない。だから泳ぎや入浴がきらいなのだし、服も広くとれば体の一部であって、脱いだとしてもその意識は変わらないのだろう。


「わたしのきらいなもの」は全五回掲載します。

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