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この結婚は契約であり  作者: ほねのあるくらげ
第一条

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8/42

夫婦の利害は一致していなければならない。 1

「――では、これにて契約は成立です」


 シャルリアとレオンヴァルトの署名がなされた書類を手に、ランサス家の顧問弁護士エルドーレン・グラディスは温和な笑みを浮かべた。

 レオンヴァルトの旧友だという彼は、つぶらな瞳を持つ小太りの男性だ。温厚そうな雰囲気で、笑うと目元にしわができる。レオンヴァルトより少し年上らしいが、旧知の仲というのは業務上だけのことではなかったようだ。会話の内容自体は事務的なものであっても、互いの口調や眼差しには親愛の情がにじんでいた。


「エルドーレン、せっかくだから昼食を食べていかないかい?」

「おや、よろしいのですかな? お邪魔では?」


 時刻はちょうど十二時を少し過ぎたころだった。エルドーレンのうかがうような視線がシャルリアに向かう。シャルリアは淑女然とした笑みを浮かべて軽く一礼した。


「めっそうもございません。どうか召し上がっていってくださいな」


 支度するのはシャルリアではなく使用人達だ。屋敷の主人が食事の席にエルドーレンを招きたいのならば、それをわざわざはねのける理由はない。夫の旧友の、人がよさそうで無害そうな男性で、顧問弁護士という明確な立場のある客人なのだからなおさらだ。むしろ多少こちらも親しくなっておいたほうが得だろう。


 昼食の用意はすぐに整った。庭で遊んでいたクリスフィアが着替えて手を洗って席に着いてから、料理が運ばれてくる。

 前菜は旬のキノコをふんだんに使ったスープだ。肉厚なキノコは噛めば噛むほど味わい深くなる。キノコ料理自体はシャルリアもよく食べていたが、ランサス家で供されるキノコは記憶の中のそれよりおいしい。きっと高価な品種なのだろう。少なくとも、その辺の野山に生えているようなキノコではないようだ。

 仔牛のカツレツを切り分けるエルドーレンの隣では、クリスフィアがサラダもきちんと食べるようにレオンヴァルトに言われていた。それを横目で眺めながらちぎった白パンを口に運ぶ。食後のデザートは洋ナシのタルトで、これもまたクリスフィアは幸せそうな顔で頬張っていた。今日は目の前に養父がいるからか、シャルリアの視線は気にしていないらしい。


「いやはや、ごちそうさまでした。レオン君、近いうちにお二人を連れてうちにも遊びに来てください。ランサス夫人を家内にもぜひ紹介させていただきたいですし……君にも見せたいものがありまして。最近、いいもの(・・・・)が手に入ったんですよ」

「なんだって? まさか、“流星の貴婦人”か?」


 レオンヴァルトの目がきらりと光る。エルドーレンは楽しそうに頷いた。


「彼女は実に美しい。……ですがきっと、“蒼穹の女王”も負けはしませんよ。完成が実に楽しみです。では、私はこの辺りでお(いとま)いたしましょう」

「エルドおじさま、またいらしてね!」


 手を振るクリスフィアに小さく手を振り返し、エルドーレンはシャルリアとレオンヴァルトに軽く頭を下げて帰っていった。そのあとを、馬車へと誘導するように青年が続く。レオンヴァルトがレティラ邸に来たときに連れていた従者だ。きっと彼が近侍のユライだろう。


「レオン様、何のお話でしょう?」

「ああ、私が趣味で集めている物のことだよ。エルドーレンも同じ物のコレクターでね。その縁があって彼とは私的に親しくなったんだ。しかし、そうか……“流星”が……」


 顎に手を当てて考え込むレオンヴァルトの目は興奮したように輝いている。初めて彼の本物の感情に触れた気がした。よほどのその何かの収集活動に熱心なのだろう。


「お父様、また庭園に行ってきてもいいですか?」

「ああ、行っておいで。でも、庭師達の仕事を邪魔してはいけないよ」

「はい!」


 クリスフィアは嬉しそうに外へと駆けていった。ふと、レオンヴァルトの視線がシャルリアに向かう。しばらくじっとシャルリアを頭のてっぺんからつま先まで見渡して、彼は得心したように口を開いた。


「どこかで見た気がすると思ったら……もしかしてそれは、姉のドレスかい?」

「ええ、アンネリッサ様のものとうかがっております」


 先ほどまでずっと一緒にいたというのに、ようやくレオンヴァルトはそれに気づいたらしい。姉弟仲はさほどよくなかったのだろうか。わざわざ姉の子を慈しんで養育しているあたり、単純に姉の持っているドレスが多すぎていちいち覚えていなかっただけかもしれないが。


「君の趣味やサイズがわからなかったから、あるもので急場をしのごうと思ったんだが……失敗したな。君には悪いことをした。死人のドレスなんて気味が悪いだろう? せめて母のドレスを現代風にリメイクさせておけばよかった」

