エスカレーターと髭男
そのとき私は、電器屋に電気カミソリの替刃を買いに来ていた。売場は地上五階なので、エスカレーターに乗り込む。乗っているあいだに目当ての品の型番を確認しておこうと思い、携帯電話を取り出した。あらかじめメモ帳のアプリに書き留めておいたのである。この時点で私のすべきことは以下のとおりであった。
一、つぎの階に着いたらエスカレーターから下りる。
二、買い物のメモを確認する。
ところがそのとき、店内に流れている音楽が耳に入ってきた。近年活躍している音楽グループ「Official髭男dism」の歌う「Pretender」である。私はこの曲がたいそうお気に入りでしてな。つい聞き惚れた。そしてこういうことになった。
一、「Pretender」を聞いてうっとりする。
二、つぎの階に着いたらエスカレーターから下りる。
三、買い物のメモを確認する。
エスカレーターがつぎの階についたとき、私はすっかり曲に没頭していて、下り口でつまづいてつんのめったのであった。
しかし、考えてみるとこれはおかしい。もともとはエスカレーターから下りるのとメモを確認するのと、二つのことをするつもりだったし、それぐらいはいつもの私であれば無理なくこなせるはずだった。ところが結果を見れば、できたのは「Pretender」を聞くことだけ。エスカレーターから下りることもメモを見ることもすっかり忘れていた。一つしかできていない。
実のところ、「Pretender」に枠を二つ費やしていたのではないかと思われる。つまりこんな感じである。
一、「Pretender」を聞いてうっとりする。
二、「Pretender」を聞いてうっとりする。
三、つぎの階に着いたらエスカレーターから下りる。
四、買い物のメモを確認する。
いくら好きだからといって、そこまでして聞き惚れなくてもと思わないでもない。




