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この結婚は契約であり  作者: ほねのあるくらげ
第四条

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32/42

互いの趣味については、寛容であるものとする。 3

 早速三人で厨房へと向かう。素朴な木製の丸椅子に腰かけ、所在なさげに縮こまっている娘がいた。娘は立ち上がって何やら妙なポーズを取ろうとするが、はっとした様子で姿勢を戻してお辞儀をした。

 レオンヴァルトとハイリウスを見て、何故か怯えたような顔をしている。店主が名乗ることでようやく娘は彼を見た。「こちらはただの見学者だ、気にしないでくれたまえ」わざわざ紹介されるほどのことでもない。店主を制し、面接を始めさせる。


「あ、あの……イ……イデリザ……イデリザ・ジューエ、と申します……」


 今にも消え入りそうな声だ。緊張が伝わってくる。イデリザはワンピースの裾をぎゅっと握りしめていた。そのワンピースのスカート部分には、様々な柄や色の端切れが縫い付けられている。


「皿洗いでも、野菜の皮むきでも、なんでもします。どうかここで働かせてはくれないでしょうか?」

「うーん……。そう言ってくれるのはありがたいが……。あんた、いいとこのお嬢さんなんじゃないかい? とてもじゃないが働かせられないよ。だってうちは酒場だぜ。常連で馬鹿な真似をする奴はいないが、ふらっと入ってきた奴はどうだかわからんからね。面倒事はこっちだって困る」


 店主の目は、イデリザの手に向けられていた。白くほっそりとした手だ。とても労働階級の女の手には見えなかった。


「何か事情があるのかもしれんが、お嬢さんならわざわざこんなところで働かなくたっていいだろう? もっと向いてる場所があるだろうし、そっちに行きな」

「そんな……。この辺りのお店は、どこに行っても同じ理由で断られていて……わたし、もう、このお店しか……」


 店主の意見はもっともだ。それでもイデリザは震え、今にも泣き出してしまいそうだった。レオンヴァルトはため息をつく。


「知り合いに、働いているところを見られたくない……いや、働いていることを知られたくない、と言ったほうがいいのかな?」


 ハイリウスが意外そうにレオンヴァルトを見た。イデリザもぎょっとして顔を上げる。

 あまり世間慣れしていない様子からして、彼女が良家の娘であることは間違いない。良家と言っても、その財政には不安が残るが。少なくとも、これまで与えられたであろう宝飾品を質に入れてもまだ足りないと思う程度には、彼女に金銭面での自由はなさそうだ。

 あの妙なポーズは、淑女の礼を途中で止めたものに違いない。癖になっていて思わずやろうとしたのだろうが、そんな挨拶を教え込まれるような家柄の娘が大衆酒場で働く道理はなかった。それこそ店主の言うように、上流階級の家の家庭教師や女中にでもなればいいのだ。

 かつての知り合いに傅くのはプライドが許さないとのたまう人間が、下層階級の市民に給仕して回る仕事を選ぶなど考えづらい。彼女がわざわざこの店を選んだのは、矜持の問題ではないだろう。まったく別の理由があるはずだ。

 そう、ここは大衆酒場。彼女がこれまでいた世界とは真逆の場所だ。かつての彼女の知り合いが、ここで働く彼女を見つけることはない。彼女は誰にも知られずに、金を稼ぐことができるのだ。家族には言えない自分自身のことに使うためなのか、それとも世間にはそうと知られないよう家計を救うためなのかはわからないが。


「君の名誉のためにも、本当の名前は訊かないでおこう。だが、私なら何か君の力になれるかもしれない。よければ少しばかり話を聞かせてくれないかな」

「わ、わたし、お金が欲しいんです。家を離れて一人で生きていけるだけのお金が。もうあの家には、戻りたくないの……!」


 秘書に目配せを送る。ハイリウスは得心したように押し黙った。イデリザは不安そうにしながらも言葉を続ける。


「誰もわたしの話を聞いてくれない……馬鹿にしてばかりで、ちっとも現実を見てくれない……! もう、疲れてしまったわ……。家のことを、誰も真剣に考えてくれないのよ? そんな人達のことを、どうして家族だと思えるの?」


 イデリザの目に涙が浮かぶ。すかさずハイリウスがハンカチを取り出した。イデリザは震える声で礼を言う。


「わたし、幼いころから従兄と婚約していたんです。姉はもっと位の高い家の人に見初められていたから、わたしと従兄が結婚して家を継ぐ予定だったの。でも、それが突然白紙になって。信じられなくて、問いただしたら……わたしの家が、借金まみれだからって言うのよ……。それどころか、もう縁を切りたいって叔父に言われて……」


