TSお姉様、参上する
群体を貫いた氷の槍は、地面や樹々に突き刺さる前に消えて行く。対象物以外には全く影響を及ぼしていない。
それが如何にとんでもない事か、ブルーム達はもちろん魔法士でないジアコルネリすらも呆然としていた。
例えばブランコは森へ過剰な傷を負わせないよう気を使っていた。撃ち出した魔法の行方など配慮出来ない。強力なモノを放てば木は折れ、地面は抉れて悲惨な結果を生むだろう。火属性などを使えば、パーティも火炎に巻かれる危険があるのだ。
だが、アートリスの女神が繰り出す魔法は全ての常識を覆してしまう。
「此れが、魔剣……」
ブランコの呟きを拾ったマウリツは、呪われた大熊がゆっくりと迫り来るのも忘れて思い出していた。
数年前の、超級冒険者"魔狂い"フェルミオ=ストレムグレ"との会話を。
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皺くちゃの顔を更に歪める老人は、禿げ上がった頭へ水に濡らした布を当てている。たんこぶは赤くなっていたから、かなりの衝撃を受けたのだろう。
「ぬぉぉ……まだ痛い……」
「くだらない真似をするからだ」
「あれ程の尻が目の前で揺れたのじゃ。この手が無意識にだな……」
「歳を考えろ、歳を。孫娘みたいな年齢差だろうに」
「儂はまだ現役じゃ!」
「だからと言って、いきなり尻を撫でる理由になるかよ。ジルがあんなに怒ったの初めて見たぞ」
「あの反応……前からもしやと思っておったが、やはりあれは生娘じゃな、間違いないぞい。クフフ」
濡らした布を頭に乗せたままに気色悪い笑いを溢す爺様。マウリツも頭を叩きたくなったが誰も責めたりしないだろう。
「……変態爺いめ。あの美貌で男を知らん訳がないだろう。普通ならば誰一人放っておく訳がないからな」
常識外れの戦闘力が無ければ、アートリスの街は阿鼻叫喚の戦場になったかもしれない。ジルを取り合って。
「いーや、儂の豊富な経験が囁くのじゃ。ジルはウブじゃとな。最初に尻を撫でたとき、暫く固まっておったじゃろ? アレは慣れておらぬ娘の反応での」
「ああ、その後ぶん殴れたんだったな。その阿呆な頭を」
数秒固まっていたジルは珍しい叫び声を上げて、腕を振り回していた。変態爺いは器用にその攻撃を躱し更なる追撃を加える。背後に回り込みナデナデ、或いはツンツン。思い返してみても、とんでもない爺様だ。
混乱から立ち直ったジルが魔力強化を行い、流石の爺いも逃げきれなくなった。
彼女は五人目の超級。
ギルドに任ぜられたジルが一階に降りて来たとき、偶然に出くわしたのだ。マウリツは依頼の内容を確認して仲間達に向かい、其処に知り合いの爺様が合流していた訳だ。
柔らかな笑顔を浮かべたままジルが挨拶する。史上最年少、女性、何より冒険者になって年数も経っていない。街の話題を攫い、誰もが注目していた。若さは傲慢を生んでも不自然ではないのに、ジルは変わらず謙虚なままだった。
此方に向かって「マウリツさん、改めて宜しくお願いします」と頭すら下げるのだから笑うしか無いだろう。
丁度その時、いつの間にやら背後に立っていた爺いが尻を撫でたのだが。まあ女性としては背の高いジルだから、小柄な爺様の目の前で尻が揺れたのは分かる。だからと言って、いきなり撫でる変態は居ない筈。ましてや相手は世界最強の一角、超級だ。
「えっ?」と呟いたあと固まっていた時は、若き女性にしか見えなかったけれど。
見事にフェルミオをぶん殴り、真っ赤な顔でギルドから出て行ったのがつい先程だ。因みに、普段の凛とした姿が印象強いから、頬を染め恥ずかしがるジルを見てギルドの皆は悶えていた。マウリツも可愛らしいなと思ってしまったから否定はしない。
