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この結婚は契約であり  作者: ほねのあるくらげ
第四条

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30/42

互いの趣味については、寛容であるものとする。 1

「奥様は本当に、お美しゅうございます……」


 盛装に身を包んだシャルリアを前にして、メルツィスカを始めとしたメイド達が感嘆のため息をつく。彼女達の手で完璧に着飾られたシャルリアは、もはや一種の芸術品のようだった。


「ふふ、当然でしょう?」


 今日は朝からずっと、どんなコーディネートにするか考えていた。だって今日は、初めてオペラを観に行くのだ。それにふさわしい装いをしなければ。

 これまで買い集めてきた、無数の服飾品。その中からたった一つの組み合わせを選び抜く。悩む時間は楽しいし、メイド達も気合が入っている。あらゆるドレスやアクセサリーを試した。そんな中で辿り着いた“答え”が、鏡に映る今のシャルリアだ。

 ドレスはシャルリアの青い瞳に合わせたロイヤルブルー。深い光沢を纏うベルベットが、白い肌によく映えた。大きく空いた胸元は、イヤリングと揃いのブルームーンストーンで彩る。そこから放たれる光は、まるで青い虹のようだ。編み込まれた髪を飾るのは、レオンヴァルトからもらったばかりの真珠の髪飾りと決めていた。

 オペラグローブをはめる。鏡に映る華やかな貴婦人を、シャルリアは陶然とした面持ちで見つめた。レオンヴァルトの財力によって磨き上げられ、飾り立てられた人形の姿には、きっと彼も満足してくれるだろう。

 とんとん、と控えめなノックの音が聞こえてきて我に返る。聞こえてきたのは、クリスフィアの訪れを告げるメイドのロザルデの声だ。入室を促すと、ロザルデに連れられた小さなお姫様とその従者がやってきた。

 黒を基調とした、上品な出で立ちだ。腰元やフリルを飾る紫のリボンがクリスフィアの可憐さを引き立てている。


「お母様、どうですか?」

「とても可愛らしいわ。よく似合っているじゃない」

「ありがとうございます。お母様も、とてもきれいです」


 ドレスの裾をつまんで淑女の礼を取るクリスフィアに、シャルリアは優しく微笑みかけた。クリスフィアは安心したように口元を緩め、背後に控えていたギルに向けて小さく歓喜の声を漏らす。ギルは当然だと言いたげに頷いていた。

 クリスフィアと似た意匠の礼服を身に着けているということは、観劇には彼も同行するのだろう。見目麗しい使用人は、小さな令嬢の装飾品にふさわしい。それに、今日の舞台にはギルの姉であるレーシャが出演する。クリスフィアもギルも、観劇を楽しみにしているはずだ。

 

「驚いた。どこの女王様がたかと思ったよ」


 クリスフィアと連れ立って階下に降りると、レオンヴァルトがシルクハットを取って恭しく一礼した。紺色のテールコートを飾る黒のラペルピンには、シャルリアのドレスに合わせたのかブルーサファイアがあしらわれている。


「これでは、君達の隣に立たせてはもらえないかな? 君達の華やかな衣裳部屋と違って、私のクローゼットは地味だからね。まあ、引き立て役にはちょうどいいだろうが」

「貴方をさしおいて、わたくし達をエスコートできる方がいると思って?」


 そう答えるとレオンヴァルトは相好を崩し、気取った仕草でシャルリアとクリスフィアにキスをする。「大丈夫だよフィア、胸を張りなさい」レオンヴァルトにそう囁かれ、クリスフィアは表情を引き締めた。

 彼女はいずれ、ランサス家そのものを背負う身として立たなければならない。いつまでも人見知りの無垢な少女ではいられないだろう。たとえ外面だけであっても、それにふさわしい姿を獲得するはずだ。その片鱗は、シャルリアもすでに目にしていた。


*


「見て、ランサス夫人よ。相変わらず素敵なドレスをお召しになっていらっしゃるわね」

「なんて見事な髪飾りなの……! どこの店のものなのかしら……」


 劇場には数多くの上流階級の者達が見受けられた。彼女らの羨望の眼差しに胸が高鳴る。レオンヴァルトは顔色一つ変えていないが、その広告効果に満足しているというのはシャルリアに向ける視線でわかった。

 挨拶がてら声をかけてきた婦人達はシャルリアを褒め称えながら、おずおずと目当てのことを聞き出そうとしてくる。そのすべてにシャルリアは余裕をもって答えた。きっと明日は、該当する商会が新規顧客で賑わうことだろう。

 

「ご婦人達はいつもあの調子なのかい?」

「ええ。貴方はいつも貴方のお客様へのご挨拶にお忙しいから、ご存知なかったでしょうけど」


 レオンヴァルトが買ったという桟敷に通され、やっと一息つく。ゆったりとしたこの席にはランサス家の人間と、ランサス家が招待した者しか入れない。苦笑混じりに尋ねるレオンヴァルトに、シャルリアは小さく肩をすくめる。悪くない気分だった。

 