 ハンカチを握りしめ、イデリザはさめざめと泣き続ける。執事を問い詰めて帳簿を見たところ、確かにイデリザの家の財政は大赤字だったらしい。分家にも金の無心をしていたそうだ。


「叔父にした借金も、わたしと従兄が結婚すれば帳消しになるって父は言ったけど……他の人に借りたお金はそういうわけにはいかないだろうし、従兄が立て替えてくれるわけがないわ。それに、くだらない儲け話なんかに、わたしの結婚式の費用まで使い込まれていたのよ。もうすぐ儲けが出るから大丈夫だって、父はいつもそればかり。もうすぐって、いつのことなの? 叔父に愛想を尽かされるのも当然だわ。それなのに、婚約破棄の慰謝料をもらいましょうって、母は嬉しそうだった……。恥ずかしくて、恥ずかしくて……」


 そうこうしているうちに、遠方に花嫁修業に出ていた妹が家に戻ってきたという。修行先への月謝の支払いがきつくなり、ボロが出る前に呼び戻されたと言うほうが正しいようだが。


(月謝……寄付金か。花嫁修業に適した女子修道院は、いくつかあるが……。娘が三人いる、借金まみれで没落しかけの名家。さて、どこかで聞いたような話だな)


 せめて分家が相続に乗り気であれば、まだこの娘も救われたかもしれない。爵位を返上して債務整理を始めたほうが、家のためにも領地のためにもなりそうだ。


「持参金の用意すらできないのに、次の婚約者を見つけられると思う? 借金だらけの家の娘を、誰が妻にしたいと思うのよ。……わたしの人生って、なんだったのかしら。妹にまで馬鹿にされるし……。それで、わかってしまったの。大好きだった父も母も、妹も、もういないんだって。妹の持参金だって、もうとっくになくなっているのかもしれないわ……」

 

 イデリザは嗤った。そのまま彼女は、静かに呟く。

 ずっと、従兄と結婚するつもりでいた。家名にふさわしい娘であるよう心掛けていた。両親の言われるままに生きていた。その結果がこれだ。名家に嫁いでいった姉なら、現状を変えられるかもしれない。だが、姉にまで恥をかかせたくはない――――と。深い後悔のにじむ声音だった。


「……だから、わたし、あの家を離れたいんです。貴族の娘でなくなってもいいから、自分の人生をやり直したい……」


 嗚咽と共に漏れたその言葉は、彼女の本心なのだろう。俯くイデリザの顔は真っ青だった。


「私は貴族ではないし、君の家に税を納める者でもない。だから、君に貴族の責務を問いはしないよ。領民にとっては、領主が変わることこそ望みかもしれないしね」


 イデリザがいなくなれば、セラーデ家には跡目を継ぐ者がいなくなる。分家から取れる養子がいるわけがないし、他家に嫁がせるはずだったエマリーにはセラーデ家の家政の取り仕切り方など教えていないだろう。仮に今からエマリーを女伯爵として立てるとしても、どのみち婿が取れなければ意味がない。

 セラーデ家を立て直せるとしたら、イデリザが無能な両親を追い出して家督を継ぎ、土地や家財道具のすべてを借金返済に充てることぐらいだろう。それは、セラーデ家で唯一現状を把握している彼女にしかできないことだ。せめて借金さえなくなれば、婿を見つけることもできるだろう。それでもまだ債務が残ると言うなら、爵位は諦めるしかないが。


「一つ聞きたいんだが……そのワンピースは、君が自分で繕ったのかい?」


 尋ねると、イデリザはきょとんとしながらも頷いた。「ちょっと立って、くるりと回ってみてくれないか」イデリザは困惑しながらも指示に従う。ワンピースの裾がふわりと広がった。裾を彩る端切れが美しい調和を見せている。


「裁縫はよくするのかな?」

「お金になりそうなドレスや宝石は、ほとんど売っていて。だから古い服しか持っていなくて、それを簡単に手直しするぐらいなら……。このワンピースは流行遅れで穴も空いていたから、せめて見栄えがよく見えるようにドレスの端切れでつぎはぎをしたんです。母や妹に知られたら、嗤われるでしょうけど」