「あ……いえ、妻が婚家のドレスを受け継ぐのは伝統ですし、気にしてはおりませんが」


 エルドーレンという来客を迎えるにあたって着替えたドレスは、レオンヴァルトの姉であるアンネリッサのものだとメルツィスカから聞かされていた。

 良質な仕立てのドレスは新品同然だ。変色した血がこびりついていたりどこかが破れていたりしているわけでもないので、死人のドレスだと言われても実感はなかった。


「それはそれ、これはこれだ。……ふむ。どうせ新しいドレスは仕立てさせるつもりだったし、こういうことは早いほうがいいな。ヤーリッツ、リコッドに行ってくる。用意を頼む。連絡もしておいてくれ」

「はっ、かしこまりました」

「リコッド?」


 心得たと言わんばかりに機敏に動く老執事とは対照的に、シャルリアはきょとんと首をかしげた。レオンヴァルトは微笑を浮かべる。


「王都にある、この国で最も大きな百貨店さ。さあ、支度をしてくるといい。あそこで手に入らない物はないよ。きっと君の好きなものも見つかるだろう」


*


(ずいぶん大きいわね……)


 馬車から降りたシャルリアは、その建物のあまりのまぶしさに覚えためまいをこらえながら空を見上げた。まるでどこかの宮殿のようだ。王都のにぎやかな雰囲気には胸が弾むが、このリコッドという店の前ではただただ圧倒されるばかりだった。


「どうかしたのかい?」

「レオン様は、日常的にこういった店で買い物を?」

「ああ、そうだよ。ここは便利だからね。普段はここの外商に来てもらうが、自分で好きに見て回りたい時はたいてい直接来ているな。使用人を使いに行かせるだけで済むような用事ならもっと近くの店を使うこともあるし、散策を兼ねて小さな個人商店を覗くことも多いがね」


 つくづく彼とは生まれた世界が違うらしい。

 片や貴族の姫君、片や中流階級出の青年。本来ならシャルリアはこんな劣等感など抱く身分ではない。互いの立場は逆であってしかるべきだ。しかし事実は事実だった。より正確には没落貴族の嫁き遅れと成功を収めた資産家一族の跡取りなのだ、実の伴わない身分など振りかざしても滑稽なだけだろう。


「さあ、こっちだ。好きなものを好きなだけ買っていけばいい」


 迷いのない足取りでレオンヴァルトはリコッドに入る。委縮しそうになる自分を奮い立たせ、シャルリアもそのあとに続いた。


 どこもかしこも輝いている。陳列された色とりどりのお菓子、あるいは大量の宝飾品に目を奪われながら、シャルリアはレオンヴァルトに着いていった。

 辿り着いたそこは仕立て屋の区画らしく、あちこちに着飾ったトルソーが飾られている。トルソー達が着ているドレスの生地は、そのどれもがかつてエマリーが見せびらかしていた布と勝るとも劣らないようなものに見えた。


「お待ちしておりました、ランサス様。こちらへどうぞ」

 

 老婦人が恭しくシャルリア達を迎えた。通された応接間には、たくさんのきらびやかな布が用意されている。


「本日は奥様のドレスの仕立てだとうかがっております。何かご希望の点などはございますか?」

「ええと……」


 物語のお姫様のようなドレスを、とはさすがに気恥ずかしくて言えなかった。そもそも、どんなことを指示すればいいのかわからない。シャルリアが知っているのは修道服と、動きやすい村娘のワンピースと、質素な部屋着だけだ。下手なことを言って、流行どころか常識も知らない田舎娘だと思われたくはなかった。


「彼女に似合う、最高の品を頼む。デザインはすべて君に任せよう。君の腕なら安心だからね。……ああ、それと、プレタポルテをいくつか見せてもらっても?」

「かしこまりました」


 言い淀むシャルリアの心中に気づいているのか、にこやかに微笑むレオンヴァルトが助け舟を出してくれた。

 ではこちらへ、と老婦人に言われるままに採寸を始める。様々な布を当てられ、運び込まれたトルソーが着ている既製品を眺めているうちに、老婦人の頭にはデザインができたらしかった。


「やはりここにあるものは、すべて間違いがないね(・・・・・・・)。気に入ったものはあったかい?」


 助手を置いて老婦人が退室するなり、レオンヴァルトはそう問いかけた。その言葉の意味を理解し、シャルリアは小さく頷く。ずらりと並べられたトルソーが纏う既製のドレス。この中から何を選んでも、人に笑われることはないのだ。


「それはよかった。じゃあ、今出されたものはすべて買おうか。どれも似合っているから問題ないだろう」

「え?」

「気に入った服を着るのはもちろんいいことだ。けれどこれから君に求められるだろうありとあらゆるドレスコードには、それだけでは対応できないんだよ。だから、どんな系統のドレスも持っておかないと。……大丈夫。リコッドの高級既製品(プレタポルテ)なら、たとえ王族主催の宴であっても十分に通用する」


 そう言って、レオンヴァルトはあっさりと小切手にサインをした。今まで見たことのない金額だ。しかし彼にとっては些細な買い物に過ぎないのか、一切のためらいもない。

 無限に金の湧き出る金貨袋を自称するだけのことはある金払いのよさに、思わず呆れかえってしまい――――けれど同時に、心臓が熱く脈打った。 

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