「実に素晴らしい。これからも気の赴くままに、好きな物を買って好きなところに出かけたまえ」

「まあ、嬉しい」


 言われなくてもそのつもりだ。買い物も、社交も。こんなに楽しいこと、やめろと言われてもやめられない。


「フィアも一緒にいかが?」

「は、はい。お母様がごいっしょしてくださるなら、大丈夫です」


 クリスフィアは強く頷く。リラの瞳は少し泳いでいたが、未知の人々に会う恐怖よりも好奇心と向上心が勝ったのだろう。

 やがて舞台の幕が上がり、オペラが始まる。一人の王子が姫君に求婚するため冒険を繰り広げるという筋書きで、レーシャはその姫に仕える異国の召使の役だった。褐色肌の少女に、異国情緒溢れる衣装がよく似合っている。

 さぞ予算が潤沢なのだろう、見応えのある舞台衣装だ。けれど役者は一人として着られていない。誰もが自分のものとして衣装を着こなし、それ以上の演技と歌で魅せている。なるほど、この迫力が観劇の醍醐味か。一流の役者達に囲まれ、無数の観客の視線に晒され、なおもひるまず堂々と自分の歌を歌い上げるレーシャには、レオンヴァルトが目をかけるのも納得する輝きがあった。


「素晴らしい舞台でした」


 公演が終わり、シャルリアは深く息を吐く。頬を上気させたクリスフィアとギルは、惚けたように舞台を見つめていた。


「気に入ってもらえたようでなによりだ。レーシャもずいぶん頑張っていたようだから、後で花束でも届けてやろう」

「ええ、それがよろしいかと。……ところで……舞台で使われていたダイヤの首飾りですけれど……」


 王子が姫君に求婚するため献上した、豪奢な首飾りに思いを馳せる。もちろん舞台で使われていたのはガラスか何かだろうが、それでも見事な装飾品だった。あれが手に入るのなら、今日の思い出にふさわしいだろう。


「わかった。職人なら心当たりがあるから、デザイン画を見せてもらえないか座長に訊いてみよう」


 シャルリアの意図を、レオンヴァルトはすぐに理解したようだ。おねだりはあっさりと承諾された。


「……なるほど、舞台の小道具の複製か。宣伝にもちょうどいいな。まずは特注でシャルリアのための首飾りを作らせて、それから大衆向けに安価なガラスでの量産を持ちかけて……。装飾品ではなくコレクションとしてなら、ガラスのほうが……」


 レオンヴァルトは頭の中で新しい商売を考えているらしい。シャルリアも、直近の社交の予定を振り返る。次のお茶会では、このオペラのことも広めておかなければ。社交の場では、話題は多ければ多いほどいい。シャルリアのお墨付きともなれば、婦人達は喜んで観に行ってくれるだろう。そうすれば感想が言い合えるし、何よりも舞台の宣伝になる。楽しみが一つ増えた。

 以前紹介した小説は案の定婦人達の心を掴み、それをきっかけに読書好きの婦人達のサロンに招かれることも多くなった。今度は、観劇好きの婦人達のサロンと交流できるかもしれない。シャルリアの交友関係の中心は、服飾好きの婦人達が集まるサロンだ。話題の幅が広がれば、顔の利く婦人も当然増える。宣伝できる層が多ければ多いほど、レオンヴァルトがシャルリアに期待する広告としての効果は高まるだろう。


 劇場を出て、次に向かったのはレストランだった。美味しい公国料理を出す店を予約しているらしい。二階建ての、高級そうな店構えのレストランだ。少し遅い時間ではあったが、店内は優雅に食事を楽しむ客が多くいる。


「ランサス様、お待ちしておりました」


 ウェイターが丁重にシャルリア達を迎える。レオンヴァルトは当然のようにシャルリアのショールを脱ぐのを手伝い、ウェイターに預けた。

 レオンヴァルトの行きつけの店なのだろう、迷うことなく席に案内される。二階の、大きな窓の側の席だ。外の景色がよく見える。白身魚のポアレをメインに据えたコース料理を堪能し、食後酒を嗜む。レオンヴァルトはブランデー、シャルリアは貴腐ワインだ。紅茶に砂糖を入れているクリスフィアは、どこか眠たそうだった。


「大丈夫かい、シャルリア」

「ええ。ありがとうございます、レオン様」


 酔いが回っているのだろう、少し頭がふわふわする。いつの間にか会計を終えていたレオンヴァルトにエスコートされて席を立った。ヒールで歩けているから足取りこそしっかりしているはずだが、顔はいつもより熱い気がする。

 馬車に戻ると、クリスフィアは小さくあくびをした。リラの瞳が閉じてしまうまで、そう時間はかからない。こてんとシャルリアに頭を預けたクリスフィアから、すやすやと気持ちよさそうな寝息が聞こえた。


「あらあら。疲れてしまったのかしら?」


 クリスフィアを撫でる。伝わってくるその温もりと規則的な鼓動は、心地のいいものだった。徐々にシャルリアのまぶたも重くなる。


「……おや。寝てしまったか」


 向かいに座る妻と娘は、寄り添って眠りに落ちている。レオンヴァルトの口元がわずかに緩む。それは本人でさえ意識していない、心からの笑みだった。

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