「しかし万能か。言い当て妙だな」
以前より既に皆が話していた事ではあるが、正式に彼女の才能の名がギルドから発せられたのだ。それを耳にしたマウリツは目の前に座る爺様に投げ掛けた。
随分前になるが、二人はパーティを組んでいた事もある。そのため年齢を越えた友と言える相手だ。だが、いつもニヤニヤと笑っている表情は顰めっ面に変わった。
「フェル爺、気に喰わないのか? まあ最強の座を"魔狂い"から奪ってしまうかもしれない女性だから仕方無い」
「阿呆め、そんな訳があるか」
フェル爺……"魔狂い"のフェルミオは益々苛立ちを露わにする。
マウリツは長身だが、それを含まなくても随分と小柄な翁だった。歳でもあるため背中も丸まり、禿げ上がった頭はツルツルだ。顎髭だけは綺麗に整えてあって、真っ白な逆三角形。
濁った灰色の瞳は垂れ下がっていて、初めて見た者は隠居でもした穏やかな好好爺に思うだろう。まあ本性を良く知るマウリツは騙されない。
「その内"魔剣"の餌食になっても知らないぞ」
五人目の超級の二つ名は、魔剣。永らく最強の座に君臨していた"魔狂い"を超えると噂される、去って行った美人の笑顔が浮かんだ。
「あの尻は何度撫でても飽きん。適度な柔らかさ、ツンと持ち上がった肉、何よりあのウブな反応。堪らんわい。一晩で良いから相手をしてくれんかのぉ。その辺の青二才よりずっと巧いぞ儂は。我が経験の全てで抱くんじゃが」
「……相変わらずの好色な爺様め。吊るされてしまえ」
「それだけの価値があるんじゃ、至高の尻と胸じゃからな」
尻や胸に"至高"などと形容するのを初めて聞いたマウリツは深い溜息を吐く。まあ確かに常軌を逸する美貌だとは思うが、同時にジルへ同情の念も抱いた。こんな変態爺いに目を付けられた不幸に。
「で? 何だ?」
「簡単じゃ。彼奴の才能を示すには些か足りない、いや微妙だと思ってな」
「微妙? だがジルは汎用も属性も、治癒すらも簡単に操る万能性が知られているし、寧ろそのままだろう?」
今度は魔狂いが溜息を漏らす。
「お主も分からんか。それでダイヤモンド級とは、糞ガキの頃から成長しとらんの」
「もうおっさんの俺を捕まえて糞ガキはやめてくれ」
「ふん、糞ガキは糞ガキじゃ。ジルの、魔剣の力はそんな矮小な話では説明出来んぞ」
変態で色狂いなフェルミオだが、魔法に関してだけは妥協を許さない。そんな彼が羨望を隠さないのだ。マウリツは酷く興味を唆られた。
「じゃあ、フェル爺ならどう名付けるんだ?」
「儂に名付けの素質など無いが……そうじゃな、魔力"奏者"、固く言うなら"魔力を識る者"かの」
「識る者……魔力奏者か。しかし魔力の事ならばフェル爺こそが代名詞だと思うが……ジルも魔法は勝てないと言っていたぞ?」
超級"魔狂い"は規格外の魔力を操り、"殲滅"と呼ばれる広域破壊魔法を好んで行使する。その力は広く知られており、ツェツエ王国の戦力の一角を担う程だ。
「あ奴らしい台詞回しじゃの。良いか、魔素感知も属性を無視した行使も、そしてあの出鱈目な魔力強化でさえ、全ては副産物に過ぎん。確かに"万能"な魔法を操るが、それは齎された結果でしかないのじゃ。根幹は現出する魔法ではなく、その"在りよう"と言えばよいか」
「ややこしいな。結果、副産物ねぇ……もう少し分かり易く説明してくれ。俺は魔法に詳しくない」
「はぁ、仕方無いの。そうじゃな、お主に分かり易く噛み砕くと……ふむ、魔法士を絵描きと仮定するんじゃ。確か絵画に拘りがあったじゃろ?
