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飄然草  作者: 千賀藤兵衛
第五部 私はピアノを飲む
35/77

児孫のために著作権を残す

 著作権の保護期間が作者の死後五十年から七十年に延ばされたのは、近年の痛恨事の一つであった。私は五十年でも長すぎると思うが、世の中には七十年でも短い、百年かもっと長い期間にすべきだと思っている人もいるようだ。どうも作者の死後に著作権が残るということについての考え方が根っこから違っているらしい。

 たとえばある芸術家が若死にして、幼い子供が残されたとする。その子供が大人になるまでのあいだ、親の作品のおかげでいくらかの金が入って、生活や教育のための資金の足しになる、というふうに私は著作権というものを考えている。遺族年金みたいなものだ。この考え方だと、三十年でも十分すぎるほどである。

 著作権の保護期間を長くしようという人の考えは違う。おそらく、土地と同じような資産として著作権を考えているのではないか。その考え方に立てば当然、著作権が五十年や七十年といった期間で消滅するなどもってのほかということになる。土地は半永久的に存在するのに、著作権はなくなってしまうのでは不公平だ。

 はたしてどちらの考え方がよいのか。

 私のもうひとつの考えは、著作権というのは一種の借り物だというものである。新たな作品は何もないところにいきなり現れるのではなく、すでに存在するあまたの作品という肥やしがあってこそ作り出すことができる。そして、その新たな作品もまた次に誰かが生み出す作品の肥やしとなるのが自然の定めである。だから、いくらかの期間は作品で金を儲けてよいとしても、その権利はいつか返さなくてはならない。返すとは、誰に返すのか? それは、人類の世界や歴史といったものに、である。

 返すものはなるべく早く返したほうがよいと思うのである。


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