「なるほど。その端切れは、どうやって並べたんだい? 何か参考にしたものがあったとか?」

「綺麗だと思うものを、好きに並べただけですけれど……。も、もしかして、悪趣味でした?」


 レオンヴァルトはハイリウスに一瞥をくれた。「名刺を」ハイリウスは即座に純銀のカードケースを取り出し、レオンヴァルトに渡す。刻まれている紋章は、ランサス銀行のマークではない。これだからこの秘書は手放せないのだ。


「この名刺を持っているといい。話は通しておくから、君の都合のいいときにぜひそこへ足を運んでくれたまえ。職や住居を紹介してくれるだろう。覚悟があれば、だが」

「ダーエル・モル商会……ロイゼ王国支部取締役、ハイリウス・ロードロン……さん?」


 名刺を一枚取って、イデリザに渡す。イデリザは目を丸くしながらそれを読み上げ、レオンヴァルトを見た。

 レオンヴァルトはランサス銀行の会長である他に、複数の会社の権利を持っている。それには、経営に口を挟める者として与えられた役職も付随していた。叔父の貿易会社の相談役だったり、従兄が持つとある鉱山の共同所有者だったり、旧友が代表を務める鉄道会社の取締役だったり。普段はそう名乗ることこそ少ないが。

 ハイリウスの本業はレオンヴァルトの秘書だ。だが、レオンヴァルトに肩書がいくつもあるように、彼にも複数の肩書があった。名目上の役職でも報酬は出る。節税のため、そしてこの優秀な秘書の働きに報いるため、傘下の組織からいくつか席を都合しているのだ。生真面目なハイリウスは、自分が保有している肩書それぞれの名刺を常備している。さすがにランサス銀行以外の名刺は、仕切りのある名刺入れにしまってまとめて管理しているのだが。


「ああ、そうそう。その際には、今着ているワンピースはもちろん、それ以外にも君が手直しした服があるなら、それをぜひ持ってきてくれたまえ。服飾を専門に扱っている商会だからね」

「で、でも……わたし、お針子ができるほどの技量は……」

「仕事に必要な技術はおいおい覚えていけばいい。なんなら留学の後押しもしよう。ダーエル・モル商会の本部は、芸術の(まち)ウェネー公国だ。そこまで行けば、君を縛るものは何もなくなる」


 イデリザ・セラーデとして、傾きかけた家に縛り付けられたまま生きるのか。何もかもを捨て、新天地へと逃げるのか。果たして彼女はどちらを選ぶのだろう。


「君の色彩感覚は素晴らしい。それを磨けば、大きな武器になるだろう。間違いなくいいデザイナーになれる。……ただ、決めるのは君だ。君は自分の可能性に、どれだけ賭けられる?」


 イデリザは何も答えなかった。名刺をしまい、深く頭を下げる。彼女はそのまま帰っていった。

 店主に長居を詫び、ハイリウスとともに帰路につく。馬車に揺られる最中、ハイリウスはおもむろに口を開いた。


「ご自分の名刺を渡せばよかったのでは?」

「万が一父親にでも見られたらどうする。その点あの名刺なら、すぐに私とは結びつかないだろう? 自分の言葉をすげなく蹴った生意気な平民の秘書の下の名前なんて、あの狭量そうな男が覚えていると思うかい? あの子が本気で家を出る覚悟を決めたなら、その時に改めて自己紹介でもするさ」

「では、何故そのような危険を冒してまで、あの娘にチャンスを与えたのでしょう。セラーデ家とはかかわらないおつもりかと思っていたのですが」

「セラーデ家に貸しなど作っていないとも。私が投資したのは、イデリザ……イデリザ・ジューエだよ。無論、どうするかは彼女次第だが」


 沈みかけの泥舟に、珍しい原石が積み込まれているのを見て惜しくなった。積み荷はがらくたばかりで、わざわざ引き上げるのも馬鹿らしいが……その石ぐらいなら、わざわざ舟に乗り移らなくても持ち出せる。だから、気まぐれに手を伸ばしてみた。それだけだ。

 奥に潜って結局取り出せないかもしれないし、何の変哲もない石ころだったのかもしれない。それならそれで構わなかった。趣味(とうし)で利益を得たいわけではないからだ。それでも、もし今度会うときがあれば、ジューエの由来ぐらいは訊いてみることにしよう。


「私は投資家だからね。気概と見所のある、すべての挑戦者の味方でありたいんだ。だってせっかくの才能が世に羽ばたくことなく失われてしまえば、世界にとっての損失だろう?」


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