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飄然草  作者: 千賀藤兵衛
第五部 私はピアノを飲む
31/77

神様はテレビの上に

 私の実家には神棚がなかったが、父方の祖父母の家や、母方の祖父母の家にはあった。どちらでも茶の間の隅に神棚が据え付けてあり、その下にテレビが置いてあった。

 このような配置になった理由は想像がつく。もしもテレビを神棚と反対の位置に置いたら、テレビを見るとき神様に背中を向けることになる。なにしろテレビというのは、茶の間において最も人々の注目を集める品である。みんな始終そちらを見てしまうし、そうすると部屋の反対側の神棚にはずっと背中を向けつづける始末となる。いかにもよろしくない。こうした事態を避けるために、テレビを神棚の下に置いたのだろう。

 祖父母の家はどちらも今ではなくなっているが、同じ配置を採用している家はほかにもあるのではないだろうか。さて、何千年もたってからそうした家々が古代の遺跡として発掘されたとする。

 「教授、祭壇跡が出土しました」

 「うむ。こうした祭壇を家の天井にくっつけておくのが一般的な様式だったようだ。当時はカミダナと呼ばれていたらしい。この下をもう少し掘ってもらえるかな」

 ザックザック

 「あっ、また何か出てきました」

 「うむ。テレビと呼ばれる品だ。カミダナの下に置かれていることが多いため、これも祭祀に関係していると考えられている。テレビというのは「照日(てるひ)」の発音が変化したもので、太陽に関係がある言葉だ。カミダナにもしばしば太陽神であるアマテラスが祭られており、当時は太陽信仰が盛んだったのだろうと推測できる。おお、話をしているうちにテレビがすっかり掘り出せたようだな」

 「テレビというのは鏡なのでしょうか? 滑らかでよく磨かれています」

 「うむ。カミダナにも神体として小さな鏡が収められていることが多い。もしかしたらそちらは予備で、テレビのほうが本来の神体だったのかもしれないな」

 これは筋がとおっている。自分で考えたヨタにうっかり自分で納得してしまいそうになった。


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