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飄然草  作者: 千賀藤兵衛
第四部 ことばの履歴書
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藤兵衛、話す

(5)おしゃべりの苦手な生きもの

 どこの職場にも、こいつは仕事をしに来ているのだろうか、それともおしゃべりをしに来ているのだろうかと疑いたくなるようなやつが一人や二人はいるものである。とにかくあらゆる機会を見つけては仕事の手を止めてペチャクチャペチャクチャ。よくあれだけ話すことがあるものだと私は逆に感心する。

 おしゃべりが苦手な者から見ると、おしゃべりというやつにはけっこう実用的な意味があるように思われる。私の観察するところでは、連中はおしゃべりによって仕事のやりかたや職場の人間関係について情報交換をおこなっているらしい。もちろんおしゃべりのほかにミーティングとか会議とかいうものがあって、仕事についての情報はそこで共有されるはずであるが、漏れるものもある。実際、職場の大半の人がおそらくはおしゃべりを通じて知っていた作業の上での注意点を、私だけ知らなかったことがある。

 仕事に支障が出ない程度におしゃべりをすればいいじゃない、と言われそうだが、そうはいかない。なにしろおしゃべりのやりかたがわからない。いつ、どのような話をすればよいのか、まったく見当もつかない。

 私はおしゃべりをしている連中を見ると、またあいつら仕事をさぼってくっちゃべってやがると思っているが、向こうは向こうで、藤兵衛のやつまた仕事にかまけておしゃべりをおろそかにしている、困ったやつだ、などと思っているかもしれない。


(6)蜃気楼のオアシス

 私のかよっていた小学校では、ときおりオアシス運動というものをおこなっていた。


 おはようございます

 ありがとうございます

 失礼します

 すみません


 オアシスとは、これらの頭文字をつなげたものである。オアシス運動というのは要するにあいさつ運動であり、この期間中は毎朝学校の前に教師が立って、登校してきた生徒に向かっておはようおはようと声をかけるのであった。

 この運動の目的は、子供にあいさつの習慣を身につけさせることであろうと思われる。あいさつは社会の基本だからである。

 私はすなおな子供だったので、オアシス運動の実施期間になると張り切っておはようございますおはようございますと言っていた。オアシス運動をやっていない時期もまじめにあいさつをしたし、小学校を卒業して上の学校に進み、長じて社会人となってからもあいさつに関しては模範的である。あいさつの習慣は確かに身についたといえる。

 しかし基本はあくまで基本でしかない。肝心なのはその先、応用である。……ということに、私は社会人になって何年もたってからようやく気がついた。世間ではあいさつの後におしゃべり、世間話、四方山話などというやつを行うようである。私はこれのやりかたがほとんどわからない。だって小学校ではそこまで教えてくれなかったんだもん!


(7)時間がたつのを忘れて

 ある小説を読んでいたら、「時間がたつのを忘れて語り合った」というくだりがあった。これは私の知らない現象である。

 おしゃべりの苦手な私だが、たまにおしゃべりの好きな人につかまって話に付き合わされることがある。そんなとき私は、極力早く話を終わらせようとする。仕事中であれば作業に戻りたいし、プライベートの時間であれば小説を読むとか音楽を聴くとかしたい。ふだん面倒くさがってあまりやらない部屋の掃除が、おしゃべりの最中に急にやりたくなったりする。が、相手はよほどおしゃべりがしたいらしく、スッポンのごとく食らいついて次から次へと話題を繰り出し、話はまるで終わりそうな気配がない。私はヤキモキしながら、早く話が終われと念じるのである。とてもじゃないが、時間がたつのを忘れることなどできない。

 このようにおしゃべりの終わらない人は、きっと何年間か無人島で一人で暮らしていてついさっき人間社会に戻ってきたところなのだろう。それで人と話をするということに飢えているのだ。そうに違いない。少なくとも、私だったらそんな境遇にでもならないかぎりおしゃべりなどしたくはならない。


(8)大人になってもわからなかったこと

 考えてみれば、子供のころからおしゃべりというものに興味がなかった。

 たとえば両親が知人の家に中元やら歳暮やらを持っていく。盆や正月に親戚が集まる。両親の知人が家に遊びにくる。こういうときに何が始まるかといえば、おしゃべりである。内容はほとんどが人の噂話である。子供のころの私は、そんなものの何が面白いのかと思っていたし、大人になったいまでもそう思っている。人が話しているのを聞いていると眠くなることは前回述べたとおりである。子供のころは居眠りをしてもまあ大目に見てもらえたが、大人になるとそうはいかない。おしゃべりは私にとっては退屈や眠気との戦いである。


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