「まあ、嫌いじゃないな」
「我等が火魔法を放つとき画布に赤い色を塗る。画家が絵筆を片手にする様に、な。注意が必要なのが出来るだけ均一に、可能な限り同じ濃さで行う事じゃ。そして、魔法は描く速度や精度で威力に差が付くと思え」
「ああ」
「普通は真っ赤に染まった画布を眺め、此れはメラメラと燃える炎だぞ、凄く熱いんだ、触れたら危険だからなと頑張って説明する訳じゃ。儂ですら、画布の大きさや色の濃淡が違う程度……じゃが至高の尻、ジルの場合その様な事はせん」
「……どうするんだ?」
「豊かな大地と生命力に溢れた森。薪を焚べ、夜と風を感じる。焚き火には揺れ踊る赤い炎、その周りには酒を片手に談笑する者達を描き、其れを眺める自身も火の温かさを感じるじゃろう。つまり、此れが炎なんだと説明など要らん。世界はそうとしか受け取らんからな……指先に咲く灯火も、街を焼き尽くす業火も、彼奴ならば思うがままじゃ。何故ならば、その様に描けば良いのじゃから」
マウリツは寒くも無いのに何故か鳥肌が立った。全ては理解出来ない。それでも話す言葉の持つ意味に震えたのだ。まさに世界が違う、フェル爺はそう言っている。魔法や魔力ならば"魔狂い"に聞け、其れ程に讃えられる超級冒険者が。
何より一言一言に羨望が混じっていた。そしてこの話題に剣技は含まれていない。魔剣の持つ力の半分しか語っていないのだ。最強の座は誰にと街やツェツエ国内ですら噂に上るが、当の本人は既に答えを出していたのだろう。
「儂にも……いや、誰にも見えない世界じゃよ。水色の瞳を宿す者は生まれながらにして其処に在る。だから、色彩の違いや画布の大小、速度も何もかもが些細な事。分かるか? 様々な魔法を操る事は奴にとって絵具をちょこっと変えるだけに過ぎん。真髄を誰一人理解出来ず、副産物でしかない"万能"では全てを説明出来ない訳じゃ。ほほ、笑うしかないじゃろう?」
丸まった背中を揺らし、小さな身体で笑う。この時だけは好色変態の爺様では無い。英雄に憧れる童子の様に笑みを浮かべ、真っ白な顎髭すらも楽しそうに揺れていた。
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ジルの話自体は僅かな時間だったが、今も鮮明に浮かぶ。フェル爺の言っていた事はコレなのだと、次から次へと行使される魔法が証明して行った。
そう、攻性の魔法なのに何処か美しさを纏う。
「奏でる者……奏者、か」
ならば今眺めているのは天上の音か、或いは絵画なのか。いや、気高き叙事詩が謳う英雄譚かもしれない。アートリスの女神は瞳の色にも負けない氷の魔法を放つ。
そして、マウリツの隣に音もなく降り立った。
白金の長髪がフワリフワリと舞い、甘い花の香りが漂う。汗一つ零れていない横顔には途轍も無い美と輝く水色。女性らしい身体の線に嫌でも視線が奪われ、魔力銀で編まれた衣服は彼女が冒険者だと示してくれない。
さっきまで暗くて恐怖を嘲笑う森だったのに、樹々は世界を彩る背景に変わってしまった。
「マウリツさん、お待たせしました」
そして、声すらも綺麗だ。
「いや、丁度だよ、ジル」
「良かった。大熊の動きは未だ鈍いみたいですけど、此方は捕捉されてますね。ゆっくり向かって来ています」
「ああ。情け無い話だが、頼むよ」
「はい。あの……子熊は?」
「見つけたよ。括り罠に嵌っていた」
「括り罠……そうですか」
普段から余り喋らない魔剣だが、表情は豊かで心内は分かり易い。最近仲良くなったリタ嬢と話している時は幸せな笑顔が浮かぶ。いや、公称妹であるターニャと二人の時は非常にだらしない顔すらしていた。
今浮かぶのは、怒り、悲哀、そして覚悟だろう。
そう、討伐などしたくない相手なのだから。それでも、堕ちてしまったウルスにそれ以外の手段など存在しない。
「……皆さんは討ち漏らした死霊をお願い出来ますか? 暫くはウルスに集中しますので」
いつの間にか、右手には魔力銀の剣が在る。
槍使いのマウリツだが、そんな彼が見ても斬れ味は悪そうだ。刃も立っていないし、剣独特の鋭利な空気も感じない。だが、一度彼女の魔力を帯びれば……そう、古竜の鱗すら両断する魔剣と化すのだ。
「任せてくれ」
「はい 」
その剣技は超級冒険者"剣聖"や、ツェツエの剣神とも互角に斬り結ぶと言われる。
その時、地響きが届いた。
森の奥から巨大な影がゆっくりと近づいて来る。太い両腕でベキベキと樹々をへし折り、脚は柔らかな地面にズブリと埋まる。眼は真っ赤で森の薄闇に妖しく光っていた。
大人二人分、いやそれ以上の高さに顔がある。牙が異様に長く、まるで金属の様に鋭い。
「……ごめんね」
マウリツに届いた呟きは無意識だったのだろう。決して涙は溢れていない。それでも……頬を伝う雫が見えた気がした。
偶にジルを格好良く書きたくなる。不思議ですね。




