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飄然草  作者: 千賀藤兵衛
第三部 ダーガー2.0
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運転免許に縁のない人生

 私は普通自動車の運転免許を取っていない。

 若いころ、私はすこぶるドジであった。道を歩いていて電柱に正面衝突するという、漫画のような事故をときどきやっていた。電柱の存在はちゃんと見えていて、このまままっすぐ歩いていけばぶつかるということも理解しているのだが、なぜかよけないでそのまま歩いていってぶつかってしまうのである。

 信号無視もたびたびやらかした。これはパターンが二つある。一つは、自分の見るべき信号ではなく、別の道の信号を見ている場合。たとえばまっすぐ歩いてそのまま道を渡るときに、なぜか横を向いてそっちの道の信号を見てしまう。

 もう一つのパターンは、赤信号と青信号の意味を勘ちがいするというもの。普段は赤信号が「止まれ」、青信号が「進め」だとちゃんとわかっているが、ときどき青信号を「止まれ」、赤信号を「進め」だと取り違えてしまうのである。

 こういう人間であるから、車の運転などすればきっと人を殺すと思って、免許を取らなかった。とはいえ車社会の恩恵を受けていないわけではない。バスやタクシーには乗るし、店で買う商品はトラックで運んできたものである。

 現代社会は車なしには成り立たないのだから、現代人たるもの車の運転をするのは義務であり、運転をしないのは社会において自分の果たすべき責任から逃げていることになるのではないか、というようなことをしばしば考える。私が運転をしないせいで、どこかの誰かが私のかわりに金と時間をかけて自動車学校に通い、私のかわりに車の代金と車検と自動車保険と自動車税の負担に苦しみ、私のかわりに人を轢き殺して私のかわりに刑務所に入っているのではないか。この疑問はついぞ頭を去らない。

 おそらく運転免許を取っている人は私ほどにはドジではなく、それなりに安全に運転をする資質があるのだろう。できる人がそれをし、できない人間はほかのことをすればよい。適材適所。そんなふうに考えることにして、なんとか自分を納得させている。

 年をとっていくらか落ち着きが出たのか、最近は上に述べたようなドジはほとんどしなくなったが、今度は目が悪くなってきた。やはり運転には難があると思い、自動車学校の門をたたくことなく今にいたる。


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